かつて私が紡いだ12万字のミラクル。小説『Lipstick After After』を再公開します

 

かつて私が遊戯王に無心していた時代。パックのカードを見つめて考察してみたり、オリジナルカードグランプリコンテンツを企画し絵師様と企画調整し本当にカード化してみたり(びっくりなことに、現在プロとしてゲーム会社等お抱えの方も複数いらっしゃいます。本当にすごい)と、天から地までしゃぶりつくしていました。
その中でも一番エネルギーを食うコンテンツだったのが、「小説」。今の私のみをご存知の方には驚かれるかもしれませんが、そういうの、やっちゃう人だったんですよね、私。
でも私、この歴史について、全然「黒歴史」にするつもりはありません。ガバガバナルシストと言われるのは承知のうえで、「その時の私はその時の全力を出して、がんばって見るに耐えうるものを書いた」と自負しているからです。
その中でも集大成が今回取り上げる「Lipstick After After」。筒井康隆の名著「残像に口紅を」を遊戯王のデュエル小説に取り込んで闇鍋を作ってしまった変態的作風の一作です。
今回再公開にあたってバックアップデータから全文をコピーしたところ、なんと121,211字。当然ながら過去最高文字数の記事となります。
ぜひとも、見てみてくれませんか? また、過去の私をご存知の方には懐郷の意味で再度お目通しいただけませんか? 懐かしの感想とか、ぜひともこの記事に返信してくれたら嬉しいですね。「続きを読む」から、是非ともご覧になってください。(非常に、非常に前のカードプールで書かれている作品なので、カードの選択に疑義があるかと思いますが、そこだけは目を瞑ってください!)

 

 

LipStick After After

 

彼女は、シティーホテル12階から神戸の夜景を見下ろしていた。喧騒の街を一望できるように備え付けられた大きな窓から、ちかちかと灯る神戸空港管制塔の光と、列をなして光る自動車のライトに目をやる。
10月某日、彼女はワイングラスを片手に、窓枠にもたれかかっていた。もっとも、令嬢のパーティーに出席するためにたたずんでいたわけでも、ステディと一緒に上品な週末の夜を過ごそうというわけではない。
彼女は、キャミソールにアウターを羽織り、ジーンズというラフ極まりなく――それでいて、全くシティーホテルの12階にそぐわない格好だった。
場所は、12階、大会堂ホール。その気になれば500人はゆうに収容できる、神戸きってのビッグホールだ。所々に設置されている丸テーブルには、料理や各種アルコールが無造作に置かれていて、やはりそこは披露宴やパーティーといった趣が感じ取られる。しかし、場にいる全ての――200人を超える人間は、全てといっていいほどラフなコーディネートを選択していた。
違和感、異質。そんな言葉が似合う光景。だが、それでも、彼女は――ラフに決めていたとしても――隠し切れない雰囲気が、あった。彼女は、内向きにつけていた腕時計に目をやる。午後6時57分、都会の夕日は完全に落ち、明るさは人工的な密度を増していく。
(あと 3分……)

200X September …

彼女に、一枚の封筒が来たのは1ヶ月前のことだった。差出人不明記、宛名を示す住所記載は、彼女の在地をタイピングし印刷したものを切り取り、貼り付けられたもの。切手の上には伊江村郵便局のスタンプが押印されていた。
(きました、ね)
封筒に差出人が記されていないのは、決して書き忘れたわけではない。在地記載を簡略化されているのは、筆記の手間を省くためではない。沖縄県の伊江村という僻地から差し出された封筒は、決してそこに知り合いが居るわけではない。
――差出人を、そのバックボーンを、完全に秘匿するための措置だ。
今の科学捜査であれば例え定規で筆跡をコントロールしてもなお、筆圧で鑑定が出来る社会だ。彼女の在地を示す印刷紙さえも、インクの出所やコピーの際のぶれから機種まで特定されてもなんら不思議はない。
――しかし、それらが組み合わされば、まず特定は難しい。そこまでして、この差出人は何故、情報を秘匿する必要があったのか?簡単なこと、これが犯罪行為――賭博法に関わる金銭授受をはらむものだからだ。
彼女が、封筒の上部を慎重にハサミで切り落とし、中の紙を取り出す。概要は、『ポイントランキング得点優秀者に対する賞金戦招待についてのお知らせ』だった。
――参加費10万円、勝利賞金1000万円。参加招待枠200。
この『バックボーン』が、個人情報であるポイントランキングをどうやって仕入れたかや、もしかしたらコナミが一枚噛んでいるのか、そこは彼女にとってどうでも良かった。
(なるほど……1000万円を渡したとしても 主催側には1000万円の利益が残るのですね。デマでは なさそうです)
彼女は、噂には聞いていたこの闇のルートの大会に招待を受けるために鍛錬を重ね、いつしか表側としてもトップランカーとして名を馳せていた。
だが、やはり、彼女にはどうでもいいことだった。彼女は、ろくに集まらない『裏』の情報を清濁併せ呑み仕入れ、結果、『常にルールは真っ当な形では行われない 不足するであろうカードは全員分一枚も余すことなく主催者側が準備している』というところまでは仕入れた。
しかし、そこまでだった。過去の優勝者や関わる組織、過去の会場、使用ルールまではつかめなかった。
(もっとも 調べられてて足がつくような情報秘匿であれば、このバックボーンにある組織もここまでしないでしょうし)

(対策は練りたかったのですが……ここまで情報が隠されているとなると 手の打ちようがありませんでしたね……)
18時58分、彼女は思惑を馳せながら傾けていたワイングラスを口許に運ぶ。ピノ・ノワールで仕上げられた上品なワインが彼女の喉をゆっくりと通り、そのたび彼女の喉元がゆっくりとゆれる。たたずまいが、光景に映える。
これで、ドレッシーに身を固めていれば、ご令嬢と評されても全く問題はなかったはずだ。少量のワインを淹れられていたグラスを飲みきり、テーブルに置くと、彼女は一息をついた。
(アルコールはこれくらいに控えておきましょう……過度の酔いは思考を分散させます)
18時59分、封筒に示されていた開始予定時刻まで1分を切った。
(それにしても、変則ルール……どのような物が来るのでしょうか……ジュニアルールくらいなら嗜みはあるのですけれど……)
顎に手を当て、思索をめぐらせる。その様子を察したのか、同じテーブルで腹ごしらえをしていた男が彼女に声をかけてきた。
「ん、ここは初めてか?」
「……ええ まあ」
「ここのルールは毎度毎度練られてる。悩むのも、対策を考えるのも無駄だと思うぜ」
「そうなのですか」
(ヒントを教えて私に色目を使うでもなく、毒にも薬にもない雑談――要するに『揺さぶり』――私が女だから 簡単に呑めると思ってるようですね とんだ三下です)
「だからあんたもそうどうこう悩まずにどっしりと」
「申し訳ないですが」
「――おう」
「もうすぐ主催者が出てくる時間です うるさいので、黙ってください」
一閃。しかし、男はその反応を逆に喜ぶように――見所がある相手だと悟ったように笑い――、一言だけ返した。
「いい、度胸だ」

19時、彼女が再度時計を見て幾秒もしないうちに、ホール上部にある拡声装置から女性の声が響く。
『ご来場の皆様、ようこそ、そしてありがとうございます。招待者200名の全員のご参加、ここに感謝の意を示させて頂きます』
それはただの開始の音頭だった。しかし、その声が覚醒すると同時に、喧騒に包まれていた会場が狐につままれたように静かになる。空気が一気に数十度冷え込んだように、ぴり、と固まった。
「……」
彼女はその空気の変貌を心地よく感じた。静まり返ったホールを一度見回し、再度上からの声に意識を向ける。
『さて、堅苦しい開催の辞はこれくらいで止させて頂きまして、早速ですがこの度のルールについてのアドバンスに入らせていただきます――皆様が受付けから手渡されたブックレットをご覧下さい、まずは賞金体系から』
声を通していた女性が一息置く。
『今回の賞金はいつも以上に高額に設定させていただいております。理由ですが、過去の大会設定は全て「確実に」優勝者が決定し、お一人に「確実に」賞金が渡る体系をお取りしてきました』
(……なるほど)
彼女は今の言葉から深層を汲み取った。その意図は、この度の設定は参加者全員敗退の可能性があるということ。
(だとしても……やはり ルールが想像つきませんね……)
彼女がめぐらせた通りに上からの声が会場に響いていく。事実が明らかになるたびざわつきが起こり、その度に彼女はゆるく息をついた。
『さて、全員敗退の可能性があるのですが――先にルールの説明をさせていただきます、ルールをご理解になると「全員敗退」の意味も十分に汲み取れます』
その声に、会場の温度がさらに下がる。誰も、むざむざ6桁なんて大金を落としたくない。当然と言えば当然の反応だ。
『このたびのルールは、「残像に口紅を」――勘の良い方はもうおわかりでしょう』
(――そういう ことですか)
いきなり上から発せられた意味不明、意図不明のワード『残像に口紅を』。
その言葉が発っせられると同時に、一気にホールに喧騒が戻る。会場の大多数が意図をつかめていない反応だった。
(それなら、『全員敗退』も頷けます)
彼女は、下に俯き、ふっと笑った。その様子を先ほどの男が感じ取り彼女に視線を向ける。
「おい」
「……なんですか、私には 両親から頂いた立派な名前があるのですが」
彼女があからさまな憤りを言葉に含め――しかし表情は変えず――男に問い返す。その様子に男は舌を打ち、再度彼女に視線を返した。
「――なんと呼べばいい」
「私の名前は 『綾野 くるみ』 です」
「……思ったより女の子な名前してるな」
「――放っておいてください」
「それで、綾野。――判ってるんだろ、今回の大会のカラクリに。隠すものでもない、教えてくれないか」
男が頭を軽くかきつつ彼女に――綾野に問いかける。その様子を綾野は、見下すような視線で問い返した。
「あちらは大ヒントを出してくれましたよ。『残像に口紅を』――これで おわかりになりませんでしたか?」
「わかるわけねえよ。『残像に口紅』だったか? 今回はいつも以上にくせえタイトルつけてきやがる」
彼女はため息をつき、男を見据える。いずれ説明されること、観念したかのように綾野は話し始めた。
「――『残像に口紅を』。十数年前に筒井康隆によって著された小説です。この小説の大きな特徴として挙げられるのが 物語の章が進むに連れて小説内に使用される文字がどんどん減っていくことであり――例えば『く』という文字が世界から消失されたとなると車・薬といったあらゆる『く』という文字のつく物が世界から消え去ります――もちろんそれは人物にも同様に扱われ 例えば『く』が消えるのなら、私 綾野 くるみ も世界から消え去ることになりますね」
「……」
「こんなの一般教養の部類ですよ。少々教養不足なのではないですか」
当たり前のように語る綾野に、男は黙りつくす。もちろん、こんなものが一般教養であれば公務員試験の倍率が物凄く高くなることは彼女は知る由はない。
「だとすれば……」
「ええ あとはご察しの通りだと思います」
二人が改めて上を向く。今まさに、綾野が行った説明が会場に広がっていく。
『――この度は、その「残像に口紅を」をインスパイアしたルーリングをさせていただきます。言葉が消えていく――言い換えましょう。この度の大会は、時間経過ごとに使えるカードプールが狭くなります』
(やはり)
『皆様がデュエルを行う……その決闘盤の作動時間に則って指定パックのカードプールを順番に抹消させていただきます。抹消時間は、20秒に1枚。例えば指定が「Soul of the Duelist」であれば、デュエルの経過中互いのターンに関係なく20秒に1枚、《大木炭18》→《ネオアクア・マドール》から《ホーリーライフバリアー》まで抹消します。抹消されたカードはプレイ不可、こちら側から見えない《禁止令》の圧力がかかっているとお思い下さい』
その後、さらに細かい部分のルール説明が為されていった。デュエル中にパックの抹消がラストナンバーに行った場合、自動的に他パックに切り替わること。故意の遅延行為は厳格な罰則対象になるので慎むこと。会場内に私服ジャッジが常駐し、もし罰則規定を破った場合強制退場としての措置が取られること。
ワン・ゲームス・トゥ・マッチ――1回勝負であり、サイドデッキを用意する必要はない、ということも言われる。大会開催と同時に指定されるパックは全員同様であり、そこから先――2つ目からは全員同様とは限らないこと。
『また、デュエルをしていない時間でも30秒に1枚抹消措置を取らせていただきます。これは、デュエルを回避する方を出さないための措置です』
(まあ 当然でしょうね)
『制限カード・禁止カードについての指定ですが、禁止カードについてはカードプール上から抹消されない間は制限カードと同様にお使いください。制限カード、準制限カードは本来の扱いと同様に制限、準制限でご利用をお願いします』
かたん、とスピーカーからマイクの音が鳴り、女性の一息が入る。
『また、大会開催から少なくとも1戦こなすまでのデッキのチェンジは禁止します、1戦終了後からのデッキ調整はご自由にどうぞ。なお、デッキ調整のため必要となるカードは全員分、こちらの隣の小ホールにて配布しておりますのでご自由にお取りください。全員分、全てのカードをご用意しておりますので物量についてはご心配なさらずとも結構です』
開催からデュエルの間に変更を許可すると、最初の指定の意味がない、すなわち。
(最初の指定を読むところも 勝負の一部というわけですか……これは、決して運任せのデッキチェンジじゃ ない――!)
彼女がポーチに入れていたデッキを手に取り、ぱらぱらと内容を確認する。各種の封入パックを確認し、交換の目測をあいまいに立てた。
『長々となりましたが、ルールについてのご説明については最後として。皆様がその時点で抹消されているカードについては、ガイダンス終了後受付けにてPDAを貸し出しさせていただきまして、それにリアルタイムで配信させていただきます。……さて、長々とルール説明をご静聴いただきましてありがとうございます。これで、「全員敗退」の意味もおわかりでしょう』
(全員敗退の条件は 参加者全員のカードプール 全抹消――!)
綾野が深層をはべらせ、涼しい顔でスピーカーをにらみつける。もっとも、その条件は会場内ほぼ全員が掴み取っていた。
『それと、大会終了の条件ですが、端的に言いましょう。賞金を手に取れる方は一人、条件は――マスターの発見と、撃破』
(……)
『200人超のデュエル参加者がいるこの会場に、私達が設定した「マスター」が一人設定しており、それを撃破すればゲームクリア。しかし、このままであれば開催直後にゲームが終了しかねません。よって――マスターを指定して勝負を仕掛けたいときは、対峙相手を何故マスターと思ったか、それを証明してください。もちろんマスターであればデュエルの回避をしないことはお約束します。またマスターではない参加者が指定された場合はデュエルを拒否してかまいません。もちろん、ノーヒントでそこまでたどり着けという無茶は申しません。ヒントはばらまきます』
(会場には200人 しらみつぶしにはあたれませんね)
綾野が窓にもたれかかり会場を見据える。獲物を狩る目が会場全土を支配している。
『また、デュエルの勝者・敗者についてですが、マスター保護のため敗者に強制退場の措置は取りません。強制退場の措置を取ると会場に忍んだマスターがいつの間にか敗退する可能性があり、当初の目的を見失うことになりかねません。それを回避するための措置だとお思いください』
(それはそうですね)
『よって、デュエルに敗退された方はアトランダムに7パックの抹消をさせていただきます――時間にして2時間超分のロスになります。これにより、デッキを構築することが不能となった方は会場から退場してください。もちろんマスターが敗退しても当方は抹消措置を取りません。理由は前述の通りです――皆様は他プレイヤーがどのパックを抹消されたかを知る術はありませんから、ここからマスターの正体が出ることはありえないとお思い下さい。最後に、マスターを手当たり次第に指定するのを避けるために、マスターの指名権は2回――お手つきは1回のみです。指名は慎重にしましょう……2回間違えるとここにいる意味がなくなります』
その言葉は、比喩でもなんでもなく言葉通りのものだった。彼ら彼女らは、ここにデュエルを楽しみに来たわけではないのだから。
『さて、概要の説明はここまでです。長々とお疲れ様でした。ご質問があれば受付等係員にお問い合わせください――それでは21時より、『残像に口紅を』。開催させていただきます。1時間超、デッキ調整にお励みください』
その言葉を最後にぷつん、と音声が切れる。がやがや、と会場の雰囲気が戻り、所々からは『カードナンバーなんて覚えてねーよ』や『アトランダムかよ、自分のデッキとの相性は運次第じゃねーか』という愚痴が響く。
彼女は、前者には同意したが後者には同意しかねた。
(これは 決して『運』じゃない――その深みをつかめない人達は おそらく初戦敗退……)
短く息を吐き、大ホール出口に歩を進める。なんにせよ、改良をしなければいけないのは確実だ。
(そのためには緒戦指定の抹消パックを読み そこを回避するデッキに調整し直す……やることは 沢山ありますね)
彼女は片手で受付からPDAを受け取り、軽く会釈をしながら思いを馳せる。
(楽しい大会になりそうです……久しぶりに私の智慧熱を満足させてくれる頭脳労働になりそうですね)
彼女はPDAを開き、動作を確認してからそれを左手に抱え、小ホールに足を進める。がやがやと涼しげな盛り上がりを見せる心地よい緊張感を背に、彼女は雰囲気を呑み込んだ。

これは、支配者が見せる当大会のログの軌跡であり、当大会の主役、綾野 くるみを軸にした話だ。綾野 くるみは表の――健全なユーザーの世界では――『理知の女王』と称されていた。
理知の女王が余すことなくその力を発揮したこの度の『残像に口紅を』――、歴代史上最上位難易度であった当大会を制覇した彼女の、黙示録である。

【 特殊ルール “残像に口紅を” 細則 】
1.(デッキルール)
○”残像に口紅を”はその場でデッキを用意する限定戦である
○使用するカードは隣接する小ホールで補充する。全てのカードを1枚以上指定できる。また、カードの補充は何回行ってもよい
○1戦マッチであるためサイドデッキは必要としない
○大会開催時から1セットを行うまでは、デッキの変更を禁止する
○大会開始時(21:00)は全てのカードが使用可能である
○開始時、制限カード・禁止カードは双方とも制限カードとして、準制限カードは準制限カードとして扱う。
2.(カードプールルール) ○使えるカード(カードプール)は以下のルールに従って減少させる
・21:00より大会終了まで、デュエルを行っている時間帯は、全てのパックから選ばれた1つのパックのカードナンバーを上から使えなくする。この減少は20秒に1枚行われる
・21:00より大会終了まで、デュエルを行っていない時間帯は、全てのパックから選ばれた1つのパックのカードナンバーを上から使えなくする。この減少は30秒に1枚行われる
○使用カード減少により1つのパックのラストナンバーまでわたった場合は、次のパックが選出され、カードプールを減少させる
○デュエルに敗北したプレイヤーはアトランダムに7パックを減少させる
○カードプールの減少についての情報は逐一、配布されたPDAに送信される
3.(マスタールール)
○各参加者のマスターの指定及びマスターの撃破によって大会は終了する
○会場に存在するマスターに対し「指名権」を行使して指名する。その場合、理由を証明しなければならない
○マスターに対しての指名権は2回のみである
○マスターと指名された者の処遇については以下のものとする
・指名されたプレイヤーがマスターではない場合、デュエルを拒否しても構わない
・指名されたプレイヤーがマスターである場合、デュエルは拒否しないことを確約する
○マスターはデュエルに敗北してもカードプールを減少させないものとする。これは、デュエルの度重なる敗北によりマスターがデュエル不能となるのを避けるための措置である
○デュエルについての故意の遅延行為をジャッジが発見した場合罰則がくだる。ジャッジの注意に従わない場合は強制退場措置が取られる
○マスターを発見するための「ヒント」は随時公開する

 

綾野は小ホールの係員から《死者蘇生》、《聖なるバリア-ミラーフォース-》その他を受け取りながら思いを馳せる。ホールで愚痴を吐いていた一参加者の「今回は運ゲー」との言葉。しかし彼女はそうでないと感じていた。
(大会開催と同時に指定されるパックは全員同様であり そこから先――2つ目からは全員同様とは限らないこと あのガイダンスから判ったのは、初期指定の抹消は主催者側が手作業でしているということ……「アトランダム」という言葉を信用してはならないですね)
決して彼女は全てのカードナンバーを覚えているのではない。だが、大体のカードはイラスト下部のシリアルナンバーを見れば把握できるし、どのカードがどのパックに封入されているか、は曖昧に頭に入っている。
(完全なアトランダムではないということを考えれば 第一指定パックは試金石……狙いは――)
綾野はさらに《強引な番兵》と《いたずら好きな双子悪魔》を受け取りながら、デッキをいじっていく。周りの参加者もいそいそとカードを受付からもらいつつ、がやがやと焦っている様子が見て取れる。しかし、彼女は最低限の予測を立て、持ち込んだ基本的な構想を込めたデッキを崩さないまま十数分でデッキを完成させる。
殺伐とした雰囲気の小ホールから足を出し、ぐーっと一つ背伸びをした。
(おなかが 空きましたね。時間も有りますし、軽くつまんでおきましょう)
絞まったウェストを軽くさすりながら、大ホールに再び歩を戻す。そこには、先ほど綾野に気負いなく声をかけてきた男がいた。
バイキングテーブルからサニーレタスと生春巻きをチョイスしながら、綾野の方を向く。綾野は思わず喉から絞りだした舌打ちを漏らす。表情こそは変わらなかったが、明らかに一歩後ずさっていた。
「よぅ、綾野」
「……なんですか」
「さっきは悪かったよ、威圧なんかかけて。もっとも、そんなので萎縮する器じゃないとわかった以上、そんなことはしないさ」
「そうですか」
綾野は淡々と返す。明らかな嫌悪が見て取れた。
「おまえは、デッキできたのか?」
「そういう呼称はやめてください。ついでに、親しくもない女性を呼び捨てるのはあんまりお奨めできません」
「――徹底的だな。わかったよ……綾野さん、どうなんだ」
「出来ましたよ……別に私をゆすっても ヒントは出てこないです」
綾野は隣のテーブルから生ニンジンのスティックを数本取りつつその横のローストチキンの薄切りに数枚手を伸ばした。
「そんなつもりはねーのになあ……綾野、さんは、どのパックが緒戦で抑圧されると思うよ」
「……もう 呼び捨てでいいです。それと その質問には答えかねます ヒントを教える義理はありません」
明らかに名前を呼びにくそうにする男に対し、綾野は一息をついて、呆れるように諭す。
「……」
「もう、いいですよ 綾野で」
「冷酷というかクールビューティというか。もったいないなあ」
男が生春巻きを箸でつまみつつ、なだれるように言葉を吐いた。
「ちなみに、俺は――――だと確信している」
それは、綾野が思う所であった。綾野が隠し通した、一つの解答が男に当然のようにバラされる。
「――!」
「表情を、変えたな。図星だろう」
「その表情なら、その解答に至った理由は説明するまでもないだろう。――これで判ったよ。あんたを緒戦の相手に回すのは無謀すぎる、まずは弱い奴を相手にして、後々のカードプール次第で挑ませてもらうさ」
綾野がきっ、と男を見据える。上げられた表情に、彼女の髪の毛が軽く浮いた。
「いい表情だ。それくらいの喜怒哀楽をずっと見せな。そうすりゃ人生もっと楽しくなるぜ」
「私の、程度を 試していたのですか?」
ぽつり、と綾野が呟く。
「その通りだ。とりあえずあんたは強いと理解した。だから挑まない、それだけだ」
「こちらからも質問 よろしいですか……貴方はマスターですか」
聞かれた男はきょとんとした表情を作り、腕の時計を見る。
「まだ8時半過ぎ、か。今聞いても『お手つき』にはならない、な。答えは秘密にしておく。俺をマスターと思うなら正当な証明を用意してお手つき覚悟で来るんだな」
「……」
「まあ、焦ることはない。まだ大会は始まってもない。お互い、ゆっくりしましょうぜ」
男が食べ終えた皿をトレイに置き、ひらひらと手を振りつつ大ホールを後にする。
「……俺の名前は、御厨 和哉 だ。機会があればデュエルするかもしれないな」
その背中を、親の敵を相手にしたような視線で綾野は眺め、動揺していた。もっとも、表情は表面には出さない。ポーカーフェイスを保ってはいたが、眼前に迫ればかすかにわかる程度に、綾野の手は震えていた。
(私と 同じ結論に至った者がいる)
彼女は自分の思考回路に自信を持っていた。応用力、基本知識、駆け引き。『理知の女王』という肩書きと共に、デュエルの際に比重に置いてきたのは、態度 による『押し』と『引き』。
自分の情報は徹底したポーカーフェイスで隠し通し、相手の情報をかすかな態度の変化から読み取る。情報を引き出すためのルアー となるカードで確信を引き出し、現状を推論付け攻め込む。それが彼女のプレイスタイル。
もちろん、外野で見学していた人間にはその種がわからない。まるで、対戦相手の手札が全て綾野に見透かされていたように見えている。だからこその『理知』。そこに含まれている感情は敬意と、畏怖。
(あの方も この大会に含有する 深層を……今まともに対峙すれば五分五分……異なるカードプールで勝負するからには勝算が高いときでないと危険です)
腕を胸の前で軽く組み、震える手を必死に押さえつける。抑えろ、静まれ、こんなことで動揺するな。その手の力みには色々な感情が含まれる。
(そして あの方も私と同じ思想を持っている 勝算が現状五分なのを見越した上で 勝算が高まったときに勝負を仕掛けてくるはず……あの方が体制を整える前に用意を完了させないと 危険因子になりかねません)
「あの方が例えマスターであったとしても いや、マスターだからこそ 仕掛けられない……」
(厄介な駆け引きを持ち込まれましたね……これくらいで動揺するとは――『理知の女王』の面目も丸つぶれです)
ホールから退室し、既に気配さえ残さない彼に向けて綾野は笑みを向ける。21時、4分前のことだった。

20:58 …

『さて、皆様。お集まりいただけましたか。開始2分前ですので、まだ大会堂ホールに来られてない方は至急お越しください』
先ほどガイダンスを行っていた女性の声が大会堂と、12階全土に放送される。大会堂はがやがやと熱気に包まれ、その中で彼女は軽く目を瞑り周囲との関わりを断ち切る。
『先ほど、PDAの方に参照データを転送させていただきました。今は全パック、全カードにランプが灯り使用が可能になっていますが、一旦「残像に口紅を」 が作動するとリアルタイムでランプがオフになっていきます。画面をタッチして動作を確認してください。不具合があれば受付のほうへ』
綾野が慣れた手つきで、軽やかに操作する。特に問題がないことを確認し、初期画面へ戻した。
『敗者プレイヤーには対戦後、勝者プレイヤーののPDAを確認する権利が有りますので、真っ当なプレイングをお奨めします。ちなみに、勝者には敗者のPDAを確認する権利を与えません、理由はお分かりですね?』
(マスターは敗北しても7パックの抑圧を課されない……よって 勝者が敗者を確認すると7パックの枷をされていないことから 対戦相手がマスターだと結論 付けられてしまう といった所でしょうか。……ここまで来た方に 反則の違反性 恐怖性を教授するまでもないと思うのですが)
『それでは、最初の抹消指定を通告します』
(――来ましたね)
綾野が、目を見開く。覚悟を決めたように、獲物を決めたように、眼前の会場を見据える。
『緒戦指定は、「プレミアムパック5」』
その通告に、歓声と悲観が入り混じり、一堂の声がさらに響く。しかし、彼女は確信をしていた。
(……やはり、予想通りです。緒戦の指定が試金石としてアトランダムではないとすると その狙いはまず『低いレベルの者を排除する』所に集約されます。アトランダムに指定されると決め 込む参加者は《サンダー・ボルト》や《ハーピィの羽根帚》を鷲づかみ パワー勝負で潰しにかかろうとする……そういう短絡的結論――『低いレベル』――に 落ち着いた参加者をまず消去し 大会自体を高レベルに持ち上げるための通告。
「プレミアムパック5」は全てのパックの中でもっとも早いシリアルでトリプルAクラスのカードが出てくるパック。《ハーピィの羽根帚》のナンバーは 2――禁止まで40秒、そして連鎖するように3番の《死のデッキ破壊ウイルス》も60秒で指定され プレミアムパック5自体は9枚のカードから構成されて いるため、3分で次のパックへ移行する。あらゆる意味で 弱者つぶしにも十分もってこいのパックですね……)

21:00 … 綾野指定パック『プレミアムパック5』 現状禁止:無し

『それでは、ご自由にデュエルを楽しんでください』
21時、大会がスタートする。しかし、綾野は窓枠にもたれかかったまま動かない。綾野があたりを見渡すと、同様の態度を見せる参加者が数十人居た。
(……)
その中には御厨も含まれ、打って変わった真剣な表情で前を見据えていた。
(今、待ちの態度を見せる参加者は 正解を選んだ人たち……必死に対戦相手を見つけようとしている方達は あまり期待が持てませんね)
待ちの態度を見せる数十人が――綾野もその中に含まれるが――デュエルの誘いをかけられるが、拒否の意志を向ける。綾野も慇懃に拒否の意志を返し、息を大きく吐く。
(この大会は……デュエルを回避するための措置を取られてはいるが、デュエルを回避することを禁止しているわけではない。それが第一の盲点。短絡的思考に落ち着いた人達は《サンダー・ボルト》や《ハーピィの羽根帚》、そして《カオス・ソルジャー -開闢の使者-》《混沌帝龍 -終焉の使者-》といったパワーカードに身を任せた構築にしている。
そんな構築を真っ向に相手にして勝てるわけがない。当然の道理であり、だからこそデュエル回避を選択している。よって、パワーカードを採用する人達は急いでデュエルを行い、一刻も早く《ハーピィの羽根帚》を小ホールにたたき返したいと願っているはずだ。
すなわち、今戦い急ぐ人達はパワーカードに身を固めた人たちであり――パワーカード同士で潰しあっているはず……4分半、指定移行は『混沌を制す者』へ ここまでは予測通りです まずは最低限のゲームブレイカーカードは消すようですね)
綾野が時計とPDAを確認し灯るランプをちらりと見る。待ちのプレイヤーも同様の態度を見せていた。『混沌を制す者』。そのワードが灯った瞬間、さらに潰しあいが加熱する。
(やはり頼っている人たちが多いのでしょう 一刻も早くデッキチェンジをしたいようです)
305-025 《カオス・ソルジャー -開闢の使者-》。そこがゲームのターニングポイントだ。このカードを回避しておかなければいくらプレイングで勝っていても不慮の事故死を免れられないし、このカードが消えるまでは動かない方が賢明である。
そもそも、大会がスタートするからといって、すぐにデュエルが行えるとは限らない。対戦相手の発見、デュエルの交渉、先攻後攻のチェック、ドロー。それらの雑作業のことを考えれば、パワーカードが使える時間は想像以上に短いのだ。
綾野がデッキには投入していないが一枚調達してきた《カオス・ソルジャー-開闢の使者-》の――そのカードナンバー25を確認し、至るまでの時間を計算する。
(先ほどの9枚と合わせて34枚 デュエルからあぶれたカモを考えると……1020秒後ですね……9時20分過ぎになったら動きましょうか)
9時21分、綾野は『底辺の潰しあい』からあぶれた男を一人発見する。
(あの人であれば 緒戦は勝ちで飾れそうです)
「すいませんが」
綾野が男の肩を淡々と叩く。その行動に、男が肩をびくりと震わせた。綾野は、ちょっと自分の態度を反省し、ゆるやかにふるまおうと意識しながら男に問いかけた。
「デュエル よろしいですか? お相手がいないのなら私にさせてください」
「……あ、ああ」
綾野が声を掛けた相手は、綾野が開始1分で声をかけられた男だった。あの際にデュエルを拒否され、今仕掛けられる。その意図は、さすがに理解されていた。
「……」
しかし、彼にデュエルを拒否する権利はない。一刻も早くデッキをチェンジしなければデッキがどんどん侵食されるからだ。そうこうしている間にも305-056《混沌帝龍 -終焉の使者-》の禁止宣告は一刻づつ近づいている。
「よろしく、頼みます」
「はい お願いします」
(《混沌帝龍 -終焉の使者-》のシリアルは56 あと31枚だと約10分後に禁止されることになりますね……まあ もつでしょう)
ターンランプが綾野のディスクに灯り、それを確認した綾野が流れる手つきでカードを5枚ドローした。彼女が立礼をし、髪が揺れる。相手の返礼を確認すると、綾野は先行ドローに手をかけた。
「モンスター1枚セット、2枚のリバースをセットし ターンエンドです」
開始数秒で回ってきた返しのターンに、男は意外な表情を見せる。時間をふんだんに引き延ばしてから勝負を仕掛ける綾野の態度は雄弁に「デッキ侵食時間をしっかりと取る」という意思表示と、彼は感じ取っていた。言い換えれば《カオス・ソルジャー-開闢の使者-》や《混沌帝龍-終焉の使者-》を使わせないまま落としていけ、との意思表示。
だからこそ、ぎりぎりまで引き伸ばし――それこそ遅延とも取られかねない程度に時間を稼ぎ――「カオス」の脅威を遠ざけると思っていたからだ。
「よ、よし。俺のターン、ドローだ」
男はそれを覚悟していたからこそ、反応が遅れ、少し動揺の意志を見せる。
(もっと粘っても損はなかったでしょうけど 目は付けられたくないですしね……)
綾野が手札をちらりと見据え、再び男に視線を向ける。
「――エンドだ」
男がモンスターを1枚セットし、リバースも対になるようにセットして綾野にターンを返上する。互いのターンが流れる中も一刻一刻とカードプールは削られていく。だが、306の早期指定を読みきっていた綾野にとって、現状の削減は全く関係ない。
《カオス・ソルジャー-開闢の使者-》が禁止され、インパクトが薄くなった「カオス」デッキ――それも《ハーピィの羽根帚》《死のデッキ破壊ウイルス》等の被害も強く、所々大きな穴が開いているデッキを使わざるを得なくなった男に対して、一方の綾野は全く穴がないデッキを仕上げている。
また、デッキ面だけでなく精神面の被害も強い。一刻も早く勝負を終わらせたい男と全く憔悴する必要の無い綾野。どちらが有利か、と聞かれれば答えるまでもないだろう。

――――

「……直接攻撃します」
ミスがミスを呼び、焦りが焦りを生む。男は混乱しきっていた。戦闘も中盤に差し掛かった頃、綾野は腕時計を確認し、時刻が21時30分を過ぎていることを確認した。
(これでもう 安心でしょう)
対面する男が舌を打つ。綾野と同列で削除をされている男のPDAからも無事、《混沌帝龍 -終焉の使者-》のランプが消える。それを確認した綾野は、溜め込んでいた戦力を一気に表向け――勝利を手にする。
彼女の、本領を出すまでもなかった。

勝利後息をついた綾野が会場を見渡すと、「動いていない」人員はいまだその態度を崩していなかった。
(……まあ 当然でしょうね。現状のルールだと 動かない方が有利なのですから)
彼女は、脳内にルールをはべらせ、思いに耽る。
(デュエル中に20秒で1枚。非デュエル中に30秒に1枚。デュエルに負けたら7パックの抹消を受ける。この3つの根幹ルールからつけられる結論は「動かない方のデメリットが動くデメリットより非常に少ない」ということ……)
だからこそ、動かないのが当然だが――あえて綾野は動いた。一つの確信があったからだ。そして、その確信が現実となって動き出す。

ぴんぽーん。

『鈴木様、御厨様――――――以上、21名の皆様に第一次警告を勧告します』
大会開催前からアドバンス関連を一手に請け負っていると思われる女性が軽いチャイムの後に警告を発した。
(やはり、来ましたね)
30分以上デュエルをされていない方に対してのデュエルを促すような勧告。それでも回避するようであれば重度のペナルティを課すとも追句する。
『なお、大会の放送・デュエルのネットワーク担当をしている当部屋で各プレイヤーのデータ抹消状況について把握しており、不自然なデュエル回避が予測されるログが残っている場合随時勧告いたしますのでご理解ください』
ルールの観点上、そこを突いて『逃げる』参加者が出るのは必然であり、だからこそそれを戒める放送が近い内にあるだろうと綾野は予測していた。
そのことによって開催側から、参加者側から――また、マスターから目を付けられることを嫌った綾野は、先に動いていたのだ。そう考えるうちに、今後故意に10分以上のデュエル回避をしている参加者はペナルティを課すという宣告が放送担当からされる。
(しかし そうなると 疑問が一つ出ます)
辺りの状況を見て、一旦休むことを決め込み、壁にもたれかかった綾野が思索をめぐらせる。その状況下で『魔法の支配者』に削除指定が移行する。もちろん、綾野は未投入だった。
(そのような、目に見えるルールの穴を何故あちら側は放棄していたのでしょうか……デュエルを回避すればヒントは得られないから?)
しかし、今対戦相手に勝利はしたが、何もヒントは得られなかった。デュエルの勝利がルールを得る条件ではないとすると、疑問と確信がつながらない。
(よくはわかりませんね……少なくとも 現状の『魔法の支配者』が削除されると 他のいわゆる「爆弾級に強力なカード」は各パックに散っています カードプールの整備がほぼ完了する以上 次の指定はそれこそ読めないです。ここからが本当のランダム指定でしょう なんにせよ気合を入れなおさなければいけないですね――あと、この『残像に口紅を』下で生じる疑問…… “隠しルール” の存在も念頭においておく必要もあります……それに……)
ちらり、と数メートル先にいるプレイヤーを見る。業界界隈で有名なプレイヤー『ドローフェイズバニッシャー』――仲林 誠司がそこで奔放にデュエルを行っていた。
ドローフェイズバニッシャー。聞こえはいいが要するに『相手のドローフェイズを消す者』――体よく表現すれば “ワンキラー” である。どれだけの環境規制によって持ちネタである1ターンキルデッキが潰されようとも、次の環境では全く新しいタイプの1ターンキルを開発する。ビルダーとしての能力が超一流と言われている生粋の構築プレイヤーであり、その仲林がその本領をふるっている。
(デッキ破壊の1ターンキル、ですね……ルール上 選択するデッキとしての正解の一つです)
禁止カードでさえ『抹消』されるまでは使えるこのルールであれば過去のカードを悪用して構築された1ターンキルデッキも利用が出来る。《処刑人-マキュラ》や《サイバーポッド》といった、本来禁止カードであるレベルのカードが続々と合間見え、対戦相手を飲み込んでいた。
(しかし、あちら側も それは考慮しているはずですから 私たちビートダウンプレイヤーに対しての『魔法の支配者』や『混沌を制す者』の抹消指定のように、ワンキラーには初期のアンチランダムな指定は《浅すぎた墓穴》のある『アヌビスの呪い』や《苦渋の選択》がある『魔法の支配者』に向くはずです)
綾野は、視線から仲林を外さない。
(だけど それでもワンキラーを抑えきれるとは言えないです そこに対する措置として『あれ』があると考えるのが妥当でしょう)
そうする内に仲林が自分のPDAを確認するそぶりを見せ、何かを確認したのか――軽く瞳孔を開くようなリアクションを取る。しかし、よほど注視しなければわからない程度の動揺であり、おそらく会場内で気づいたのは綾野一人であっただろう。
(やはり 思ったとおりでしたね)
仲林の様子を確認した綾野がもたれかかっていた壁から力を抜き、直立する。とんとん、とローファーを調え、仲林に歩み寄った。「すいません 仲林さん。よろしいですか?」
「ん、なんですか? ……って、綾野さんですか。常々、活躍拝見してます」
丁寧な物腰で、仲林が視線を下げながら綾野に会釈する。一瞬見せた動揺は完全にその姿を隠している。
「ありがとうございます。すいませんけど、字面通り時間が有りませんので 本題に入らせてもらいますね」
「時間がない、……ええ。その通りですね。どうぞ?」
「取引 しませんか?」
簡潔に、それでいて核心に突き刺さった質問。
「内容に、よりますね」
表情を変えた仲林が当然と言えば当然の返答を返す。取引内容を知らないまま返事を決定するような幼稚さは持ち合わせていない。
「こちらの質問に一つ答えてくだされば 現状のビートダウンプレイヤーがどのパックを規制されているかお教えします。あと、今は遠慮しますが、今大会中に確実に貴方と1回戦うことを約束します、その際に私が抹消されているパックもお教えします」
「……それでも、質問の内容によりますね?」
自分の規制情報を流した上に、情報を掴まれている中でのデュエルを受けることを契約する。仲林はその優位性を十分に掴んでいたが、慎重な態度は崩さない。
「はい ――さきほど、表情をしかめてらっしゃいましたが PDAに何が表示されていましたか?」
「……お答えできません」
質問をされたことより、あの表情の変化に気づいた人間がいるとは、そういう意図を含み一瞬仲林が表情を濁し、言葉を発する。
「わかりました 質問を変えましょう。表示されていたものは 当大会におけるデッキ変更の回数規制についてのものですよね?」
「――!」
「はいかいいえでご返事を。正直に お願いします」
「その質問をひねり出せるということは、ある種の確信があるんですね?」
「ええ」
「……わかりました。それなら隠す意味も無いでしょう、答えは『はい』です」
「そうでしょうね」
ため息を吐き、眉間にしわを寄せる仲林に対し、綾野は淡々と語る。
「もし、この大会にデッキの変更回数規制がなければ カードプールの抹消ごとに事務的にデッキを変更して勝負するという面白みのない――それこそ 自分の不得意とするカードプールを消されるか否か という『運ゲー』になってしまいます。それを回避しこの大会に戦略性を持たせるには デッキの変更回数に制限がかかることは容易に想像つきます」
「……容易に、ねえ」
容易に想像できなかった自分を皮肉られてるように受け取った仲林が苦く笑った。
「そのルールの存在は確信していたのですが どのような形で発表するかが見当に及ばなかったので……一定時間の経過後か一定回数のデッキ変更後か と予測はしていたのですが どうやら後者だったようですね――となると、その回数制限が何回かもお聞きしたいのですが……聞くまでもないでしょうね」
綾野がめぐらせた思索を仲林に紐解き、自己完結する。
「私の情報では ここまでしか引き出せないでしょう。では、こちらの情報をお教えします」
「ええ」
そうして綾野は仲林にビートダウンの現状を流す。PP5、306、MRと事が運んだことまでを伝えた。
「1ターンキル相手には勝ち目が薄いですから そのデッキが幅を利かせている間はデュエルをお断りしますけどね」
「道理でこの大会……ワンキラーに有利なルールだと思ってたんですよ。まさかこういう形で規制が来るとは考えていませんでした。ワンキラーは性質上、無駄なカードを投入できない。だから、デュエルがする度――カードプールがデッキに影響するたびにデッキの調整が必要となる。だからこそ、規制の表示も早かったんですよね。ちゃっかりしたルールですよ……初めから宣言してくれりゃいいのに」
「おそらくは、そこに考えをめぐらせるのも実力のうち という開催者側の考えがあったのでしょう――疑うに 越したことはないですし」
「……すごいですね、綾野さんは」
それは、仲林の本心だった。皮肉でも、蔑みでもない。崇拝という敬意。
「そんなことはないですよ 私は疑心家なだけです。他にも、隠しルールとか ヒントがあるかもしれないですね」
「……まだ、何か感付いているのですか?」
「――いえ、今のは適当な妄言ですので流してください」
「綾野さんが言うと冗談に聞こえないんだよなあ」
仲林がデッキを決闘盤から抜きつつ、一人ごちるように呟いた。
「このゲームでは、目に見えないものは全部疑え という持論がありますので それでは」
その言葉を最後に綾野が仲林の方から姿を翻らせる。羽織っていたアウターが浮き、絞まったウエストラインが一瞬見える。その後姿を見て、仲林が呟く。
「敵には、したくないですね」

綾野は仲林から距離をとりながら、アウターのポケットにねじ込んでいた2枚のカードを見据え、思う。
(そうなると気軽なデッキチェンジは出来ない……《いたずら好きな双子悪魔》《強引な番兵》は確保したものの、すぐに規制が入るカードですし このまま使わないほうが賢明ですね。ただ)
綾野が思うのは、あくまでも推測だった。
(仲林さんに呟いた『他にもルールやヒントが提示されるかもしれない』というのは捨てきれる可能性ではないでしょう 開催者側のルールのばら撒き方が相当歪んでいることを考えると、ヒントも直接的な表現では出てこない可能性も……小さな油断が大惨事を招く危険性があります……)
「まだまだこの大会 楽観視はできないですね。まんまと思惑にはまっています」
綾野は呟いた。自分を戒めるように、なだめるように。
「さて、これ以上黙っていては上から目を付けられます。デュエルを こなしていきましょうか」

綾野はそれから、『魔法の支配者』抹消中にこなした一デュエルについて思いを馳せていた。10分の時間制限に引っかからないように、あえて選んだ相手であり、デュエル自体は4分もかからず終了した。よって今だ彼女のPDAは『魔法の支配者』を刻々と刻んでおり、目下の興味はは次のパックの指定に移っていた。
(ここまでが最低の環境整備を予定としたアンチランダムな指定だとして 問題はここからですね。もう一つアンチランダムな指定として『黒魔導の覇者』が来ることも考えられなくはないですが それでは面白くないのも理由立てられます。私の憶測は次からこそ完全なランダムになるとは思っていますが……確証はできませんね)
彼女のデッキには最低限の『黒魔導の覇者』パーツである《魔導戦士 ブレイカー》《魔導サイエンティスト》《同族感染ウィルス》が含まれていた。前回までのデュエルログにそれら3枚の封入は記憶されているため、今デッキを変更しても、内蔵記憶されると仲林から教示された『デッキ変更回数規制』に引っかかるのは間違いない。すなわち、彼女のターニングポイントは次のパック指定だ。
(たった3枚で動くのは少々時期尚早かもしれませんが 私には交換条件で得た変更規制についての情報を持つアドバンテージがあります。より確実な勝利を目算するために 3枚の切り替えと、デッキの封入シリーズのばらしまで手をかけましょう)
彼女は集中していた。来るはずのない角度から聞こえた声が、全く蚊帳の外だった。
「…………ちゃん。――くるみお姉ちゃん!」
「……」
「お姉ちゃんってば!」
「――!」
4度5度呼ばれて、綾野がようやくはっとした表情を見せ、声の方向に顔を向ける。方向は下斜め45度、綾野の胸部の辺りだった。
綾野が長身であることを差し引いても角度的にはかなり下であり、その身長の低さをうかがわせる。茶色くブリーチがかったツーテールが視界に収まり、綾野がため息をつく。
「……お姉ちゃん、なんで何度呼んでも相手してくれないの?」
「……」
明らかに自分より年下の少女に『あんた反抗期か』と言われて、綾野がらしくなく怪訝な表情を作る。
目を向けている少女は皇 綾乃――業界筋で “理知の王女” と称される新鋭のプレイヤーである。綾野という苗字に対照するように現れた綾乃という名前の対称性と、綾野に追随するように研ぎ澄まされた策謀と頭脳のセンス。年齢面と経験面の差で綾野には劣るとは言われているが、将来的には “理知” という分野で綾野を捕らえると目をかけられている小学生だ。
“あやの”に引っ掛けて称された “理知の王女”は目に見えた綾野のサブネームのアナグラムであり、そこには敬意と蔑みが入り混じる。その実態を知らないものには『一度目は油断、二度目は策謀、三度目は威圧』――その敗北が約束されているとさえ言われている。
「……すーちゃんも来てたのですか」
「もー、年下相手に敬語なんて使わないでよ!」
すーちゃん とは 皇(すべらぎ)の頭文字を取った綾野から皇相手への愛称。綾野は皇に対して親しみと警戒心を持っている。心を許しているが油断はしない、そのポリシーは崩していない。
「ていうか 来ない理由も無いよね」
「そう ですね」
年相応の明るい声で綾野の敬語を戒めた皇が、その声を1トーン下げ、淡々と言葉を発する。視線を涼やかに、態度が一瞬にして凍る。ここにいること自体『あらゆる事情を理解していないと来れない境地』である。
その小学生は――皇はリスクとリターンを完全に把握し、並の大人以上の周到な準備を仕立て上げ、たたずんでいる。だからこそ『理知』の境地であり、綾野は皇の変貌にも全く動じなかった。『分別』がついている少女だった。
「……で、調子はどうなのですか すーちゃん」
「――どうにも敬語とすーちゃんの組み合わせは調子狂うよ……統一しない? 愛らしくまとめるか、大人相手のおねーちゃんか」
「……それで、調子はいかがですか。皇」
皇が頬に手をあて提案した選択をあっさり綾野が裏切って呑む。おそらく皇は前者に誘導したかったらしかったがもろくも裏切られた。
「もういいよお姉ちゃん。ごめんなさい、私が悪かったです」
「わかればいいです。「それで どうなのですか。本調子は出てますか?」
「うん、そりゃあね。PDA見せてあげる、じゃーん」
皇が腰に下げた兎のポーチからPDAを取り出す。そのミスマッチは妙に微笑ましく、それでいて違和感の漂いは隠し切れない。
「すーちゃん そういうのは人に見せないものですよ」
「え?」
皇がきょとんとした表情で綾野を見る。何を言ってるんだこいつ、という表情だった。
「ふーん。……でも、これが、私のPDAとは限らないよね?」
「――!」
先ほど見せた威圧の表情に皇が打って変わる。綾野が表情には見せないが、確実にひるむ様子を見せた。
「あれ、ひょっとして気づいてなかった? 合意による交渉で交換する、誰かの物を借りる、パクる、ひょっとしたらたまたまPDAをポーチの中に入れていてそこに即興でらしい映像を送り込んでミスリードを誘っているのかもしれない。可能性はいくらでも作り出せるよ」
羅列された『可能性』に綾野は反論できなかった。言葉を挟む余地さえなかった。
「お姉ちゃん、まだルールに慣れてないね。――それとも、マスターだということをひた隠すために無知を演出してるのかな?」
向ける刃が容赦ない。知る顔だからこその駆け引き、皇は今が『押す』フェイズだということを十二分に理解していた。
「……私を マスターとして指定するのですか? そう、解釈してよろしいですか?」
「――やだなあ。そう結論付けるには材料が足りないよ、ただ」
一息。
「決まったときは覚悟しといてよ、おねーちゃん」

【 特殊ルール “残像に口紅を” 細則 追記 】
・大会中、デッキの変更は( )回のみしか行えない。デッキの変更カウントは、デュエルを行った際に記録される(すなわち、デュエルをしていなければ、いくらデッキを差し替えてもカウントされない)
・上ルールは、デッキを( )回変更した際にPDAに表示される

 

皇の言葉がぞくりと綾野の胸を締め付ける。これが小学生の出す威圧感か、とたじろぎさえした。
「……今デュエルをしたいかしたくないか、と聞かれたら、間違いなく私は前者」
研ぎ澄ました声を一旦胸の奥に下げ、皇が綾野に話しかける。
「お姉ちゃんはどうしても厄介な敵だし、それなら早いうちに討伐したい。一旦敗北してカードプールが一気に縮小すればその後のデュエルは非常に苦戦を強いられて、大抵は芋づる式に敗北・退場することになってしまう。この大会、救済措置があるようで全く無いからね」
その皇の論理の根底には『自分が綾野を上回る』前提がある。年上相手に全く引く様子を見せない。
「もちろんお姉ちゃんを野放しにしておくのも一つの手だとは思う。だけど、どこにヒントがあるかもわからない、いつ大会が終わるかもわからない。その状況下なら私は今お姉ちゃんを狩る方を選択する。先延ばしはただの愚策だからね」
皇の視線は下から、だからこそにらみつけるような目線が綾野を縛る。嫌いなものは先に食べてしまえ、という食事のときの心理と同様のものだろうか。
「だから私は今お姉ちゃんにデュエルを申し込む。受けて、くれるよね? きっとおねえちゃんも、今私を狩らなければいけない理由があるはず」
「……」
(ええ。私には 今すーちゃんを狩らなければいけない理由がある。『一縷でも “本気で” マスターと思われている』から……放っておいてもいいとはいえ、それは逆に私がマスターなのではないか という憶測を増長させます。しかし 簡単に結論を出していい問題ではないのです――何故なら、あまりにも 完璧なプレイをしすぎると その場合も相応に疑われるから)
綾野は唇を甘く噛む。心の内、立ち回りを鈍ったかと考える。
(私の武器は自他共に認めるシミュレート――理知、です。だからこそ、ある程度仕立て上げられた完璧を通すことは出来ます。だからこそその完璧が仇となり うる可能性がある。……私をマスターと結論付けて、あらゆる可能性から潰しにかかる可能性が。私がマスターだからこそ、完璧なプレイング・カード選択を出来るのではないか という簡単につむがれる結論が。
もちろん、すーちゃんの間違いを是正しないまま進めてもいいとはいえ その場合私の立場が怪しいです。すーちゃんが退場するのは別にいいのだけれど 私 の目的は生き残ること。すーちゃんを消すことなのではないのですから。だからこそ 疑われると すーちゃんはあらゆる策謀を使って私の周辺情報を探ろうと する……他者と同盟を組み私の残存プールを探ること それを筆頭に作戦はいくらでも思いつく。私の情報が筒抜けると いくらすーちゃんでも……いや すーちゃんだからこそ 勝てる見込みは薄い。だからこそ、どう するべきか……)
戦っても 戦わなくても それ相応のリスクが伴う。だからこそ今は際立った正解を選択できないことを頭では理解していたが、それでも綾野は寸分迷う。
「……」
皇が左腕の内側につけていた腕時計を目に通し、呟く。
「もうそろそろ、リミット近いんじゃないの? あんまり悩みすぎるのも不利益だと思うけどな」
(確かに 10分を過ぎるとペナルティが下る可能性がある。仲林さんにデュエルの約束を取り付けている以上、断れない状況下で申し込まれたらかなり厳しい状況に追い込まれる……仲林さんとのデュエルを先に延ばすためにも ここは――)
「お姉ちゃん?」
それは催促するような尖った言葉ではなかった。親戚の子供が甘えてくるような、そんな甘ったるい声。
「……」
だからこそ、綾野はその皇の実像を知るからこそ余計に選択に戸惑う。相手は発展途上の理知。発展途上だからこそたどり着ける境地もある。先ほどのPDAの可能性を指摘されたようにに、自分の考察下に置けてない可能性をどこまで掴んでいるか判りえない。
「じゃあ、お姉ちゃん。これはどう?」
「?」
「もしかしたら、全ての参加者は、無意識下にマスターにされているという可能性」
皇に呑まれている。綾野は、自覚した。しかし、はったりとしてはあまりにも唐突過ぎる皇の持ちかけに、綾野は問い返さずに入られなかった。
「……どういう、ことですか」
「――要は、この会場……部屋の中に主催者側が用意した覆面デュエリスト――マスターなんていない、っていう考え方だよ」
皇がホールをくるりと見回す。いまだあらゆるプレイヤーが獲物を狙う研ぎ澄ました目で虎視眈々とたたずむ光景は崩れない。しかし皇もその光景に動じることなく、それらの参加者を見据え、続けた。
「例えるなら、ジジ抜きだね。知ってるでしょ、お姉ちゃん?」
「……!」
ジジ抜き。トランプゲームとしてはあまりにもメジャーな『オゥルドメイド』――ババ抜きのバリエーションルールとして生み出されたゲーム。同名のカードを 廃棄していき、最後に手札を――ジョーカーを残してしまったものが敗北するルールを持つ現代のババ抜きに対し、ジジ抜きはジョーカー2枚を含む54枚から アトランダムに1枚を抜き出し、その不確定な1枚を『ジジ』としてババ抜きにおけるババになぞらえるゲームだ。
しかし、現代におけるジジ抜きのルールは本来は『オゥルドメイド』と言われた古代のババ抜きとほぼ同一であり、どちらかと言えばジジ抜きがゲームとしては元祖となる。
(会場にいる参加者のうち誰かを一人指定することによって それをマスターとする――)
「感付いたようだね、おねえちゃん。マスターが参加者にいるとする……そして、その人は敗北した瞬間、自分がマスターだと言うことを認識する、何故なら?」
「マスターは、敗北してもカードプールが減らないから……」
「うん、そうだよね。ジジ抜き、って例えた意味も掴んだ?」
皇が自分の推論を確かめるように綾野に問いかける。年の差を考えると滑稽な光景ではあるが、見る人が見れば綾野が丸め込まれている様子に動揺をも覚えるところだった。
「そうなると マスターの人は一度敗北するまで自分がマスターだと言うことに気づかない。『手札が少なくなるまでジジがどのカードか判らない』と同一の意味ですね」
「うん、そうなると、あっちがばらまくと宣言しているヒントがあまりにも薄いことも納得行く。ヒントは、マスターが勝手にボロを出すことなんだよね」
「……」
「私はその筋道で参加者を探っていってるんだよね、お姉ちゃんの様子だとまだ負けてないだろうし、それなら例えマスターであっても気づいていないことになる。……いや、お得意の理知で押し隠してるのかな?」
その皇の表情は、小学生としての境地を離れていた。場数を踏んだギャンブラーでさえ、きっと一歩引かざるを得ない威圧。
「すーちゃん」
「……なに?」
「いや もうこの際真剣にいきましょう。……皇」
「――なに」
皇の声色が変わる。精一杯の威圧でさえ跳ね返す、その綾野の表情に畏怖さえ掴み取ったようなリアクションだった。
「その程度の弁論術で 私を騙し通せるとお思いですか。他の野郎には通せたかもしれないですが、そのミスリードはつぎはぎです」
その言葉を聞いた瞬間、皇が舌を打った。表情さえ崩さないが、明らかな憤りが見て取れた。
「あちら側はこうも言いましたよね 『全員敗退の可能性がある』と」
「……」
「皇が言う その形で大会が行われているとなると マスターと指定された『参加者』もしくはマスターを倒した『参加者』――どういう形にすれ『参加者』に 賞金が渡ってしまうのです。それだと全員敗退がありえない だから、マスターは主催者側の人間――参加者ではない “覆面デュエリスト” でないと成り立たないのです」
「……お姉ちゃん、いや、綾野さんも人が悪いよ。気づいてるのなら小芝居にのらないで、よね」
「そのルールで大会が行われると思わせることで私を緊張状態に追い込み 自滅させることを目論んでいたとは思うのですが まだまだ浅いです。だけど、これで再度納得しました 貴方を放っておくわけにはいかない」
綾野が眼前の皇をにらみつける。おとなげない、ではない。これは逃げられない真剣勝負だからだ。
「――!」
皇がたじろぐ。これが『女王』であり、自分が目指す高みを再認識したように一つ瞬きし、ポーチからケースを取り出す。
「上等ですよ、綾野……さん」
「はい 同じ椅子を争うものです。――それでは、雌雄……決着つけましょうか」
綾野は腕時計を見据え、数分後の未来に頭を馳せる。その間も、皇の自信ありげな表情は揺るがない。
(……未だ計測は『魔法の支配者』を示していますね……次の指定を確定させてからデッキチェンジし挑むのが得策ですが そうなると10分の規定をオーバーする……そうなると)
仲林。現状では一番危険視される存在であり、そのイメージが克明に綾野の中を駆け巡る。『残像に口紅を』下においてワンキラーの存在は非常に癌となる。禁止カード自体が1ターンキルの抑制に重きをおかれているのに、ルールの関係上禁止カードは制限カードと同様に扱われるため、相手に回すと非常に厄介な存在となるからだ。
しかしその分、ワンキラーは核となるカードを規制されるとビートダウン及びコントロールの腕――純粋なデュエルセンスは『普通の』トップランカーよりは一歩引く存在となるために危惧すべき存在ではなくなる。そのような、前半に猛威をふるうプレイヤー相手にむざむざ隙は見せられない。
(ここでもう皇を相手にしなければいけないのは確定事項 しかし、さすがに……やり手ですね)
自分とのデュエルを断ると規定の時間をオーバーするように仕掛けてきた皇は、確信犯だった。
「……気づいてるとは思うけど、私は大会前からずっと綾野さんの動向を見張ってた。概算で現状どこまでのナンバーを規制されているかも計算したし、それに 合わせて仕掛けさせてもらった。もっとも、私と綾野さんの指定パックが違えば――例えば『エキスパート・エディション』といった長期指定のパックが規制さ れていれば計算は狂うけど、今みたいな序盤なら――最低限の環境規制のためにおそらくはアンチランダムに指定されている今なら――計算がぶれることはない と確信していたから」
「さすが です」
しかし、それは裏返すと、皇もほぼ同条件だということ。
(パック指定が大幅に変則化――例えばエキスパートエディション等長期の間の予定が見えるデッキを指定さえ――していなければ 皇も私とのデュエル中にネクストパックへの移行が済みますし、そこまで分が悪いとも思えない……でしょうか)
「綾野さん、もう時間を潰すのは止しましょう。なんにせよ、結論はどうあがいても揺るがないのですから」
「ええ、そうですね。皇、しっかりと布石を練ってきましたか?」
「……今日こそは、ね。といっても、毎回毎回ひっくり返されてるから、全く信憑性はないのだけれど」
綾野と皇は相互に、性格心理分析や過去の自身の実績データ等を交換しあっている。『理知』の分野として情報は最大の武器であるが、それをわかりうる互いだ からこそ、自身のデータはそう簡単に漏らさない。二人が互いに掴みかねているデータは唯一、その互いのものであるので、彼女らは合意の上でデータを交換 し、互いの対策を練る協定を組んだ。
それらは全て、『自身が皇を(綾野を)理知的にいなすことが出来る』という確信があるため。何も知らなければフィフティフィフティである勝利確率を意図的にゼロサムに――もっと言えば、自身の勝利を確信しているため100%に――引き上げるための手段だ。
相手の性格心理分析からプレイングのコツや癖を読み取り、過去の実績データからデッキの方向性を読み取る。確率分布から初手の可能性を推理し、前述のプ レイングの方向性と合致させることにより、脳内でもう一人の綾野(皇)を作り出す。そうすれば、後は自分がその脳内対峙相手をいなせるようにプレイングの 方向性やデッキ、確率分布を修正していけばいいだけである。
――何も才能を持たない一般人に取れば、彼女らの光景はあまりにも滑稽に見える作業だろう。いかに相手のデータから方向性を推測立てたとして、そう簡単に思い通りに動くとは考えられない。しかし、彼女らはそれらを可能とする力を持つ。それが、綾野が理知と言われた所以であり、その域に唯一踏み込んだ少女が――皇なのである。
彼女らの持論は『初手と、デッキの内容と、対峙相手のプレイングの癖さえ頭にあれば、デュエルの結果はやらなくとも見えている』ということだった。デュ エルの経過は、無限の可能性に見せかけた実は細い一本道。デュエルの経過が無限の可能性に満ち溢れているのは、そこにプレイングを加味すればだからこそ。
各々のプレイヤーが使えるプレイングは一つしかないわけであるから、当然未来も一つである。無限の可能性を同時に履行することは出来ないのだから、だからこそ自身を修正していこうという、いわゆる “ラプラスの悪魔” の全否定である。
よって、彼女らにとって『デッキ』『初手』『プレイング』『その後の確率分布』等々、全てが読まれているのは当然である。もちろん、『プレイングが読まれていることを見越した上での強引なプレイスタイル修正』でさえも『読んでいるプレイング』の一部である。だからこそ、見透かすのは一手先ではなく、五手先。
(この状況下、皇が選択するであろうデッキはおそらく私とミラーな……『ハーフロック』――フィフティデッキ、でしょう。ここ最近いただいた諸データと照らし合わせても、皇の基幹思考はどんどん私に近づいている 私に並行するのも時間の問題といった所でしょうか。私はこの カードプール下においてはコントロールデッキを選択する 半ば構築パニックにかかることにより実績の……データのある相手のデッキでさえ完全に読みきれな い以上、相手の方向性を熟慮する必要性がありますから……
ならば 私とほぼ相似する性格分析をかんがみてもデッキのパーツを含め ほぼ全ての要素においてまさにミラーマッチ……そうなると勝敗を分けるポイントは軌道修正 いかに相手の構想下にない行動で未来を捻じ曲げるか になります)
「さて……いいでしょう デュエル、しましょうか」
「はい、綾野さん。よろしくお願いします」
「今日こそ、一矢報いることが出来ればいいですね」
「――そうですね」
綾野の皮肉とも取れる発言に、皇が微笑を浮かべて返す。見え見えの挑発に乗るほど、皇は子供ではない。互いが互いのデッキを手渡しヒンズーシャッフルを促す。しゃかしゃかとザラ紙がすれる音が二人の耳元に響き、ぴりぴりと緊迫感が伝わっていく。
「……」
「どうぞ」
ぱし、と手の平にデッキが乗っかる。綾野はそれをぎゅっと握り、改めて眼下の皇を睨みつける。
腕時計を一瞥し、
(……残り、1分半 先攻後攻次第で まず1回未来が変わる――)
脳に広がる2つの未来を一気に広げる。決闘盤が示すターンランプは皇を指した。
「皇、どちらを?」
「――後攻、ください」
(やはり 私と同じ思考回路を――抹消パックを確定させてから動く魂胆ですね!)
「ええ、それでは はじめましょう」
ぱぱぱぱ、と軽やかに互いが5枚のカードを手に取る。

「「……デュエル!!」」

「ドロー」
ドローカードを綾野は確認すると、それを手札に加え軽くシャッフルを行う。
「1枚モンスター及び、伏せをセットして、エンドします」
2枚のカードを器用に掴むとディスクの最右及び最左のテリトリーにセットする。じゅいん、じゅいんと特有の機械音が響き、二人の眼前に2枚のホログラムが表示された。
「――ドロー」
対する皇が、人差し指と中指の間に掴むドローカードを一瞥すると、一つ考え込む仕草と、腕時計に目を向ける仕草を行う。
(……1分半、私の移行は……)
無音で、綾野のPDAが『仮面の呪縛』を示す。
(……! アンチランダムであれば 恐らく『黒魔導の覇者』を狙い打ってくるはず――ここからがついに、ランダム なのでしょうか)
同じようにPDAに目を向けていたであろう皇が一瞬瞳孔を見開いたかと思うと、ゆったりとしていたペースを崩す。
「――メインフェイズ! 《天使の施し》発動、リアクションは?」
「ありません」
「わかりました」
ぱぱぱ、と皇が3枚のカードを掴み取り、
「……」
《魔導戦士ブレイカー》と《レベル制限B地区》を墓地に送る。
(おそらくは 皇の指定は不運にも『黒魔導の覇者』が当たったのでしょう。明らかに不自然と思われる――強力カードである――《魔導戦士ブレイカー》のディスカード これによって今自身が指定されているパックを私に漏らすことになりますが それでも《禁止令》下に置かれるカードを無駄に手札にプールし続けるマイナスアドバンテージ その2つを天秤にかけた上で前者を選択したのでしょう)
「さらに――」
(そうなると疑問になるのが、強力制限カードを選択しているなら封殺リスクを一秒でも回避するため先攻を取るのがスタンダードということ。皇もデッキ変更回数のリスクに気付いたゆえのことか……それとも 私の思考にある皇の移行パックを『黒魔導の覇者』と思わせるミスリードをするための――最初の『ずらし』でしょうか 確定のためには情報が足りないですね)
「1枚のカードを伏せ、《D-HEROダイヤモンドガイ》召喚!」
「――! はい、OKです」
普段使われ慣れない、言わばカジュアルナイズのカード。実戦至上主義の皇の選択としては蚊帳の外であろうと思っていた召喚に、ほんの寸分綾野が動揺を見せる。
「……効果を使いましょう。めくりますよ」
「はい」
「デッキトップは……《抹殺の使徒》、です。次のターンに機会があります」
皇が、掴んだカードをセメタリースペースに吸い込ませながら処理を淡々と進めた。
「わかりました」
「――ターンエンドです」
淡々と、粛々とターンが経過する。ドロー、軽く綾野が口にし、手札と場を一瞥、あらゆる可能性を考慮する。
(ここまではシミュレーションから十中八九外れてはいない……ただ、《D-HERO ダイヤモンドガイ》の採用と《魔導戦士 ブレイカー》のディスカード、そこから意図的に未来をずらす目測が考慮できます ただ、決してそこまで致命的、決定的ではない まだ――まだ 平穏なプレイングで大丈夫でしょう)
まずは、《抹殺の使徒》に対する回避処理を、至極当然な回避手段を選択し、行動に移す。
「反転召喚――このカードは《黒き森のウィッチ》です。チェーンは ありますか?」
「いいえ、どうぞ」
「続けて召喚します――《二重スパイ》――コントロールをさしあげます」

《二重スパイ》 闇/魔法使い族 ☆4 2400/1000
このカードの召喚に成功した時、このカードのコントローラーは相手に移る。エンドフェイズ毎に、相手は1枚ドローし、1枚捨てる。このカードは墓地から特殊召喚できない。

問いただす間も無く、綾野がトランプカッターを模するスタイルでカードを二本の指で挟み、スローイングする。それは意外なほど綺麗な放物線を描き、皇の足元にぽと、と落ちた。
「……綾野さん、トップランカーらしからぬカードの扱いですね。子供のお手本にはなれませんよ?」
皇が、足元のカードを肢体を折り曲げ拾い、軽く払ってからディスクにセットする。
「――わたしは 元々そんなたいそれたロールプレイは できないです」
一瞬悲しげな、それでいてこれまで見せたことのない複雑な微笑を綾野は浮かべ、言葉を返した。
「……続けましょうか 伏せカードを追加して、ターンエンド」
それと同時に綾野は手札のドロー&ディスカード、リシャッフルを行い、改めて皇をにらむ。
(私の推測が間違っていなければ 《魔導戦士 ブレイカー》ディスカードの意図は、『あれ』なはず)
「ドローします」
皇はドローしたカードに目配せし、手札の真ん中に加え素早くかき回す。そして、ぱち、と大きく瞬きし言葉を吐いた。
「……綾野さんのプレイスタイルの基本は『五手先』であること、このことは私が貴方の域に手をかけたときからずっと、ずっと教わってきました」
「わたしは特に なにも教えてはいませんよ?」
「そうですね、私と綾野さんは別に師弟関係を結んでいるわけではありません。私が勝手に綾野さんを崇拝、リスペクトしているだけです。そして、常に私は綾野さんの読みに裏を斯かれ、敗北してきました。そのたび苦汁を味わってきました」
「そう、ですか」
「でも、今日こそ私は綾野さんを超えて見せる。今の綾野さんの思考回路、手札、私に対しての読みの角度……全てを見透かせているように脳が回転しています」
皇の髪が揺れる。幼げの残る表情と威圧感のミスマッチが、相変わらず辺りを包む。
「いき、ますよ――」
「はい」
「《黒き森のウィッチ》を召喚――レスポンスは、ありませんか?」
「スルー しますよ」
(3体……それが 貴方の思惑であり、私の思惑通り進んでいるかどうかを確認する一手ですから)
「《D-HERO ダイヤモンドガイ》を含む3体のモンスターを生け贄に捧げた特殊召喚、《D-HERO ドグマガイ》!」
「……!」
(やはり、狙いはそこだった。《魔導戦士 ブレイカー》のディスカードの狙いはここに集約されている。皇が《魔導戦士 ブレイカー》をディスカードした意図は、《D-HERO ダイヤモンドガイ》の深層の意図をカモフラージュするため。召喚の優先順位を《魔導戦士 ブレイカー》より《D-HERO ダイヤモンドガイ》に重きを取ったことを考えると、おのずと思考回路が傾斜する。
あの状況下であれば、皇の選択は、通常魔法に大きく幅寄せした「《D-HERO ダイヤモンドガイ》ブーストのハーフロック」――普段の皇のデッキの性格分析を考えてもこの結論に落ち着くのは当然……。一刻も早く《D-HERO ダイヤモンドガイ》を召喚するように構築されているデッキであるため、《魔導戦士 ブレイカー》が必要なく、捨てたということ ここからさらに『ずらし』の意図を含有するミスリードなのではないか というあらぬ誤解――無駄な警戒が生じる。
少なくとも、何の脈絡もなしにディスカードすれば思考の方向性は『黒魔導の覇者』の禁止化一択に固まり、迷いが残らない。その誤解は非常に大きい。《魔導サイエンティスト》《同族感染ウィルス》を考慮し、一気の展開を踏みとどまらせる余裕が出来る。
《D-HERO ドグマガイ》を目的とする《D-HERO ダイヤモンドガイ》を、その深層を隠し単にコントロールデッキの1パーツとして受け止めさせ、さらに《魔導戦士 ブレイカー》のディスカードによって思考を分散させる……。
しかし実際は私が「《溶岩魔神ラヴァ・ゴーレム》等のフォース(押し付け)タイプに寄せたコントロールデッキ」ということを読んだうえで、押し付けられたモンスターを有効利用するべく、品質のいい上級モンスターをどんどん利用していく極端な上級シフト!
決して《D-HERO ダイヤモンドガイ》が主役なのではない もちろん《魔導戦士 ブレイカー》もそうだ。ただ、一連の流れで主役に見せかけられて ことを運ばれた。……このルールを 十二分に利用した戦略といえるでしょう――)
「……チェーンは? 《黒き森のウィッチ》の効果で《雷帝ザボルグ》を手札に加えます」
「ありませんよ」
「――いやに不気味な沈黙を貫きますね、……いいです。バトルフェイズ、直接攻撃!」
「そこは《和睦の使者》を使います」
「ターン、エンドです」
その間も無く、《D-HERO ドグマガイ》のエフェクトが発動し、綾野のライフが半減する。しかしその表情を全く変えることなく、綾野は思索をめぐらせる。
「……」

ライフポイント — 綾野:4000 皇:8000

「……」
(しかし 皇はやはり、幼げです。――あらゆる可能性を考慮することを義務付けられているのは、デッキだけでは ないです)
綾野が深く深く思う。決して表情には出さない、それでいて勝利を確信した思慮だった。
「残念ながら」
「――え?」
「残念ながら、皇の読みは 甘かったですね」
「……どういうこと、ですか」
綾野の口から吐かれる言葉がはったりではないことを経験則から察知した皇が、ぎり、と歯を噛み締め問い返す。
「私のデッキを、心理分析とスタイルから読み取りフォースタイプと予測 それに合わせた上級シフトの選択、戦術は見事でした。また、当該のルールを十分に利用した撹乱、戦術との絡め方も非常に良かったです」
「……ご批評、ですか? そういうのは綾野さんが勝利なされてから、でお願いします」
皇が皮肉たらしく、ライフカウンターに目配せし言葉を返す。
「――まずは《心変わり》を使います、直接攻撃……通しますか?」

ライフポイント — 綾野:4000 皇:4600

「いいでしょう」
前口上に憤りを感じた皇が、ふつふつと沸く感情を抑えつつ慇懃に言葉を返す。
「さらに……《乞える溶岩使い》を召喚、コントロールを差し上げます」

《乞える溶岩使い》 炎/魔法使い族 ☆4 2100/1000
このカードの召喚に成功した時、このカードのコントローラーは相手に移る。エンドフェイズ毎に、このカードのコントローラーは400ポイントのダメージを受ける。このカードは墓地から特殊召喚できない。

「……はい」
「だけど、まだ 貴方は私の域にはたどり着いている とは言いがたい。そこまでの努力をしながら 何故もう一つ派生した手段をとらなかったのでしょう?」
「意味が、よくわかりません。……時間は何の比喩もなく押してますし、本題を」
「――ええ 私が提示した 見えるものが まさか全部真実だと 思っていますか?」
「……え」
「2枚のカードを伏せ ターンエンド、です」

ライフポイント — 綾野:4000 皇:4200

皇が、その綾野の前置きに何か恐怖さえ感じた。しかし、その正体は判らぬまま、ターンは進む。
「ど、ドロー……メインフェ」
「待ってください、スタンバイフェイズにカードを発動します。リバースカード……《生贄封じの仮面》!」
「!!」
普通に考えれば採用されるはずがない、来るはずなかったモスト・オブ・メタカード。皇が反射的に自分の手札を見、3枚含む封殺カードに対して舌を打つ。手札の《雷帝ザボルグ》、《氷帝メビウス》、《D-HERO ダッシュガイ》が一気に無と返され、手札の濃度が一気に揺らぐ。
(なん、ですって……!?)
「ピ、ピンポイント対策カード……どうして――」
「簡単なことです。私は当初から貴方に会うように歩を、そして時間経過を進めていたのですから」
「!!」
(一連の接触……あれからの綾野さんは全て――演技!?)
「え……!!」
思わず、皇の声色が引きつる。自ら、綿密に警戒して仕掛けた一歩目が――『先手必勝』と仕掛けた一手が先に見破られていたという失意が芽生える。
「そうなると簡単です もう一つ考慮すべき点は貴方の傾向 そこをしっかり読めば何も危惧すべき点はありません。もちろん、メタのメタによる上級シフト、それも読んでいましたよ?」
「うそ、でしょ……デュエル中、確かに綾野さんは私の戦術に対し、撹乱され、方向転換をするアクション、思考が見えた――」
「そこまで察知できるほどには上り詰めてきましたか……ええ、確かに私は『本気で』そういうことを考えましたよ。結論はわかっていますが それをひた隠 し、まるで奇襲されたかのように振る舞い論理を組み立て直した――もちろん、最終結論はとっくに、デュエル前からわかっていましたが」
それは言わば思考ルーチンが一定である将棋ソフトに向かい次の一手を考慮し、勝利が確定する棋譜をなぞるようなもの。結果はわかっているが手をこまねくことで、まるでごく自然な一戦をしているようにみえるから。
「同じ畑のプレイヤー相手だからわかります。考える『そぶり』だけでは貴方を騙しきれない。騙すからには『本気で』考えないといけないんです」
「や……でも――なんで――私は綾野さんがデッキチェンジをする暇がない時を狙い仕掛けた……まさか、私に話しかけられるまでずっとそんな、私に徹底メタを寄せたデッキを使用するつもりだったんですか……」
「そこが、貴方の甘いところですね。ルール、ちゃんと頭にはべらせていますか?」
綾野が手札をひとたび、ぱちん!とはたき、続ける。

「デッキが一つしか所持できない、なんてこと 言われてました?」

「!!」
「恐らく貴方なら理解しているでしょうからあえて言います。この大会にはデッキの変更回数規制があるから、逐一のデッキ変更は出来ない それが盲点なんですよ。だから、考えが及ばない デッキを2個3個持つメリットは通常感じられませんから。しかし、こういう例外があります。この度の貴方のように動向を マークされていた場合 その場合デッキの複数所持はメリットを生じさせます。万が一デュエルを観察され、デッキを掴まれていたとしても この方法を取れば 危険は回避できますから」
「あは、あははは……」
やられた、そんな4文字を今にも吐き出さんような苦笑いを皇が作る。
「皇は 読み勝つ自信を乗っけて挑んできたのでしょうが 甘いです。そもそも読む『スタートライン』を勘違いしてたんですよ どうしますか? 《生贄封じ の仮面》を筆頭に、貴方のデッキスロットを完全に考慮したデッキに私は寄せてますよ。時間の無駄を承知で 続けますか?」
最後の言葉に、皇は俯き、そして柔らかく笑い、前を向き直す。そして、サレンダーの意図を込めて 言葉を発した。
「参ったな やっぱり、綾野さんは――最高の、いや――さいっあくの、ペテン師です」
綾野は一瞬考えるそぶりを見せ、たった一言だけ、返した。
「褒め言葉として 受け取っておきますよ」
皇の精一杯の皮肉であり、最大の敬愛心を詰め込んだ言葉に対し綾野はゆったりと言葉を発する。それを聞いた皇も微笑を浮かべ、してやられたという表情を浮かべる。
「先ほどの言葉は……サレンダーの意図として解釈してもいいのですか?」
「ええ」
「始まってまだ、開始数ターン まだまだ持ち返す手段があるのでは?」
綾野の問いかけに、皇が一つ大きく息を吐く。そして、再度トーンを下げ――心持ちを戻す。
「……本気で、おっしゃってますか? もし、そうなのだったら綾野さんは本当の意味で容赦ない。負けは9割9分確定している状況下、そしてこの対戦のネームバリュー上どうしても外野の注目は避けられない。大会という性質上ガン見はされてないとは言 えど、これ以上無駄に戦力を見せれば 他のプレイヤーに解析、悪用もされかねないでしょう。勝ちもしないのに無駄に戦力をさらし続ける……言葉通りの『晒 し者』――それを、私にお奨めするのですか?」
気づけば――神経を研ぎ澄ませばわかる程度の――ほんのかすかな殺気が辺りを包んでいる。数十の視線があたりを取り囲み、にらみつけているような錯覚さえ漂っていた。
「一人ひとりの情報量は微々たる物としてもそれを集約すれば私は丸裸です。外堀から埋められたら……解剖されていったらさすがに立つ瀬はないですよ」
皇が両手を軽く肩まで掲げ、『お手上げ』のポージングを作る。そのまま、左手に持つ手札を無造作にデッキスペースに差し込むと、ザラ紙のすれる音があたりに響いた。
「サレンダーですよ……さて、どういう風に罰ゲームが来るんでしょうかね」
それは、取り様に取れば初めて負けたことに対する嫌味もはらみかねない言葉だが、綾野は負け組に該当しない以上、そこには何も感じない。皇も相手次第ではそれ相応の分別はつける。むやみに相手を刺激する言葉は吐かない。
「ああ、なるほど」
皇がPDAを見据え、納得したように呟く。
「はい、綾野さん」
「?」
皇が自然な振る舞いで綾野にPDAを突きつけるが、その行動に納得しきれない綾野が首をかしげる。
「綾野さんが、こちらに直接エントリーナンバーを打ち込まないと敗戦処理はされないみたいです」
「PDAに、ですか?」
「そうみたいです。さすがに高性能を誇る決闘盤でさえもそこまで簡単に処理はできないようですね。――おそらく、このPDAでどのプレイヤーとデュエルし たかを確認し、打ち込んだプレイヤーのログと照合することでデュエルの確認をするのでしょう。ここで他人のナンバーを打つと、ログとの不一致が生じて罰則 が来そうですから、十分な確認をして、お願いします」
「……はい ――打ち込みました」
綾野が自分のエントリーナンバーを――128を――打ち込み、エンターキーを押す。瞬間、新しいウィンドウが開き、猛烈なスピードで文字列が展開する。その様子を一瞥しながら綾野は皇にPDAを返却する。
「ありがとうございます」
「いえ」
「――処理が終わった、ようですね。いよいよ罰ゲーム、執行ですか」
『罰ゲーム』『執行』、言葉の羅列に強烈な皮肉を含ませ、皇が呟く。器用にPDAをいらい、ガイダンス通りに画面を展開させ――『消された』パックを確認する。そして、表示を見据えていた皇が眉をひそめ、頬をぎゅっと人差し指で押さえた。
「うわ――残酷、ですね」
頬の形を指で潰していた皇が視線を綾野に向け、微笑を浮かべる。
「あや……いや、もういいや。おねーちゃん、執行の具合に興味、あるんでしょ?」
「いや ……そういうわけでは」
そう答えつつも綾野はたじろぐ。核心を刺し違える言葉であり、皇はそれを柔らかく鋭くくじく。
「おねーちゃん、嘘つくの下手だねえ。あはは」
「……」
「いいよ、見せてあげるよ」
ふっと皇が戻した表情に綾野が一抹の不安を感じる。そして、思う。何かきっと、裏がある、と。
「冗談 の雰囲気ではなさそうですね。情報開示を自ら率先するということは ある程度の見返りを求めているのでしょう 何が、望みですか?」
「やだなあ。ご好意なのに」
「……」
「ホントだって。そんな何か奪おうなんて腹は持ち合わせてないよ」
「……」
「信じてないね」
「ええ」
皇の懐疑と、それに対する綾野の即答。プライベートで友人である、という片鱗を全く感じさせないやり取りに皇が一つため息をつく。
「わかりました、納得する理由を考えます」
「考えます ですか」
「……そうね」
皇が10秒近く悩み、唐突に呟いた。
「敗北に対しての、プレッシャー増大。これを見たら、きっと負けられなくなるよ。PDAを見て、プレッシャーからせいぜい凡ミスしやがれ」
人差し指を突きたて、綾野の胸の前に指差す。表情は笑顔だが、言うことはとてつもなくえげつなかった。
「……いいでしょう 見させてもらいます」
その厚意に、ようやく綾野が警戒を解く。そして、見定めた現実は、あまりにも厳格なものだった。
「……いいでしょう 見させてもらいます」
「9個、確かに消されました PDAに表示されています。一個一個、順番通りに読み上げていきますね。Flaming Eternity 、Duelist Pack 万丈目 、Limited Edition 8 、天空の聖域 、Power of the Duelist……」
「まだ 軽いじゃないですか 運が良かったと思いましょう」
綾野が呟いたその言葉に、皇が待ってましたとばかりに表情をゆがめる。
「本当にそう思う? 続いて残り4つ、言いますね Duelist Legacy 3」
「!」
皇が6つ目に呟いたパックは、1パックという名の統括パック。そのダメージは、想像以上に――想像通りに大きい。
「新たなる支配者……そして」
「……」
「Expert Edition 2 及び 3」
「!!」
なるほど、と綾野が思う。その意味をよく掴んだ。
(初めにあげられたパック群は非常に軽量 ダメージもごくわずかなもの ……しかし、後半部は酷としかいいようがない レガシーシリーズはおおよそ3パックをひとまとめにし、エディションシリーズは4パックをひとまとめにする アトランダムに9パックとは名ばかりで 実際のダメージにはもう少しブレが生じる……)
「ぶれが生じる……」
綾野が思いを馳せる頃、皇があわせるように一言呟く。
「……とか、思ってるんでしょ? 手に取るようにわかるよ」
「ええ、その通りです。アトランダムとはいえ、不運だったのではないですか? 概算で言っても10以上のパックが一気に規制されたのですから」
「不運、不運ねえ……」
皇が、顎に立てた手を離さぬまま一考する。
「そうでも、ないよ。負けてその逃避に言い訳するのは褒められた行為じゃないね。勝てば官軍、負けなければ不運も何も無い。ここは、そういう業界でしょ?」
十代半ばもない少女が呟くにはあまりにも異質なセリフだが、どうしてか似合う雰囲気がある。それほどまでに皇は、深層を知り尽くしている。わかってはいたはずの返答に、綾野はやはり違和感を感じるのを隠せない。
「まあ そうですけどね」
「……ま、全てを失ったわけじゃない。希望はあるし、負けたことによって得たものもある」
「?」
はったりか、本当か。意味深に吐かれた皇の言葉に、綾野が頬を傾けた。
「ま、思い過ごしかもしれないし、過信かもしれない。秘密秘密。気になるのなら、お姉ちゃんも負けてみたら? 多分思うところがあるはずだから」
「いいえ、遠慮します 意地でも負けないです」
「だろうね」
「ま、お姉ちゃんもこれから頑張ってください。私はまだ勝負を捨ててないですから」
ふん、とふんぞり返った様子で皇がけたけたと笑う。その表情には皮肉も偽りも、全く無い。本心から、現状を楽しんでいる様子だった。
「そうですね この程度で大会を捨てるようでしたら、私は貴方を軽蔑してました」
「うん、ありがとう。いつか絶対 寝首を掻いてあげますね」
「はい、楽しみに待っております」
とてつもなく物騒である会話ながら――表情は双方、柔らかい。互いが、互いに上り詰めることを楽しみにしている表情だった。
「ただ、こりゃなんていうか、かなりのダメージだね。それじゃ、私はデッキチェンジをしてくるから。さっさとしないとスタッフにどやされる」
「ですね、頑張ってください」
「うん、それじゃ、最後に負け犬らしい言葉を吐いていきますね」
すう、と皇が息を吐き、極上の笑顔で言葉をぶん投げる。
「覚えてろよー」
「はい、『おとといきやがれ』」

(皇相手には勝利できましたが、このルールアドバンテージは痛いかもしれませんね)
まだこの目で確認していないとはいえ、デッキの変更回数規制があるのは確定。しかし、問題はその規制が『何回変更したときに予告が来て、その変更回数は何回なのか』。これによって デッキ変更の妥協ラインが大きく変わる。
(推測は 可能ですが……)
仲林の姿を思い返しながら、深層に証明をはべらせていく。
(あの時の仲林さんは変更規制のルールに警戒をしていなかった よって、ほぼ最短速度で「警告」が表示されたと見るべきでしょう。私が仲林さんの姿を確認 し、そしてその一瞬の動揺のルールを確認したのが――確か21時30分過ぎ。まだワンキラーに取ったら「無法」状態に近い現状のカードプールのことを考えると、1ターンキルに要する時間は5分~10分。
先攻・後攻が2分の1で配分されていると仮定した場合 2デュエルが約15分でこなされていると仮定できます。30分過ぎにあの姿が確認できたとなる と、おそらく仲林さんが警告を受けたのは4デュエル後。4デュエルで警告……となると、救済措置の性質上 警告を出す段階は5割を超えるはずが無い。最低でも8回は変更可能……いや、キリを考えれば10と考えるのが妥当でしょうか)
22時数分前の時計を確認し、ホールを改めて見渡すと、心なしかデッキ調整のために隣の小ホールに向かう人のばらつきが少なくなっているように感じられる。
(1セットデュエルを考えると、1時間で4戦こなすのは十分現実の範囲内。そうなると、警告が表示された人もぱらぱらと出だすのも必然でしょう)
皇メタシフトに大きく幅寄せしているデッキは、相手をかなり選ぶ。そのうえ、カードプール規制が『仮面の呪縛』を通過しているため、《生贄封じの仮面》が現状でバンニングの状態であるということ。それが意味するのは、デッキがかなり骨抜きされているということだ。
(大会開始前から、変更規制ルールについては読んでいたとはいえ 確定は出来なかった。だから、カードプールは最低限しか気にしませんでした……が、ここで大会開始後として……一度目の補充と考慮が必要、でしょう。カードプールをばらしつつ、情報を集めましょう)
今後の方針を確定させた綾野は、隣の小ホールに向かう。
いつの間にか、会場からは4分の1のプレイヤーが、消失していた。「一度堕ちれば救いが無い大会」――今大会を評する皮肉はそれだった。何も比喩も無く『たこ殴り』されたプレイヤーの末路は、そこに集約されていく。

21:58 … 綾野指定パック『仮面の呪縛』 現状禁止確定:PP5 , MR , 306

(それにさっきの……皇とのやり取りはなんだったのでしょうか 最後の――PDAの打ち込み――)
カード補充の為の小ホールに向かい歩を進めながら、脳を休ませずただただ考える。
(何故、PDAの打ち込みが必要だったのでしょうか……私は皇との対戦前に既に2戦こなした……しかし、その勝利の際にはあのような儀式は存じなかった。マ スターは敗北してもパック消失はされない その理屈から「マスターは敗北してもその件についてPDAの打ち込みはしない」⇒「表面上敗戦処理がされていな いためマスターは敗北してもパック消失はされない」 そう論理帰結をしたとしても、それは矛盾する……私は、既に2人と対戦していたから。この論理が通るとなると、マスターは2人存在することになる。
もしくは……もう一つ考えられるのは、皇が何か適当なウィンドウを開き、そこにもっともらしく手続きをさせることによる状況の錯乱狙い。私が画面を確認したのは処理の 終始のみで途中経過はそう見られたわけじゃない だから、皇の最後の攻撃とも取れる……しかし、その可能性はそう考えられるものじゃない 表情を見るに、 あれは本心のものだった。同系列のプレイヤーだからこそわかる表情……万が一皇がPDAを使って仕掛けたとしても、その攻撃によるメリットがあるとは考えにくい。となると、PDAに打ち込みをさせたことは、主催者による故意……)
「……っ――」
肩から首筋に通る一瞬の偏頭痛に綾野は表情をゆがめ、軽く首を振る。
(この大会は わからないことだらけです)
『故意』に仕掛けられた数々の穴と、使途不明の仕掛け。
(デュエルをしないことを当初ルールとして禁止しなかったセキュリティホールや、『デッキ変更回数規制』を明示しなかったこと、極めつけにはこのPDA――どうにも疑問点が多すぎます それに、ヒントはばらまくと言っておきながら 一向にその気配が無い現状……もしかしたら ヒントの出されるトリガーは敗北 なんでしょうか それなら皇の「負けたことの意味もある」も筋が通るし もしかしたら皇の言う「オゥルドメイド」も……いや 惑わされるな、それはない。それは「全員敗退」宣言に矛盾が生じる ただ、敗北がトリガーというのは捨てきれないですね……もしかしたら ヒントはばらまかれていないのではなく、ばらまかれているのに気づいてない という可能性も……。
主催者が仕掛ける「穴」がヒントだとしたら? ……そうだとしても、その「意味」は全くわかりません。わけが――わからない――)
数刻歩き、綾野の左手側に小ホールの影が移る。頭の痛みが消え去ったことを確認すると、表情を整えホールの中に入場する。ある程度のプレイヤーが隠しルールである変更規制に気づかされたとはいえ、それでも変更に頼らざるをえないプレイヤーは少なくない。
がやがや、という擬音が似合う程度には人がざわつき、怪訝な表情でカードをにらむ人により発せられる殺気があたりを包む。綾野が入った瞬間、数十の瞳が彼女をにらみつける。しかし彼女は寸分の動揺やひるみを見せることなく、たじろぐことなくホールの中を進んでいく。
数メートル進むと綾野の左目に皇の姿が映る。係員に何かを伝え、カードを受け取る様子が克明に写る。おそらくは、必要カードの発注だろう。
(読唇で発注しているカードを確認するのは……ヤボでしょうね どうせ 今大会では彼女と再選することはないでしょうし)
一つ考え、綾野が視線を外に向ける。
(しかし……)
再度綾野が皇に向けると、彼女は口に手をあて咳き込んでいた。心なしか表情が土気色がかっているようにも見える。
(私も彼女と対戦すると極度の緊張――デュエル後に変調をきたしますが……今のすーちゃんは相当きつそうですね 堪えたのでしょう)
視界に入る皇が右足のバランスを失いふらつく。辛うじて転倒だけは免れたが、その様子に周りの数人さえぎょっとした表情を見せた。
(大分 きつそうですね……周りに発注カードを読まれないように口許を隠すことさえ怠る……余裕がないのでしょう 医務部の場所だけは確認しておきましょうか)
彼女は歩きもって決めていた希望カードを空いている係員に伝えながら、思う。もちろん、あたりのプレイヤーの位置を確認しながら、死角をさぐりつつ。

22:25…

「はっ……はぁっ――!」
皇が左手を女子トイレの手洗い台につき、右手をこめかみを抑えつけるように持ちながら、息を荒げていた。
(ま……ずいっ――!)
とっくに胃の中の吐瀉物は全て流れ出て、焼け付くような胃酸が時たま流れ出る程度だった。痕跡を残さぬよう、迷惑をかけぬよう水を荒い勢いで流しっぱなしにし、必死に体調を治めようとする。
(いつもより後発の症状がきつい……! 綾野さんとのデュエル後はどうしても脳の過重が直接体調にダメージとなります……けど、今日はっ――あ!)
空っぽの胃を搾り出すように胃酸が喉を逆流し、滴り落ちる。かれこれ彼女が手洗いにこもり25分が経過していた。
(こんなとこで……時間を潰しちゃったら……逃げられない状況になってしまえば――!)
皇の脳裏に仲林の姿がよぎる。このルール下における仲林はまさに『ハイエナ』。決して皮肉でも蔑みでもなく、嫌味でもなく性質が『ハイエナ』なのだ。
(ハイエナは動物の死肉を漁る『後喰らい』。この大会における仲林さんはその性質を信条として動いている。30分のデュエル回避制限時間から漏れてしまったプレイヤーを――放送されたプレイヤーに勝負を求め、潰していく。ワンキラーにとってこのコミュニティの形態はアドバンテージ……放送により名指しでデュエルの回避を出来ないプレイヤーが発現するため、狙いを定めやすい。消去法で候補を消していくという形で自身の網を狭めていく……! そうなると……)

『皇様――第一次警告を勧告します』

(デッキの作成に5分は使ったことを考慮すれば、丁度予測された時期に放送された……さっさと体調整えて、待ち伏せされる前に違う人と勝負を……)
手を洗い、口をそそぎ、ふらつく足に力を入れなおし――壁に手を添えながらゆっくりと歩いていく。
(とりあえずホールのほ――)
今後の展望を馳せながら、手洗いから足を出した皇の眼前に、居てはならない存在があった。
「――!」
仲林が、数メートル離れたところの壁でもたれかかるように、腕を組み自信たっぷりの表情を作っていた。『待ち伏せ』という言葉が似合うその情景に、思わず皇がひるむ。
「お待ちしておりました」
「な……」
思わず 仲林 の名を口から出してしまいそうになるがそこを抑え、平静を装う。
「……レディーを、トイレの前で待ち伏せるのは褒められた行為じゃないですね?」
今の自分の顔色はどうだ、不良を隠しきれているのか、不安が渦巻くが、それを決して表情には出さない。
「だから、ちょっと気持ち程度、離れた場所に居たじゃない?」
「とても、余裕そうですね。一桁のランカーをまさかタイムオーバーで貪れるなんて予想だにしていませんでしたか?」
(とにかく、引き伸ばせ……せめて最低限正常な脳と精神状態が戻るまでは――!)
脂汗が垂れる耳元をぬぐいつつ、皇が青色吐息の様相で質問を投げかける。
「うん、そうだねえ。まさか綾乃ちゃんともあろうお方が、こういう隙を与えてくれるとは想像できないでしょ」
「……おあいにく様です、女の子には色々あるもんですよ」
「ごめんね。体調不良に漬け込むような真似をして。でもね、」
そこで仲林が一旦後方の確認をする。そして、あたりに誰もいないことを確認して呟く。
「こういう性質の大会な以上、潰せる敵は潰せる間にやっちゃわないと後々障害が出るからさ」
笑顔で称する言葉とは思えない、とてつもなく物騒なセリフ。
「……それで、申し込んでいいのかな? もっとも、嫌とはいえない立場なのは当然のことながら承知の上です」
疑問という上っ面を被せた完全な脅迫に、皇が逃げ場がないことを悟る。
「正式に通信すると時間的に猶予が無くなるから……まだ気分が芳しくなければお手洗いに行ってもらっていいよ。戻っているなら、仕掛けさせてもらうけど」
問いかけに、皇が自分のでこに手を当てる。火照った熱は幾分、先ほどよりは落ち着いている。そのまま当てた手で汗をぬぐい、一つ息を落ち着けて体調を悟る。
「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ」
「了解。それじゃホールに行こうか」
皇がその言葉に縦に首を振る。そして、仲林が翻り、大ホールへと足を進める後ろを早歩きでついていった。皇の表情は危機感に煽られたように険しく、ポーチに突っ込まれた手は先ほど作成したデッキを握り締めていた。

22:37…

(例え仲林さんにこれから勝負を挑まれるとしても、もう……1回のチェンジ権を犠牲としたスイッチ戦略は使えない……再スイッチするためにもう一度チェンジ権を消失することを考慮して 2回分なくすのは痛手過ぎる――)
そう思い耽る綾野の息も荒かった。皇ほどではないにせよ、幾分の体調不良を悟っていた。
(そうなると いかにこちらのフィールドで仲林さんに挑ませるか……しかしそれは難しいでしょうね それと、あの放送をかんがみる限り、皇はもう――)
30分による第一次警告とハイエナたる仲林の存在が頭をよぎり、綾野は一つ目を瞑る。見ようによれば黙祷にも見えるその体制だが、息が上がっているため完全にへばっているようにしか見えない。
(出来る限り、通常のビートダウン戦略に乗っける形でなかば――)
耽っていた。だからこそ、突然の接触に、対応し切れなかった。
「綾野さん」
「――!」
「……っとと、ごめんなさい。そんな驚くとは思わなかった」
猛烈な勢いで首を傾けた綾野に、話しかけた男が――仲林が振り向く。
「いえ、すいません 少し考え事をしておりまして」
「こちらこそ申し訳ないです――それで、なんですけど。そろそ」
「――その前に聞かせてもらっていいですか?」
「……どうぞ」
綾野のにらむような表情に真剣さを悟った仲林が端的に返答する。場合によれば居合う相手同士の表情だった。
「皇を、屠りましたね?」
「――だったら、どうします?」
試すような返答は、現状の綾野にとっては挑発に等しかった。
「……お誘い、乗りますよ」
「あれ? まだ僕は正式に申し込んではなかったはずですけど」
「『そろそろ』という言葉の時点で想像つきます いいですよ」
「――まさか綾野さんが、こんなやっすい挑発に乗ってくれるとは思わなかった。クールビューティ綾野さんでさえ、友人を抹殺されるのは痛いですか?」
正常な思考を解くための荒い挑発に、綾野はたった8文字、返答した。
「黙ってください お約束、果たしますよ」
低トーンな調子に乗せて、仲林にPDAを手渡す。契約としての情報公開の準拠だ。
「……はい、ありがとうございます」
2人のディスクが通信され、先攻後攻のチェックが始まる。
「まさか 30分を過ぎずにデュエルに乗ってくれる人がいるとは思えませんでしたよ。それがあの、精神操作の女王、綾野さんだなんて」
「……」
仲林に対し、綾野は表情を変えず無言で歯をきしませる。綾野のターンランプが灯り、先攻を宣言した。
「それで 私を踏み台にしたおつもりですか? ――なめられた ものですね」

「それで 私を踏み台にしたおつもりですか? ――なめられた ものですね」
見透かしたような綾野の発言に、仲林が一歩引いた言葉を返す。
「なにを、おっしゃってるのですか? 安い挑発に乗った事実は覆されませんよ」
「そうですね ただ、貴方は駆け引きを知りません。そのような包囲網では簡単に論破されますよ」
「……?」
「いえ、さっさと始めましょう 1ターンキル相手にこういう会話をして、時間稼ぎと解釈されるのも癪ですしね――ドロー」
しゃり、とデッキがすれて1枚のカードが手札に加わる。
「貴方相手に余裕ぶってしまえば、最悪漬け込まれて1ターンキルさせられかねない そういうタイプのプレイヤー、ですからね。だから、出し惜しみせず……さっさとネタばらしさせてもらいますよ」
「本気でデュエルしていただけるのはプレイヤー冥利に尽きますが……綾野さんのおっしゃる『出し惜しみ』とか『ネタばらし』とか、全く意味がわかりません。わかるように、教えていただけないですか?」
眉をしかめ、仲林が本気で意図をつかめない表情を作る。綾野はその表情を見て、様子を察し――未熟ですね、と声には出さず下に向けた。
「貴方は嘘をついた。そして、その嘘を隠蔽することを怠った――正確に言えば、隠蔽しきれてなかった、なのですが」
「……」
「そもそもの前提条件に切り込みます。この程度の論破で崩れられたら面白くないですので 最悪の仮定を準備して 心持ちを確かにしていてください」
くす、と綾野が笑う。魔女のように狡猾さを感じ、あるいは聖女のように相手を見透かす笑顔でもある。
「貴方は、皇に 勝っていないですね」
「――どういうことですか? この大会における私の立場、タイムアッププレイヤーを狩っていく性格を考慮すれば、その結論には至らないはずですが?」
「ええ、確かに貴方は逃げる余地のないプレイヤーに対してめっぽう強い立場です。皇も体調を崩していて時間制限前に復帰が間に合わず、貴方の手にかかったことは掴んでいます――現場は見ていませんが、そのような隙を見逃すはずは無いでしょう」
「ええ、お察しの通り……綾乃ちゃんを待たせていただきました。モラル的には申し訳ないですが、お手洗いに近い場所で数刻――大金がかかってますしね、ご無礼は許してください」
「はい 別に私はそこをとがめようというつもりは毛頭ありません。お金がかかっている以上、犯罪行為に身を染めなければある程度の逸脱行為も認められましょう といっても、この大会自体が賭博行為として犯罪行為――パラドックスなのですが」
「配慮、ありがとうございます」
互いに慇懃な言葉を選び、会話を展開する。表面上、謝罪の言葉や感謝の言葉が飛び交うにせよ、表情は全く変わらない。
「少々話がずれました――何故私がその結論に至ったか ですが」
「……」
「私が皇の性格心理分析を握っているから です。私がその状況で貴方と対峙した――いえ、貴方と数刻後に対峙することを覚悟してしまったときどういう手段をとるか、を考えればおのずと結論は出ます。
皇はカードを小ホールで発注する段階で体調が芳しくなかった。一刻も早く休める場所を欲していたに違いありません――だけど、ルールの都合上泣き言は言っていられない。よって、手早くデッキを構築し、そして体調の調整に勤しんだ。その時点で覚悟していたはずです、体調が復調せず――30分経過後までデュエルが出来ない可能性を。
貴方がもし皇の立場になって、そのような状況下に置かれたらどうしますか? 直前に私と勝負していることも考慮していただけたらスムーズに結論が出ますけどね」
「……」
仲林からの返答は無い。結論を言い渋るようにも感じられる沈黙だった。
「当然、経過後に貴方――仲林さんに狙われることを覚悟するでしょう。そして、それを覚悟するなら――普通はミニマックスの手段を取る」
「ミニマ……?」
「――ミニマックスの定理。ゲーム理論における戦略手段です」
「申し訳ないですが……僕はそこまで雑学に詳しくないのでそういった言葉は――」
「人間が、ごく自然に取る手段の一つですよ。想定される最大の損害が最小になるように決断を行う戦略……儲けに走るとは対極にある思考。簡単に言いましょう、『リスクの最小化』です。
皇がそのような状況下に置かれるなら確実にその手段を取るでしょう、既に私に敗北している状況……1度でもギリギリのカードプールなのに 2度目の敗北 はダメ押しです 2度目の敗北は避けたい。そして、相手が誰かがわかりえる状況であり ――さらに、直前に私に裏テクたる手段で敗北をした。もっといえば――その裏テクは、1ターンキル相手に非情なまでに効く戦略だったんですよ」
仲林が内心歯をきしませる。明言とまではしていないが、結論を見透かしている上での言い渋りだ。
「『その裏テク』を喰らった貴方ならわかるでしょうが、ビートダウンに対してより……コントロールに対してより、1ターンキル相手に猛烈に効くテクニック です。ビートダウンやコントロールはそうは言っても結構枝分かれしています しかし1ターンキルはどれだけ見積もっても5個が限度 そのうえ、もっとも確 実性を求めることを考えれば 貴方のデッキは40枚中38枚は絞れるでしょう もっとも貴方は生粋のワンキラー。構築に入るスパイスを考慮すればあと2枚はわかりえません」
ばらされていく過去。決して見られては居なかったはずなのに、そこに綾野の精魂だけが存在していたような錯覚さえ受ける。
「そして、自由奔放なワンキラー野放しのカードプールを考慮すれば、実績上一番の精巧さを誇る1ターンキルデッキはデッキ破壊――いわゆる『三原式』です。そこまで判れば、100%それをメタした対抗デッキを用意していたらいくらなんでも崩せないでしょう。
普通の――スイスドローの大会のように、ビートダウンのことなんか考えなくてもいい。何故なら、求めるのならデッキは複数個持ち歩けるのだから。ビートダウンもコントロールも全く考えず、1ターンキル相手に絞りきった2個目を用意しておけば仲林の漬け込みに耐えられる」
皇が綾野から貪欲に吸い取ったルールの裏側であり、1ターンキルに対する唯一無二の対抗策である。汎用的なデッキを使い 2度目の敗北を喫しデッキのチェンジ権を使い切らないまま会場を去るよりは、一矢を報いて希望を残す――という皇のミニマックスな考え方。もっとも、通常の参加者がそのテクニックを知っていたのであれば100人中95人はその手段を取るであろう延命手段だ。
「三原式は『使われることがわかってさえいれば』――『100%の用意が出来ていれば』崩すのが容易なタイプの1ターンキルデッキです……まあ、そのあたりは専門家に語ることでもありませんね、釈迦に説法、でしょう」
「……」
「さて、よって貴方はデッキのスイッチで皇に漬け込まれ敗北を喫した……いや、見てはいないので正確性に欠けましょう。喫したかと思います 1ターンキルが7パックものパックを奪われたら、相当堪えますね 1ターンキルは使用パックが多岐にわたりますから」
内心仲林は、このときの綾野の表情が悪女にしか見えなかった。普段は見とれさえする、その美貌を。
「そのうち大型復刻パックが一つでも引っかかれば非常に厳しいでしょう。デュエリストレガシーとビギナーズ及びエキスパートエディション、そう低い確率で はないです。皇の抹消パックを教えては貰ったのですが、嘘だとして信頼性は足らないとしても……1つ2つ引っかかるものと考えられます。1枚でも抜ければ 回転がきしむ1ターンキルが、《サイバーポッド》のような大型回転カードや《太陽の書》のようなリバース強制及び再利用カード、ドローカードや蘇生カー ド……その全てに引っかからずにすんだなんてありえません。だから、必然的に『完璧な』1ターンキルは捨てなければいけない、どうしてもビートダウン及び コントロール色が薄いながら混じらないといけないんです」
過去の黒が、薄められていく。全てを見通されている。
「だから私はこう読んでいます。絶対必須なカードが少なく、多少回転がきしんでも対応が可能であり、『完璧な1ターンキル』とは一線を画す1ターンキル……貴方の選択は――」
綾野が手札のカードを指で挟み――挟んだその魔法カードをセットする。そして、呟いた効果処理が、『解答』だった。
「《禁止令》発動、指定は――《デビルフランケン》」
「……にゃろう」
自白とも取れる仲林の呟きに、綾野が ようやくですか といった表情を見せる。
「さすがですね」
「そうですか? もう一つ二つ付け入る点があったのですが……それはデュエルの後にでも。――さらに2枚のカードをセットし、《豊穣のアルテミス》召喚。ターンエンド、です」
綾野はコントロールデッカーであり――多岐にわたるコントロールデッキタイプの中でも、その使用ジャンルは、徹底カウンターによる展開封殺。『理知の女 王』と共に業界界隈で知らしめられている俗名が『クイーン・オブ・パーミッショナー』であり、今の綾野デッキは――本腰に戻した調整だ。
「……」
仲林がドローし、一番左のカードをつまみ一瞬沈黙する。全てを看破された上でとりうる最善の戦略を練り上げるための考慮時間。1ターンキル専門のラン カーと言えど、腐ってもトップランカー。下手の横好きで遊んでいるプレイヤーよりは少なからずビートダウン戦術も心得ている。
沈黙が10秒過ぎた頃、仲林が真剣極まった表情でカードをディスクにたたきつける。
「魔法カード、《地くだ」
「カウンター、《マジック・ドレイン》。リアクションを」
「、き……」
ディスクがカードのエフェクトを映像化する間も無く綾野がチェーン2を積み上げる。その行動は幾百、幾千と対応してきた――ベテランたるリアクションに仲林が唖然とする。
「……ッ」
仲林の手札には《ハリケーン》が1枚あった。《禁止令》されている《デビルフランケン》も1枚あった。しかし、エンドカードを擬似拘束されている以上、 諸手をあげてディスカードできるわけもない。届きそうなのに届かないチェーンに辛酸を舐めた表情を作り、チェーンは積みません、そう告げた。
それに、間髪無いリアクション、迷いも無くカウンターを撃ってくる辺り、確実にもう1枚のリバースもカウンター罠だろう、と仲林は推測する。
「……《豊穣のアルテミス》の効果で1ドローします」
「1枚のカードを伏せて、ターンエンド」
「デュエル外の駆け引きは大事です……仲林さん、パーミッショナーに慣れていないですか?」
ぼそ、と綾野が呟いた。そして、セットしていた1枚の伏せカードをめくる。もちろん、仲林がそれを強要するカードを発動したのではなく、ただの綾野の気まぐれ。しかし、見せられたその1枚に仲林が驚愕する。《聖なるバリア-ミラーフォース-》だった。
(カウンターじゃ……ない――!?)
「あれだけの即レスポンスを見せ付けられるとすくみますか? 《地砕き》に対して何の躊躇もなくレスポンスできるあたり、もう1枚控えていると錯覚しましたか?」
「く……」
「今の1ターンでゴリ押すことも可能でしたね。もったいないことをします ちなみに今、《神の宣告》を引きましたよ?」
綾野が可愛らしく、それでいて裏を感じさせる笑顔で今ディスクから抜き出したばかり――《豊穣のアルテミス》でドローしたばかりの《神の宣告》を見せ付ける。
「ち……くしょ――」
「それでは」
綾野が静かにドローフェイズを経過させる。《豊穣のアルテミス》のブーストは想像以上に手札負担緩和に貢献する。たった1回通せばそれが、半連鎖的なカウンターの連続につながることが非常に多い。綾野はそれを理解していたからこそ、はったりをかけた。
「《豊穣のアルテミス》2枚目を召喚しましょう」
「――レスポンスは、ありません」
反応に綾野が少し悩み、そして、2つ目のターンアクションを行う。
「1ターン目に召喚した《豊穣のアルテミス》……便宜上これからはアルテミスAと呼びましょう ――を守備表示にしますね、バトルフェイズ」
(気づかれ――!)
「《豊穣のアルテミス》Bで、直接攻撃!」
「くっ――! 《聖なるバリア-ミラーフォース-》!」
仲林がしかめっ面で罠カードをレスポンスする。多大なアドバンテージを期待できる罠だけに、成果に不満げだ。
「……やはり でしたか」
「さすがに、至高のコントロールデッカーとなると伏せカードくらい見透かせるのでしょうか 的確すぎます」
「ああ 『至高のコントロールデッカー』……ですか、そちらの方が呼称としていいですね。クイーン・オブ……とか こそばゆすぎますしね――2枚のカードを伏せて、エンドです」
綾野が目を細め、ふっと笑う。そのときの表情は、先ほどまでの権謀術数を一切感じさせない純粋なものだった。
「ドロー……」
仲林が再度思考を絞る。パーミッション相手に時間を、ターンを延ばされることは自殺行為に等しいことは、プレイヤーに取っては常識に近いレベルの基本。だからこそさっさと《禁止令》の呪縛から《デビルフランケン》を解き放ち、
「……」
丁度今ドローした《リミッター解除》と一緒に1ターンキル――正確に言えば1パンチキルを決めたい。しかし、カウンター罠を――《神の宣告》を握られている現状、無策のまま《ハリケーン》を撃っても確実にカウンターされる。
(だったら……)
「《死者蘇生》発動、対象はそちらの墓地の《豊穣のアルテミス》!」
(オトリとしての発動! ただ、これはマストカウンターとしても作動する……スルーすると、綾野さんのカウンター罠が発動するたびにこっちも1ドロー出来るからだ! どう出る……《神の宣告》をここで使うほど切羽詰っているなら、続いての行動に移します!)
《死者蘇生》のエフェクトに綾野が動きをきしませる。コンマ数秒の迷いを空間に残し、リバースカードをオープンさせた。
「――《神の宣告》!」
(来た!)

ライフポイント — 綾野:4000 仲林:8000

そのまま、《豊穣のアルテミス》の効果処理をする綾野を尻目に、続けざまに。
「OKです、そのままもう1枚、《ハリケーン》!」
(通る! 綾野さんはカウンターを持っていない――このスペルは、スルーされる!)
「リバースカード……」
え。
「《封魔の呪印》です、残念ですね」
「!?」
(嘘、だろ……綾野さんはフェイクで魔法の遅効を誘導し、《豊穣のアルテミス》で補給した《神の宣告》で《死者蘇生》をカウンターした……カウンター罠が無いことをカバーするように仕掛けてきた……なら今の《封魔の呪印》は……)
「大体想像することはわかりますよ、トップデッキで手に入れた、なんて運頼みの方法ではないです。稚拙なフェイクを仕込みました」
唖然とした表情を作る仲林に、簡単なヒントを綾野は送りつける。
(《封魔の呪印》はトップデッキじゃない? でも綾野さんはドロースペルをキャストして……い……――!)
なら、考えられる領域は一つしかないじゃないか。何故そこに思考が回らなかったのか、思い返した仲林が舌を打った。
「初手から、持っていたんですね――そして、《聖なるバリア-ミラーフォース-》と《マジック・ドレイン》のみのセットと言葉回し、伏せとドローカードの 公開で巧みに僕を『綾野さんは手札にカウンター罠を持っていない』という思考回路へミスリードさせていった……その目的はてっきり伏せ除去をカウンター出 来ない場合に備えての警戒示唆、遅効狙いかと思っていたのですが――違うのですね。情報の、錯乱……そして、マストカウンターたる《ハリケーン》の発動誘 導……やられました――」
「はい、ご名答です」
「《ハリケーン》の封殺、《大嵐》と《サイクロン》、《ハーピィの羽根帚》は禁止されました、《デビルフランケン》も召喚できないとなると……勝ち手段はありません。『詰めろ』ってやつですね、参りました……サレンダーです」
「はい、ありがとうございました」

「2度目の敗北、もう僕は満身創痍ですよ。明らかに無駄足ですし、御飯だけ食べて帰ろうと思います」
「ご苦労様です。ただでいっぱい食べられますし 折角美味しいんですから、30分間で楽しんでくださいね」
2人はホールの外のベンチに腰掛けていた。仲林が近くの自販機からカップタイプのコールドドリンクを2つ手に取り、1つを綾野に手渡す。
綾野は一礼を仲林に返し、受け取ったコップを唇にあてがう。
「それにしても……」
「はい?」
「綾野さんって味覚はおこちゃまなんですね、『コーヒーで、砂糖めいっぱい入れておいて下さい』って言った綾野さん、可愛かったですよ」
「――頭の上からこれ、かけていいですか」
「あはは、勘弁」
仲林は苦笑し、同じようにカップをあてがう。数秒沈黙があたりを支配し、雰囲気に耐えられなくなった仲林が たはー と大きくため息をつく。
「それにしても」
「……ええ」
「綾野さんが言ってた『一つ二つ付け入る点』……これを聞いてからでないと帰るに帰れません。気になります」
「ああ そんなことも言いましたね。ヒントは……2つとも、デュエルの前のやり取りから察したことです」
「デュエル前? えーと――」
仲林が唸りながら、過去を思い返すように目をつむる。うーんうーんと30秒ほど考えるそぶりをして、
「ギブです」
結論が出なかったか、白旗宣言を綾野に向ける。
「いいでしょう お教えします。ここをしっかりと対応されていれば、皇との勝負の結果について確たる結論を出しえなかったのが本音、それくらいのミスです」
「……はい」
「私が貴方の挑発に乗ったことに対し、嘲笑しましたよね? 挑発として受け取ってはいましたが、私も同様に貴方を嘲笑したくてたまりませんでした」
「その節はすいませんでした。……それで、察するにそこにミスがあるんですね?」
座った体制のままで仲林が綾野の方を向き深々と頭を下げる。
「いいんですよ、気づきませんでした? 私が貴方の挑発に乗ることを不自然と受け取るなら、貴方の行動も相当不自然です。――何故、30分のオーバーにも満たないプレイヤーに声を掛けたんですか?」
「!!」
「性質上負けることが確定的な相手に挑みますか? 断れる状況下にいるプレイヤーに誘いをかけて一縷でもOKしてくれる人がいると思いますか? 挑まざるをえない場合はともかく、自発的に貴方に仕掛ける相手は、貴方のカラーを知らない方以外にはいないでしょう」
「――ああ、そういうこと……ですか……」
全てを察した仲林が天を仰ぐ。
「その段階で、デュエルを求めて憔悴していることが見て取れました。これ以上不利になる前に、私が渡した有利条件を活かして活路を見出すことを思ったのでしょう」
「その通りです」
「それともう一つは、少し時を巻き戻してください、私が貴方に『皇を屠ったか』と聞いたときに、なんて答えました?」
「えーと、確か……『だったらどうする』的なレスポンスをしましたね」
「貴方が本当に皇に勝っていたのなら、そこは見栄張って『ええ』と答えればいいんですよ。しかし、それをしなかった。心理的な認知的不協和に近いものが貴方の心を渦巻いたんですよ。心理陽動で実績を残している私と対峙したからこそ、余計にです」
「ご……ごめんなさい……もう一回、最後の聞きなれない言葉を……」
「アメリカの心理学から生み出された概念ですが、この現状に置き換えて説明すると『生じる不安を状況と同調させることで動揺を防ぐ』という状態です。心理陽動に長けている私を相手にしたからこそ下手な嘘はつけない……そう思った貴方は、私に皇との勝敗に突っ込まれたことに対し『だったらどうする?』と答え た。嘘はついてないですよね、勝ったなんて断言してませんから。嘘をついてない自分に対して、嘘をついてないから動揺なんてしないでいいという不安解消手段を取る、厳密には違いますが、立派な認知的不協和状態でしょう」
「いきなりの質問に対しては、いい返答をしたと思ってたのですが……それさえも、だったんですね」
「それだけ不安要素を保持することがつかみ取れればこちらから仕掛けようって気にもなれますよ?」
「参りましたよ、本当に参りました」
観念した仲林がベンチの背もたれに勢いよくもたれかかる。みし、という音が響いた。
「最後にこちらからお聞きしますが、本当に綾野さんは綾乃ちゃんを……ややこしいな、友人うんぬんの感情を関係なく挑発された『振り』をしていただけなのですか?」
「……」
綾野が答えあぐねる。仲林の真剣な表情が綾野の視界に捕らえられる。
「――どちらの解答が、お望みですか?」
「……やっぱり、綾乃ちゃんを心配してた……と僕は思ってます。あの時の表情は、本物でしたから」
「そうですか、なら、そういうことにしておきましょう」
飲み干したカップを口から離し、2メートル先のゴミ箱にひょい、と投げる。それは綺麗な放物線を描きゴミ箱に収まった。
「まったく、綾野さんてば」
立ち上がった仲林が苦笑する。座る綾野に手を差し出し、綾野も素直にその手につかまり立ち上がる。
「ありがとうございます」
「ええ、頑張ってくださいよ? 僕を潰したんですから、最後までのし上がってください」
「はい、賞金貰ったら、コーヒーのお返しくらい奢りますよ――砂糖、たっぷりの」
「そりゃ、楽しみです」
根に持つ綾野の意図を掴み取って、仲林が完結に言葉を返す。そろそろ話を切り上げなければ、まともに食事を楽しめない。
「それでは、ご武運を」

「ご武運を」
「はい、また大会でお会いできる日を楽しみにしております」
互いにとりあえず今日の別れを示す挨拶を交わし、一例と共に仲林が雑踏に消えていく。去っていく仲林を目で追い、その姿が消えたことを確認すると、綾野が大きくため息をついた。
(甘ったるいコーヒーを頼んだのは、好物だけの問題ではないんですけどね)
綾野は、先ほどからさらに調子の悪くなっている喉をさすりながら思う。吐き気、までは言ってはいないが、いがいがした感触が喉にまとわりついているのは確かだ。風邪の初期症状を考えればいい、実質的な身体的ダメージはないのに、精神的な警戒をしてしまう。
(これくらい甘くしないと、味覚が麻痺しかけてるんですよね……)
舌に残る甘味をなめずり、立ち上がる。大会から相当の時間が経過したが、未だに綾野は何もつかめていない。その現状に危惧をしてはいるが、動けないのもまた事実。指名コールは一度しかお手つきできないからだ。
よって、指名をするには確たる証拠を挙げてからでないといけない。……しかし、与えられるヒント、これが既に出たのかまだなのか、あるいは何かをトリガーとして表示されるのか、全てがわからない。腕を組み、今後の展望を練ろうとするが、真っ暗闇に一人放り出されたように予定が練られない。
(まだ 『これ』は試してはいないのですが おそらくは期待は出来ないですね……)
ベンチから立ち上がり、大ホールに歩を戻していく。近づくにつれ彼女の耳元に喧騒が響いていった。
「……すいません、よろしいですか」
綾野は、大ホールの入り口で姿勢良く起立していた――PDAを受け取った――女性に恭しく声を掛ける。
「えーと……」
綾野がちら、と彼女の胸元を見ると名札には『携帯機器トラブルシューター 津田 麻美』との字が記されていた。
「津田さん、ですか? よろしいですか」
「あ、はい。どうされましたか」
津田 と呼ばれた女性がにっこりと笑い綾野の方を向く。抜群の営業スマイルだった。
「大会運営上の質問をしたいのですが、貴方でしたら答えてはいただけますか?」
「『答えてはいただけますか?』とは? 申し訳ないですが質問の意図がわかりかねます」
質問としてはどうしても斜め上の角度を聞いている、と綾野は自覚していた。だからこそ、対応する回答も準備していた。
「いえ……こういったアングラの大会は主催者側が質問に答えることは通常皆無、各々の裁量でゴールを目指せ というのが普通ですから、駄目を元々で質問させていただこうとは思うのですが」
「ああ、はい。そういうことでしたか。それでしたら、当方の方でマニュアルがございますよ」
思ったより好感触、というより意外な反応に綾野がぴく、と神経を研ぎ澄ませる。
「……というと?」
「こちらが設定している、答えても良い質問には正直な回答を――答えてはいけない質問、あまりにも回答がマスターの判明に近いものでしたら嘘を答えます、この場合の嘘は単純に『偽』――真逆の回答を意味するのではなく、正誤織り交ぜて解答していると解釈してください」
「――なるほど」
(真偽判別、厄介なシステムですね……。単純に切り込んでもそれはマスターの判明に近いとして嘘として処理されますし、かといって雑談をしに質問するわけではない。返って来る回答のどれを真として どれを偽として汲み取るかが重要……しかし、厳密に理由が無い以上 推測だけで真偽を区分けるのも無謀……。そのことを考えたら これは恐らく「ヒント」ではないでしょう 他から与えられる「ヒント」を補助するためのもの と考えるのが自然です。ここまでは推測ですが しかし……これは確実に言える。アングラの大会上本来必要のないこのようなシステムが用意して有ること これはマスター指名への道しるべに絶対 不可欠なもの これを利用して紐解く…… それは言えます――。まずは、どの程度のものなのかを――)
「既に、『ヒント』は出されていますか?」
「……ええ」
「参加者がマスターである、ということはありえますか?」
「……はい」
ここまでは当然期待していない回答だ、キャッチボール程度として、綾野は頭の片隅にしまいこむ。
「既に、貴方にこういった形で質問している方はいらっしゃいますか?」
「……はい、10名は超えています。綾野様のように、つい最近気づかれた方が多いですよ」
津田は眼をやんわりとつぶり、余裕のある表情を浮かべて質問を切り返していく。手馴れた様子で、全く真偽を織り交ぜる際の動揺がつかめない。ここから真偽を見分けるのは、まず不可能だ。
「マスターのお名前を教えていただけますか?」
「……津田、です。津田 美樹、です」
質問しておいてなんなのだが、これは嘘だろうと感じていた。これが事実であれば知っている名前だったとき一瞬で陥落してしまうからだ。それに、津田という苗字自体が眼前の女性と被っている。明らかな嘘だろう――言えないという意味のアプローチだと綾野は解釈する。
「――貴方の、お名前は?」
「はい、津田 麻美です」
答えても良いということか。聞けば聞くほど、混乱の形相を見せていく。自らの名前を答えた津田は、ゆったりとした笑顔で綾野の目を見つめる。そこには、自分の嘘を見破れまいという自信さえにじみ出ていた。
「――貴方に質問をしてもよい、ということをひた隠ししていることについて卑怯とは思われますか?」
「……いえ、『してもよい』という前提がないというだけで、勝手に質問を出来ないと決め込んでいる方には、与えられた現状から解析する努力が足らないと判断しています。全く卑怯とは心得ておりません」
「……わかりました、ありがとうございました」
とりあえず聞いておきたいことは聞いた、おそらくは嘘なのだろうが、質問を嘘で答えてくれたことが重要だ。すなわち、並の思考ではマスターにはたどり着けないことをさし、若干の余裕が有ることをつかみ取れたからだ。
(津田……先ほどから思ってはいたのですが あの名前――どこかで見覚えが……? どこでしたっけ……)
顎に手をあて、難しい顔をを作りながら喉まででかかっているそれを引きずり出そうと沈黙する。大ホールに改めて入室した綾野は、壁にもたれこみ思索する。しかし、その実を思い出すには至らない。
「おーい、綾野」
思索して一分、綾野に男から声がかかる。確かこの男の名は、御厨だ。
「――はい、なんでしょうか?」
冷たい視線を距離を置く言葉遣いでレスポンスする。大会開始前から随分調子を狂わされた相手なだけに、敵愾心もむき出しになる。
「機嫌、悪いな」
「そうお思いなら離れてください。正直、今は潰せる相手なら誰でも良い気分なんですよ」
「……あら、結構ガチだね。別に挑まれてもいいんだけどさ――」
御厨がぽりぽりと頬をかきつつ苦笑交じりで二の句を告げる。
「情報第一主義の君が、情報の無い俺に挑んでいいのかな?」
「!!」
(こい、つ――)
相変わらずこの人はクリティカルにもろいところを揺さぶってくる、綾野は自分と御厨の関係を客観視しながらにらむ。にらみつけた先の御厨は全く動じることなく、楽しそうに綾野の反応をうかがっていた。
「……私のことを、調べましたね?」
開始前に声を掛けられたとき、御厨は自分の様子を知っていなかったように感じられた。奢るわけではないが、トップランカーの名を知らないような奴は大したことはないと感じていた、裏返すとこの数時間で調べることが出来る情報網は評価に値する。
「勘違いすんなよ? 俺も馬鹿じゃないし、綾野くるみの存在は知っていた。ただ、俺は四国の出身だし、ネット設備も万全じゃないから、実際のお顔を知らなかったわけよ」
そして、的確に考えていることを突いてくる。
「それで、ちょっと困ってるだろ。トップランカーが集まるこの大会に自分が全くデータを持ってない存在が居ること」
「……ええ、ひょっとして偽名ですか?」
「いいや、御厨 和哉。まごうことない本名だ、ただ俺は全く公認大会には出場してない」
「――となると、誰かの招待状から、代わりに出場しているわけですか」
「ご名答。いやいや、まあそんなことはどうでもいいんだよ」
主題からそれつつあった会話に釘を刺し、御厨が『本題』を持ちかけてきた。
「えーと、な。率直に言おう、綾野……同盟を組まないか?」
「……」
「率直過ぎてわかりにくいか。ルール上禁止されてないからこその提案だが、俺と綾野が同盟を組み、デュエルを合意の下操作する。そして、なんなりのカード で引き分けにし、それを繰り返す。それをすることで、普通に時を経過させるよりカードプールの抹消を軽減し、二人分の知識を使い相談することでマスターに 近づいていく。もちろん賞金は折半だが、それでも500万。悪い相談ではないだろ?」
「――」
綾野が一息置き、
「……貴方の抹消プールは? 一度でも負けているような実力であれば頭脳としても頼りにならないと判断しますが」
「もちろん無敗。見るか?」
ごそごそと漁ったショルダーからPDAを取り出し、綾野にぽい、と放り投げる。中身を確認した綾野が無言でそれを御厨に返した。
「それで、同盟しないか? 悪い相談ではないと思うのだが」
「お断りします」
即答と、凛とした表情。
「同盟には大きな弱点があります。裏切りが容易なこと、デュエルの操作をするとしても引き分けにするには微調整が必要 それを協力するとしても途中で一方 が裏切ったらどうでしょうか、《破壊輪》をするはずが《人造人間-サイコ・ショッカー》を出して直接攻撃等々 約束は出来ませんよね。そういう大会ですか ら……それに賞金が減るのも正直、嫌です」
「……」
「この大会で信じられる人は居ません そんな体勢の私がそんなリスキーなお誘いにのると思いますか? 他の方が同盟という手段を取ること自体は否定はしませんが、私は少なくとも取る気はありません」
「……その考えに至っているということは、俺が提案する前に『同盟』の可能性を考えたな?」
「ええ」
「俺のカードプールを漁ったのは……」
「もちろん、あの会話の流れなら自然にカードプールを引き出すことが可能ですからね。ありがとうございます、貴方のカードプールは今後交渉等で活用させていただきます」
睨み付ける御厨を尻目に、綾野が翻りホールの出口へと歩を進める。
「そうか」
御厨が、慇懃な綾野の言葉に、淡白に言葉を継げる。
「俺の教えたカードプールは、嘘だけどな」
「……! ――でしょうね」
「人間不信なおまえとは別に、既に一人パトロンがいる。誓約書として互いのPDAを交換し、その扱いは自由という契約を結んでいる。そのパトロンのPDAだ」
ジーンズのポケットに手を突っ込みながら、威風堂々と御厨が答えた。
「……ふふふ」
「――はっはっは」
「こんの ゲス野郎」
「こちらこそ、狡猾にも程があんぞ、ボケ女」
振り向きざまに、綾野が『暴言』を吐き、御厨が乗っかる。双方、臨戦態勢の蛇のような――鋭い瞳をぶつけ合う。彼女は、今まで見せたこと無いような冷たい目つきで御厨を蔑むような態度を見せた。
しかし、御厨はそれに全く応じない。双方無言で数秒のときが過ぎていたが――互いに怒髪点すれすれの態度を取っていたからこそ、「それ」に全く気づいていなかった。
「……あ、あのお――」
か細い、女性の声がそれこそ小さく響く。こそこそと話すことが目的というより、状況にたじろいでしまっている声色だ。
「ええと、綾野 くるみさん……ですよね? 御厨さんと、何かあったのですか?」
ちょいちょい、とその女性は綾野の肩を叩き、喧嘩腰の2人をたしなめるように疑問をはなつ。端正な顔つきに淡いストレートパーマをあてていたその女性は、綾野よりも少しだけ背が低く、放っておけば敏腕OL的雰囲気がにじみ出ている。
「……」
その女性に声を掛けられて、自分が冷静さを失っていることに気づいた綾野は一つ息を吐き、
「――お見苦しいところをお見せいたしました。貴方は?」
答える。ぴりぴりとした雰囲気が溶けて安心したのか、女性も笑顔で受け答えた。
「私ですか? 私は津田と申す者です。御厨さんと同盟を組ませてもらっている者です」
(――津田!?)
その時、ほんの少し前の回想が脳裏をよぎる。
(私は……津田という名前に確かに聞き覚えがあった……でも この方は前に出会った覚えが ない――なんでしょう このデジャヴは……)
「失礼ですが、貴方は本当に『津田』さんですか?」
「え、はい。――もしかして、入り口の女性の方と私に何か繋がっているのではないか? と勘ぐられてますね」
「はい」
ここは隠し通すようなポイントではない。そんなことをすれば、余計対応が渋ることが目に見えている。
「本当に私の名前は津田、津田 早苗ですよ。免許証、見せましょうか?」
そう言いながら津田がごそごそと財布を漁り、綾野が返事をする間も無く免許証を差し出す。そこにはまぎれも無い実名が記されていた、嘘偽り無い普通免許証だ。
(まさか……ここをすりかえるような真似は ないでしょうね)
「――はい ありがとうございます」
「お礼を頂いて恐縮なのですが、決して私は綾野さんを補助する目的として免許証を見せた……というわけではないです。ここで綾野さんにデータを握らせてお けば、マスター疑惑を向けられ狙われることは無いでしょうから。ただのローランカーですから、あんまりお強い方には狙われたくないですので」
津田が苦笑しながら話す。その数メートル後ろ、御厨がばつが悪そうにたたずんでいた。
「保身としてですね、言われるまでも無く心得ております」
「でもですね」
「はい?」
「決して私は綾野さんと戦いたくない、というわけではないんですよ。むしろ戦いたい……折角の大会なんですから経験値積みたいんですよね」
柔らかい表情で続ける。津田が御厨の方を振り向いて、御厨が納得したかのようにその続きを答える。フラグレンスの香りが振り向きざまに綾野の鼻に入る。ポップフラワーのやわらかい香りだ。
「……こいつは新進気鋭だ。ランキング自体はそう高くはないが、15出場大会全勝っつー情報を見込まれたらしく招待されたらしい。もちろん、その事情あって全国大会の出場経験はないからいわゆるトップランカーと当たったことがない。だから、経験値を積みたいんだとよ」
「――なるほど、でも私も特にメリットがない以上……デュエルはお断りします。デュエルに勝利することがこの大会の必要条件というわけではありませんし」
綾野の言葉に津田が口を尖らせしょんぼりしたような表情を作る。喜怒哀楽が豊かな様子が見て取れた。
「ええー、滅多にこっち来ないし、デュエルしたいんですけど……駄目ですか?」
「必要に駆られない以上 ごめんなさい」
「……なら、良い事お教えしましょうか?」
津田の目が変わる。にらみつけるような、それでいて誘うような目線だ。
(御厨さん然り、この津田さん然り……この大会のランカーは駆け引きをスイッチしてくるのが上手い――)
「どういう、ことですか?」
「これ以上は現状ではお教えできません。デュエルをしてくれることを認めてくれるなら、マスターに関わることを一つお教えします」
「貴方の目的は……私とデュエルすること『自体』ではありませんね?」
「わかります? 厄介なファクターは先に『潰させて』くださいってことですね」
「――貴方も、皇系な性格ですか……」
すべらぎ? とその言葉に、津田が一瞬雰囲気を戻す。しかし一瞬でその概要に気付いたように言葉をつむいだ。
「ああ……皇、綾乃ちゃんですか。お友達なんですか?」
「……ええ」
「そっか、友達になりたいのもあるけど……この大会においては、潰したいな――」
憂いを帯びているように、ともすればセクシーな目線を遠くに運ぶ。一瞬感じた美麗ゆえの恐怖に綾野はひるんだが、すぐに立て直し続ける。
「それで……デュエルをお受けすることを承諾したら 『それ』をお教えいただけるのですか?」
「そうですね、ただし情報の信憑性としては70%ってところでしょうか。私でもまだ確信が持てているわけではありません」
「――不確実な情報を駆け引きに使うというのは……少し取引としては呆けてはいないですか?」
きついようだがそれは本心だ。社会に出て、不確実を扱ったからこそ破滅した人間を何人も見ているからこその、彼女の取引論。
「ええ、そうですね。しかし綾野さん。正直手詰まりしているでしょう? それに交渉カードは『デュエルを承諾していただけること』、それだけでいいんで す。デッキを見せろ、パックの封殺環境を見せろ、といった無理難題な取引ではないですし――そちらの交渉カード自体、取引価値としては高くありませんよ」
「安い条件で良いから、その分相応の情報提供……ですか――だけど」
綾野がにらむような目つきに変わる。
「大切なことを加えていませんね。――私に 勝つ気ですか?」
「……何を今更。勝つ気がないならそもそも話しかけてはいません」
綾野のブラフを込めた意味もはらむ威圧に、津田が全く動じる様子を見せない。
「それに、綾野さんもおっしゃったじゃないですか。デュエルに勝利することは十分条件ではあるにせよ必要条件ではない。勝てれば御の字、勝てなければそれはそれで別の道を探るだけです」
それは真理だ。綾野も当然掴んでいる事項であり、また一人核に迫る存在が居ることに綾野は危惧を抱き始めていた。
「もっとも、この考察の半分は御厨さんからの受け売りなんですけどね」
そう続け、津田が御厨の方を振り向く。御厨は少し離れた位置から携帯電話を操作していて、津田の視線に気づいたのか一旦視線を向け、すぐに下に視線を戻す。
(御厨さん――この人も相当この大会について思考が回る存在……)
綾野が、全くこの2人に興味のないそぶりを見せている御厨に対し歯軋りをする。確かに御厨は危惧すべき存在だが、仲林のように積極的なコンタクトを取ってこない。潰したいか潰したくないのか、組みたいのか裏切りたいのか、全く判らないのらりくらりとした存在。
実際のところこのようなタイプのプレイヤーが一番厄介なのが事実。例えば街中を歩いていて、凶悪犯がこの街の中にいるという事実だけがわかっていると き。凶悪犯が何処にいるか、何時何分に犯行を計画しているかがわかっているより、その存在だけが知らされる方が不安は大きい。
(おそらく、そのことを知りえた上で現状の無視を決め込んでいる……正直「強い」人ですね――)
そんなことを考えていた暁に、御厨が携帯電話の操作を終わり、それをジーンズのポケットにねじ込む。遠目から御厨がちょいちょいとそのポケットをアピールするジェスチャーを見せ、津田に視線を送る。
その意図を掴み取ったらしい津田が表情を変えないまま携帯電話を取り出し、瞬間ぶーぶーとバイブレーターが作動する。慣れた手つきで津田がそれを開き数回のボタン操作の末、御厨からのメッセージを確認する。
「綾野は任せた、後でデータくれな……ですか――直接言えばいいのに」
「どうやら私らの会話の雰囲気に入るべきではないと察したのかもしれませんね。さて、綾野さん……いかがしますか? デュエルの申し出を受けてくれますか?」
「――マスターに関わるヒント、ですね? 教えていただけるのですか? 先に教えていただけるのでしたら、お受けしましょう」
「わかりました。先に言いましょう――、私の考えることが正しいのなら 『既にヒントは出ています』」
その言葉に、綾野は心が揺らいだ。少なくとも、例えハッタリだとしても津田は自身を現状上回るところまで読んでいるということを示唆する一言。
「それは……本当なのですね?」
「ええ、私の考えることが間違えてなければ既にヒントの目星はついています」
「それならなんでマスターの元に行かないのですか? 目星はついているのでしょう?」
この質問に答えられなければ、津田の言葉は『嘘』、ハッタリだ。どう、出てくるかを綾野は考える。
「いい質問です。ただ、信じてください……ヒントの目星はついているのですが、マスターの目星にはいたっていません。そのヒントによってはマスターを一人には絞りきれなかったからです」
その解答によって綾野は一気に包囲網をしぼめる。マスターを一人に絞りきれない、そこに関わるキーワードは『津田』だ。津田の言うことが真実なら『PDA担当である 津田 麻美』『津田 麻美の解答が真実であった場合の 津田 美樹』『目の前に居る 津田 早苗』『未だこの大会内にいる他の 津田一名及び複数名』の存在がマスター候補になる。
(なるほど、それなら確かに真実であり言っていることにも矛盾はない。しかしそれなら、)
「……それでしたら、貴方も普通に疑われますよね?」
津田の質問の内容から考えたらあまりにも突飛した綾野のレスポンス。しかし津田はその綾野の質問内容に本心から感心した表情を作り、
「すっごいですね……一瞬でそこまで至りますか――ええ、そりゃそうですけど……私はマスターじゃないですしね、マスターで無い以上疑われること自体に大 したデメリットはありません。せいぜい戦う機会が多くなるだけ、むしろ他の方の指名権を無くすことが出来るメリットの方が大きいでしょう」
「そりゃそうですね 一応聞きますが、その解答に至ったソースは……」
「シークレットでお願いします。デュエルの強制という交渉カードではここまでということで」
津田が口に人差し指を当て内緒の仕草を作る。ともすればぶりっ子ともとられそうな仕草ではあったが、不思議に似合っていた。
「まあ、はい。そこは承知の上です」
「さーて、こちらの伝えたいことはちゃんと全部言いましたよ? お約束は守っていただけますよね?」
「ええ、それは当然です 有意義な情報をありがとうございました――それではこちらが答える番です。誠心誠意を持って、全力でやらせていただきます」
ぱち、と綾野がケースのボタンの留め具を外しデッキを取り出す。津田に手渡しシャッフル、事前準備を進める。
「はい、お願いします」
両手をおなかの前で揃えての丁寧な辞儀。ふわりと津田の髪が浮き、その育ちの良さを感じさせた。
「同じプレイヤーとして、綾野さんは尊敬しています。だからこそ、めいっぱい事前準備をしてきました」
それは、皮肉も何もない本心からのもの。
「……じゃあ その貴方の希望を思いっきり潰してあげますよ。『メタゲーマー』……津田さん」
綾野も喧嘩腰のわけではない。相手の誠意に誠意を持って答える形だ。
「あれ、私みたいなローランカーのことまで調べてくれてるんですか? 光栄です」
「そうですね、情報が与えられている以上、カバーできる範囲で解析するのが私のスタイルですから貴方の情報も有りますよ」
たわいの無い話を続けつつ――2人が互いのデッキをシャッフルし、返す。
「それでは、やりましょうか」
「ええ」
綾野のディスクにランプが灯り、ジャスチャーで先攻を選択する。5枚のカードをトップデッキからめくりつつ、綾野は考えをめぐらせていた。
(そもそもこの津田さんの言っている情報は本物なのだろうか? たまたまこの大会内に『津田』という人員が多いことを利用して行っている巧妙なミスリード なのでは…… 信じる材料も信じられない材料も多すぎて真実がつかみえない。ただし、この大会に『津田』という名前が多すぎることはどう結論しても真理 ――)
綾野が思索を転がしながら、無言で1枚のカードをセットし、さらに《豊穣のアルテミス》を召喚する。津田はそれにうなづき許可を、綾野が ターンエンド とだけ呟き津田にターンが渡った。
(それにしても、このしこりはなんなのでしょうか――私はずっと前から津田という方を知っている――この人でも無いし、PDAのトラブルシューターの人でもない どこだ、どこだった……!!)
「綾野さん」
「……」
「綾野さん、よそ見してたら――炎上しますよ」
「――」
「《緩衝の魔法陣》発動……《豊穣のアルテミス》を選択します。他の事を考えながらでも勝てますか? 後悔はしないで下さい」

《緩衝の魔法陣》 (通常魔法)
手札のモンスターを1枚選択して相手に公開する。選択したモンスターは、このカードの発動ターンの通常召喚・特殊召喚を無効にされず、破壊されない。

他に意識が向いていることが暗に伝わっていた。それを示唆する津田の一言には少しの怒りがこもっていた。
「すみません」
綾野の手が一瞬ディスクにかかったが、一枚間に入ったカードの存在を察知し手を離す。
「さらに3枚のカードを伏せて、ターンエンドします」
お互いの場の《豊穣のアルテミス》がにらみ合い――その外側に居る2人の少女は真剣な瞳をぶつけ合う。
「ドロー……2枚、伏せます。ターンエンド……」
「綾野さん」
「はい?」
静かに、表情を変えることなく自らの2ターン目を終わらせた綾野に、唐突に津田が話し掛ける。
「……確かにこの勝負が必要条件でないことは認めるところですが、トップランカーな以上抑えるべきところは抑えて欲しいですね」
「なんの ことでしょうか」
「《緩衝の魔法陣》を使用した際に伏せカードに手をかけた。ということは《豊穣のアルテミス》下で何があっても打ち消す準備は万端だったということ……《神の宣告》なんでしょう? 伏せカード」
「――」
「ドロー、《サイクロン》を発動し……それを狙います」
津田の向けた刃が真ん中のフィールドの――1ターン目に伏せた、津田が《神の宣告》として疑わない余地のないカードを狙う。竜巻のエフェクトが疾風と姿を化しエフェクトを作り出すが、綾野は瞬きもせずさも当然かのようにレスポンスを行った。
「チェーンして、《砂塵の大竜巻》です」
「……え?」
呆けたような言葉が津田の口から漏れる。当然だ、疑ってやまないカードの読みがそれが当然のように外れたのだから。
「ただの誘導尋問ですよ。というより、あれだけで決め付けるのは尚早にも程があります。前提条件としての《神の宣告》 そこから数々の情報を加味して最終 的に読みを結論付ける 少なくともプレイングのみで判断するなど愚の骨頂……裏の読み合いは最終的に一番裏に回らなければ勝てないのです」
砂場で遊んだ棒崩しはいくら無謀な攻めを最初に仕掛けても最後に倒さなければ勝利する。上っ面の友人と親友の区別をつけるには周辺条件を加味して、少なくとも表面上の雰囲気で判断してはならない。そのような、デュエルに必要な最低心理策は小学校の頃に当然に学んだ。
「舐めていたのは……こちらなのかもしれませんね」
綾野の《サイクロン》により《マジック・ジャマー》が葬られた。当然、チェーンはない。
「どうやらそのようですね」
この2ターン目のやり取りを見ると、あまりにも皮肉めいていた。だからこそ、綾野の返答も別にシニカルではない、事実だ。
「……《豊穣のアルテミス》の2体目を召喚します、レスポンスは?」
「――《昇天のフルート(アセンション・フルート)》! 通常召喚を、カウン」

《昇天のフルート(アセンション・フルート)》 (カウンター罠)
手札からのモンスターの通常召喚・反転召喚を無効にし、それを破壊する。

「そこにレスポンスして《カウンター・カウンター》! カウンター罠を、打ち消します!」
互いがにらみ合い、あまりにも捕球範囲の狭いカウンター罠を投げあう。外野から見ればドッキリにも見えかねない綱渡りのスペルチェーン。
しかし、彼女らは全てを理解していた。このデュエルが、どこまでノンコストのカウンターに妥協できるかという言わばチキンレースだということを。
捕球範囲が平均以上に小さいカウンター罠にはノーコストだけでなく、プラスエフェクトも付随している。ただし、妥協と暴走は表裏一体であり――綾野は冒険性を含まない構築で落ち着かせていた。
「チェーンして……」
(やっぱり、来るんですね――)
「《カウンター・カウンター》!」
「――こちらのレスポンスはありません、この《豊穣のアルテミス》は打ち消されます」
「……はい」
そして、互いの場でにらみ合う《豊穣のアルテミス》の効果が発動する。双方が2枚のカードをドローし、津田が場を一瞥する。
「2枚のカードを伏せ、ターンエンド」
20秒ほど思索をしていた津田がバトルフェイズを経過させないまま、ターンを明け渡す。企みが深く感じられるようなその笑顔を見据え、綾野は策を練った。
(バトルフェイズをスキップした……《豊穣のアルテミス》の相殺も戦略として狙えたはず それをあえてスキップしたということは……)
「ドロー――」
(あえてこの状況から生じるカウンター合戦で自分が上回ることが出来る という明確なサインと戦闘体制。『メタゲーマー』……この方だから出来る芸当ですね)
メタゲーマー津田。地方大会事情に詳しいプレイヤーには圧倒的な速さで広がりつつある津田の呼称だ。そのプレイスタイルはその地域の徹底的な調べこみ……デュエルもせずただただスペースに居座りデュエルを見回って地域に存在する全てのプレイヤーのデッ キ・プレイングをメモし続ける姿は、その性質上ストアブレイカーと間違えられ、店にマークされても仕方がない存在だった。
その「張り込み」中は、本職なり学生としての本業は大丈夫なのかと店員から思われるほど、一刻一秒を逃さずにデュエルスペースに入り浸り、ノート数十冊分を書き上げてその目的からは店を去る。そして、ある程度のほとぼりが済めば、今度は公認参加者という立場で地域を荒らしまわる。全てのプレイヤーを広範にチェックしている以上、言うなれば「綾野・皇間の協定」よりタチが悪いと言うものもいる。
圧倒的な努力で地域の特徴的なメタを読みつくし、それを上回るように奮迅する努力家がその本質であり……タチが悪いと評するものからは僻みを感じられるのも確かだっただろう。
(この大会の性質上、デッキスイッチに対してのルール規制がゆるいからこそこの方のスタイルは映える 変更規制の回数にさえ気をつければ 膨大なデータとスタイルから完全にメタゲーマーとしての立場を揺るがすことは無いのですから)
そして、津田はカウンター合戦で綾野を上回ることが出来ると結論付けたのだろう――いや、「上回らせる」と言った方が正しいのかもしれない。津田の勝利は常に才能ではなく、努力に色づけされたものであったから。
(いいでしょう、真正面から戦います)
「3枚のカードを伏せて、ターンエンドです」
「……! ドロー」
綾野の雰囲気の変貌を察知したのか、より敵愾心が感じられる目つきに津田が変わる。
「ドロー、2枚のカードをセットして、ターンエンドします」
淡々と、言うなれば面白くない手つきで津田が処理を進めていく。もちろん、パーミッションデッキを使うに当たって奇抜性を求めるのは当然酷であり、通常のプレイングをそつなくこなせば勝てるというデッキだ。そこを理解したうえでメタゲーマーとしての津田はパーミッションを選択したのだ。もちろん、彼女は根っからのコントロールタイプのプレイヤーではなかった。
何も規制がなければビートダウンデッキを数々と改良し、強豪として渡り合っていく――汎用的なプレイヤーである。ただし、目の前に対峙しているのは生粋 のコントロールプレイヤーである綾野。経験則で、そもそもの相性面からビートダウンはコントロールデッキに弱いことが立証されている。
考えても見れば、なぜ2006年9月……ガジェット全盛期、スリーエフ最盛期という、いわゆるコントロールデッキに対する風向きがあまりにも強かった環 境の中、《レベル制限B地区》《グラヴィティ・バインド-超重力の網-》制限、《光の護封壁》準制限という徹底的なバッシングを受けたのか? そもそもの 戦績が対して残っておらず、むしろ「弱い」と評されても仕方のないコントロールというデッキタイプを。
単純なことだ、遊戯王の王道とされるビートダウンがこれらの攻撃封鎖で完全に封殺されるからだ。ゲームの魅力としてそれを危惧した開発部によるいわゆる 閉鎖戦略であるが――言い換えれば、ビートダウンに対するコントロールのポテンシャルはこの事実に全て集約されるといっても間違いない。
コントロールデッキの使用は不慣れではあるが、そもそもの相性面でビートダウンが使いにくい以上コントロールを選択するしかない。
(だから、そんな極まったプレイはできないですし……王道戦略をなぞるのが手一杯、だけど私は……メタゲーマーですから――)
津田が伏せを見据え、ぎゅっと手札を握る。ターンを明け渡し、次のアクションを心待ちにする。
「ドロー……」
綾野がこなれた手つきで手札リシャッフルを行う。そして、魔法&罠スペースに、表向きで魔法をセッティングする。通常、能動的に動きえないパーミッションが、戦う意志を見せて噛み付こうとする顛末だった。
「魔法カード――《魔法陣の緩衝》です。チェーンしますか?」
「――!」
(やはり、アンカウンタブルスペル……!)

《魔法陣の緩衝》 (通常魔法)
魔法カードは、このカードの発動ターンの発動を無効にされず、破壊されない。

綾野が、明確なアクションを見せる。彼女の、皇戦の名残が垣間見えるように慎重を期して投入されたカードだと推測される。
(綾野さんの手札は少なくない……しかし、パーミッションのデッキ性格を考慮してもせいぜい魔法は1枚、多くて2枚。もちろん、伏せたカードの中に通常魔法が含まれていたらそれも使用可能になる、しかしおそらく……「手札の幾分枚数のみを使いたい」というサインであり、ある意味ではカウンターを誘っている とも取れる)
津田が自分の伏せカードを一瞥し、さらに考える。
(ターニングポイント、ですね……カウンターの数も有限であることを考えれば浪費は避けたい――そもそも、現在伏せカードに魔法を止めうるカードは《マ ジック・ジャマー》と《神の宣告》のみ――通常魔法への逐一の対応は可能といえ、負担も大きい……ここはあえてスルーして、次のターン以後に備えるのが定 石か――?)
ぐるぐると回っていた津田の戦略論理が、結論を導き出し口に出される。
「はい、宜しいですよ。続けてください……」
「それでは、続けてアンカウンタブル下で通常魔法を発動します」
綾野が、手札の一番左のカードをを右手でつまみ、津田に見せ付けるように持ちかえる。それは、予想外の一撃であることが否めない一枚。
「《名推理》、です」
「――!! ……めいすい、り……!?」
「津田さん、貴方がメタゲーマーとしてパーミッションを一から自分に仕込みきって同系対決に持ち込んだこと……一歩も劣らぬその対応力……見下ろすような 視点で申し訳ない発言ではありますが そこは評価に値します。しかし、貴方が調べたその構築は 既に私が1ヶ月前に通過したものなのですよ。
貴方はその構築家としてのキャラクター上、一つのデッキを極めるということはありえない。だから、ちょっと応用を利かされたデッキを用意されたら、プレイングどうこうでどうにもできない可能性が強いんです。――もちろん、私は貴方を敵視して《名推理》を用意したわけではない、地雷パーツとしてのアクセントです。しかし、このような形に対応したことはありますか? もしくは、自分がパーミッションを構築してこのようなパーツを組み込んだ実戦をしたことがありますか? ……否、でしょうね。貴方には徹底的に時間がない。言うなれば、このようなことをしている暇はないのですから。
常に動を求めて長期的でマクロな視野を持つ私達『プレイヤー』と、瞬間瞬間の環境を見定めてその状況下に相性の良いデッキを選択する短期的でミクロな視野を 持つ貴方のような『メタゲーマー』。どちらが正しいとかなんていう議論をする気はありませんが、これだけは言えます。メタゲーマーは しんどいでしょう?」
言うなれば部屋を徘徊するゴキブリと、それを捕まえようとする部屋主の関係のように。ゴキブリは自由奔放に動いているだけだが部屋主はそれを捕獲するために常に追い続けなければいけない。その精神的な差は相当ある。
「私たちは発展を望み動き続けるだけであり……これが、私の考える、『動き続けた先の最先端』、です」
綾野が御託を並べている間、津田は驚愕の表情を崩せなかった。ここで来るはずのないパーツであり、全ての『たられば』が自分の中で崩壊することが見て取れる。
「めい……すいり――コントロールデッキのモンスターレベルの配分……? そんなの――」
ぶつぶつと呟く姿に、デュエル前のかっしとした面影は感じられない。
「さあ、レベルを選択してください? ここをしっかり捉えられないと、貴方は『万能』ではなく、ただの『器用貧乏』に成り下がります」

(普通にここのビーフストロガノフ美味しかったなあ。プライベートで使わせてもらおう)
一方その頃、仲林は綾野に宣言したとおりに食事をして回り、舌鼓を打っていた。国分けにされていて――中でもロシアカテゴリにあったベフストロガノフが特に気に入ったらしく、簡単な情報を携帯電話に打ち込んでいた。
食事を終わらせ、もはや大会的には絶望的である自分の現状をかんがみながら、ホールと廊下を見て回る。少しワインも胃に通していたため酔いが軽く回っていたが――回っていたからこそ、その目の前の光景に一気に目が醒めた。
「――!?」
少女が一人、壁にもたれかかって倒れていた。壁に背中をつけ、ぐったりと足を前に放り出す姿はまるで片付けされていない幼い女の子の部屋の人形のように無機質であり、だからこそはあはあと弱く吐かれている青色吐息が仲林の体から酒を抜いていく。
(す、皇ちゃんじゃねーかよ!)
思うやいなや、仲林は少女――皇に駆け寄りぱしぱしと頬を叩く。
「……ったく、無茶しやがって! 本気でやばかったんならさっき断れっての!」
意識が飛んでいるかいないかわからない皇に聞こえる程度の声量で愚痴を吐きつつ、皇のおでこに右手を当てる。そのまま仲林は左手を自分のでこにもあて、その『差』に顔をしかめた。
「――やし、さん」
「……意識、あるのか?」
「仲林さん、『さっき断る』……ってのは、卑怯ですよ。私含めて、女性っては根こそぎ演技が上手なんですから……確実に見破れる、んですか?」
喉から声を絞り出すように、皇は一句一句をつむぐ。
「うっせ、自分より年下のロリ女にそんなこと言われたかねーっつの」
ひとまずは意識が混濁していないことに安堵感を覚えた仲林が、皇のおでこをぱしんと叩く。
「いた」
「ほら、おぶってやるから。――医務室……1階受付横、か。いくぞ」
器用に当該ホテルのパンフレットを開きつつ、仲林が背中を皇に向ける。
「――すいません、お手数かけます」
背中に軽い少女を乗せた仲林は、肩にしっかり捕まっているかどうかの手を確認して、足早にエレベーターに向かう。このマンシップが、のちのち事態を混迷化させることを、当事者達は知る由もない。

「……ありがとうございます、大分落ち着きました」
「礼には及ばない。むしろ10月っつー体調崩しやすい時期に不良を苦にせず突っ込んできてやせ我慢することを反省しよう、な?」
1F医務室の白いベッドに、濡れタオルを額に乗っけて大きく息を吐いた皇が一言漏らす。医務室は無人で、用があった場合の内線ナンバー12を記すメモ書きが外付けの電話の横ではためいている。
仲林はベッドの横で簡易椅子に座り、フルーツバスケットに入っていた津軽りんごを包丁で向きながら言葉を返した。
「ほら、ビタミンC。貧血には鉄分かビタミンCの補給がいいらしいし」
仲林が一口サイズに切ったりんごを皇の口に押し付ける。
「む」
「食え食え」
「……はい」
渡された林檎を口に含み、咀嚼する。初秋の頃合もあってか、ほどよく林檎は熟していた。
「誰にも話してはいないのですが、私の症状――貧血じゃあないんですよ」
「そうなの? 立ちくらみと気分の悪さがひどそうだったし、てっきり貧血がひどくなったものなんだと思ってたんだけど」
「労作狭心症、ってご存知ですか?」
「ご存知じゃない、っていうか綾野さんもすべちゃんもよくそんな難しい言葉知ってるねえ」
仲林は今日当たり所が悪かったらしく、次々と自分の知らない雑学に振り回されている。別にそれを知らないからといって頭が悪いわけでは全くないのだが、自分より下の年齢の女性に振り回されているのはどうにも居心地が悪い。
「自分の体のことですからね――えとですね、『労作狭心症』。手っ取り早く近い症状で言えば心筋梗塞、でしょうか」
「心筋梗塞だと……? さすがにそれくらいは知ってるが、おまえそんなに体、違和してるのか?」
聞きなれた、現代病の象徴とでも言うべき症状。しかし、そのような言葉は中年になってからお世話になるものだと思っていた。それだけに、目の前の年端も行かない少女が放った言葉に現実味を感じられない。
「心筋梗塞、とは厳密に言えば違うのですが、症状の状況から考えればそこに発展しかけない……そんな爆弾を背負っています。日常での激しい運動や、ストレスを伴う活動を行った際に狭心痛や嘔吐感を伴う、とお医者さんから聞きました」
「なるほど……さっきの症状と一致してるな――でも、そんな運動してたか?」
その問いに、皇が少し答えあぐねる。素直に答えると、おまえ馬鹿か と一蹴されることが目に見えていたから。
「おそらくは、少し前に行った綾野さんとのデュエル、あれが原因です」
「……はい?」
「綾野さんとのデュエルはかなり神経を使うんですよ。情報を引っ張り出して、脳内から駆け引きの準備を周到に行って……言葉から攻めて、もちろんプレイン グも気が抜けない。綾野さんとのデュエルを控えるであろう大会の数日前からは、相当徹夜仕込みで綿密に準備を練られるようにします。相当頭が痛くて、ある 意味ではストレスがたまりますね。おねーちゃんとデュエルをするのは、紛れもない命がけです―――……一週間前に5日目の徹夜に入ったらいつの間にか意識 が飛んでましたし、えへへ」
命がけ、という言葉は元来比喩として多用される含みがある羅列だ。しかし、皇が苦笑いで放った言葉はなんらオブラートを介さない、紛れもないストレートな言葉。
「じゃあ、おまえは毎回発作になる覚悟で綾野さんとデュエルしてるの?」
仲林の声が沈む。皇は、その後の展開を予測しきってしまう。だからこそ、返す言葉もか細い。
「……はい」
「下手したら死ぬ、のにか?」
「はい」
「ボケ。小学生が命を無駄にしていいと思ってんのか? まだ人生7分の1だろうが!?」
仲林は手を出さず、ただただ言葉で皇を諭そうとする。手を出してしまえばきっと止まらなくなる自分を抑えるように、震える声で。
「私のことは私が一番良く判っています。こんなことをするのは愚かだってことも。……でも、やめられないんですよ、綾野さんとのデュエルは『ある意味』ストレスの元――命を削る元ですが、私の生きがいなんです」
「……」
「生きがいを追い求めることを、辞めなくちゃいけないですか? 楽しいことを辞めて長らく生きるのが正解ですか? ――クオリティ・オブ・ライフ……こんな上っ面の言葉、頷きたくはなかったですが……今の私には、拠り所なのかもしれないですね」
沈黙が二人を包む。そうとまで言い切られたら反論も出来ない仲林と、大見得と啖呵を切った皇。雰囲気が悪くなっていることは双方掴み取っていた。
「あ、あのですね」
とても言いにくそうな口調で皇が再度口を開く。まるで、お母さんに怒られることにびくつくような、らしい怯えが含まれている。
「もう一つ、怒られるかもしれませんが……えーと、綾野さんもですね」
「綾野さんが、どうした?」
「綾野さんも労作狭心症の疑いがあります」
瞬きをしっかりと行い、見開いた目から冗談抜きで放たれた言葉は、余計仲林を混乱させる。
「――なんだと?」
「確証を得ているわけではありませんが、綾野さんも結構人目のつかない所で立ちくらみしてたり、咳き込んでたりするんですよ。もっとも、私が話しかけると脂汗を流しながら平静を装うんですけどね」
「……確証を得てない、って皇……自分の症状はわかってるのに――?」
喉に骨が引っかかったような皇の表現に仲林が食いつく。その質問は予想の範疇だったか、皇がすらすらと返答する。
「ええ、私は初期症状の段階で病院にいって、もう宣告されました。あの『ドクター』にお世話になったんですけど……」
「『ドクター』――綾野 月海(つきみ)……綾野さんの実兄にあたる名医だな――」
『ドクター』と異名をつけられている綾野 月海はトップランカーの一人であり、綾野の実兄にあたる。代々医師の名門である綾野家系の長男であり、医師免許を持ちながらもカードゲーム業界でも名をとどろかせるという異例な経歴の持ち主だ。
「『お兄さんにお世話になってはどうですか?』と何度も私から言ってるんですが、綾野さんは聞く耳を持ってくれません。『月海に借りを作るとあとあとの返済が面倒だから放っておいてください』と言われました、もちろん他の病院にも全く行かれていないようですしね」
「……綾野さんらしいといえばらしいけど、あの人ももうちょっと人を信じることを覚えればいいのに――まさか月海さんも診察の揚げ足を取って弱みを握るなんて真似はしないだろうし」
「ええ、綾野さんはかたくなに人を拒絶するところが強い人です。そりゃ確かに駆け引きが強いこのゲームにおいて人を信じろというのは無謀ですが、せめてそ れ以外ではもう少し心を開いてもいいと思っています。……たまに綾野さんとショッピングしたりはしますけど、私も本当に信じてもらってるかと言えばわかり ませんしね」
皇が苦笑する。それは、友人に距離を置かれている自分に対して皮肉をこめたものだ。
「だから、さっさと診てもらって適切な治療を施さないといつ綾野さんも私のようになってしまうかわかりません。だから、あくまでも綾野さんの狭心症については疑いです……疑いの段階ではあるんですけどね」
こほ、こほと弱く皇が咳き込む。大丈夫か との仲林の問いに、静かに一回だけ頷く。
「あ、そういえば」
「どうした?」
「ここにいる限りデュエルが出来ませんね……30分オーバー後の警告を受けた際、どうしましょうか……なかばや」
「それは、拒否するよ」
皇が何かを言おうとするやいなや、仲林が間に入る。
「『復調するまでの間、デュエルを30分ごとにしてくれませんか?』でしょ、死に体の俺相手に数時間もたすのは正直卑怯と言ってもいいな。だから、スタッフの人に指示を仰いできてやるから、ペナルティなりなんなりを受ける覚悟はしときなさい」
「……はい、そうですね」
話を割られたことに一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに仲林の言葉に納得して笑顔を作る。
「――もう、大丈夫? 大丈夫ならちょっと上に戻ってスタッフに声かけてくるけど」
「はい、ありがとうございます。おかげさまで大分良くなりました」
「そっか、それじゃとりあえずは休んでおきなさい。えーと、もし急変でもしたら……」
仲林が立ち上がり、先ほど手をつけたりんごの細切りを一つ口に入れ、きょろきょろと何かを探すように辺りを見渡す。
「お、あった。ここに、携帯の番号置いておくから、ナースコールしてくれたらいいよ」
遠巻きに置いてあったデスクの上にあるボールペンとメモ用紙にさらさらと11桁の数字を書き、皇に手渡す。
「……何から何まで、どうもありがとうございます」
「どういたしまして。それじゃ、ちょっと待っててな」
仲林が後ろ手を振り、医務室から出る。そして、一人になった皇が枕にぽてんと頭を倒し息をつく。医務室らしい独特の薬っぽい香りが鼻についた。ふと顔を横に向けると、病人の退屈しのぎのためだろうか、筒井康隆著の作品が小さな本棚に並んでいる。
(うわー、凄いなあ……大会のスタッフかここのオーナーかが筒井康隆を好きなのかなあ……?)
当大会のモチーフともなった『残像に口紅を』を筆頭に『日本以外全部沈没』『富豪刑事』といったいかにも筒井らしい作品から、最新作の『銀齢の果て』までご丁寧にありとあらゆる作品が収められていた。
あごに人差し指をあて んー と一通り眺め、『残像に口紅を』を手に取り再び大きな枕に身をうずめる。モノクロ画調の青年がラフに描かれている表紙を眺め、ページをめくった。
(なんだかんだ言って、全くモチーフになった『これ』さえ知らなかったですしねー)
皇がぱらぱらと目次をめくると、世界から あ が消えて、物語が始まる。
(どうせ、今の体調じゃデュエルはままならないですし、仲林さんにお任せしてゆっくりしよう……)
「あーあ、賞金は……絶望的かなあ……」

「……そんな、カード――」
一瞬弱音を吐いてしまった自分に――津田がはっとしたように口を開き、戒めるようにつむぐ。
(考えろ……考えろ――! 私はメタゲーマー、強豪相手のデッキは徹底的に研究を重ねてきた! 綾野さんのデッキの方向性はパーミッションだった……とな ると、通常考えられるモンスターの採用は《豊穣のアルテミス》や《冥王竜ヴァンダルギオン》、《冥府の使者ゴーズ》は濃厚――)
津田が自分の手札を考えをめぐらせる。自分のデッキが綾野の鏡写しであることを理解したうえで、クールダウンするために手札を見る。
(ただ、そこさえ裏切られる形で採用モンスターが予想の範疇にない構成だとしたら? パーミッション要素はタッチ程度にとどめて、ビートダウンに幅寄せしている『フィフ』的構成だったら? ここは当てないと、まずい――!!)
ネガティブイメージが津田の中で堂々巡りする。
(《豊穣のアルテミス》もしくは通常の効果モンスターを予測して4にするか? それともパーミッション特有のファッティを考慮して7、8に飛ばすか? どうする、どうする……)
数秒の沈黙。それを裂くように、ぽつりと津田が呟いた。
「――『4』で、お願いします」
「はい」
綾野がゆっくりとデッキをめくっていく。印刷の質が悪いカードの音がしゃりしゃりと刷れ、紫色のカードのオンパレードが彩られる。そして、綾野が8枚目 のカードをめくったとき――ようやく橙色のカードらしい色合いが2人の目に飛び込んだ。綾野はめくる手を一旦止め、意を決したようにそれを表に向けた。
「《混沌の黒魔術師》、レベル8です」
「!!」
(そっちか――!!)
津田が顔を引きつらせ、自分の決断の甘さに苦汁を舐める。だが、後悔する間も無く事象は連鎖する様相を見せる。
「さらに」
「……え」
「――《混沌の黒魔術師》効果発動、魔法回収効果で……《名推理》を回収。再キャストします、宣言をどうぞ」
手垢のついた表現を使うならそれはまさに『悪夢再び』。人間、冷静さを失った状況で知略の全てを動員するであろう駆け引きを成功で終わらせられるだろう か? 否、並の精神では出来ない。例え冷静さを呼び起こし、クールダウンして駆け引きを行うように自分を誘導してもそれはいわゆる芝居であり、本質ではな い。
心底の自分は動揺におののき、判断力は著しく低下する。
「……」
津田の微妙な表情の変化を見定め、綾野は冷静にデュエルの外部の分析をする。
(『マーフィーの法則』、ですよ。失敗する可能性があるものから生じる失敗は、より精神を揺さぶる効果があります。次も失敗するのではないか 今度失敗し たらあとがない そう思わせるにたるものは その後の決断力を鈍らせる。私が《名推理》を採用したのはデッキの戦力の増強狙いより、むしろ精神的な揺さぶ りをかけるところにある マストカウンターを適切な時期に発動できなかったり、ミスプレイングを誘う意図……この方は『狙い』に完全にはまりました)
「こ、今度こそ……4、いや――ゴーズ? ヴァンダルギオン?」
(その感情はコントロール・デッカーにおいて致命的。私的な感情をかなぐり捨てて 冷静に状況を分析する力量を持たなければその真価を発揮できない。それを失った貴方にはもう流れがないし……)
「よ、4でお願いします!」
慟哭。それに対して綾野は2秒ほど黙り はい と一言だけ答え――デッキをめくる。めくるデッキの1枚目、早くもたどり着いた分岐点は、非情なまでに残酷だった。
(失わない私に今 完全に流れはある!)
めくったモンスターを確認し、ディスクのスペースにたたきつける。
「《冥王竜ヴァンダルギオン》特殊召喚!」
巨竜が2人の目の前でおののき、圧倒的な場が1ターンで形成される。
「あ……あ……」
「本来デッキは、自分の性格を判断した上で選ぶものです。メタゲーマーという立場を貫くには相当器用な性格が必要ですし、正直その点貴方は幼稚でした。このようなコントロールデッキを使うために必要なものをご存知ですか?」
手を震わせながら無言を貫く津田に、そのまま言葉を浴びせる。
「他人を信じない強い意志ですよ。少なくとも同盟なんてものを組んで信頼関係を得て――赤の他人と一緒にゴールを目指そうなんて俗惚けした貴方に、私達の領域は堕とせません」

2人の圧倒的な対峙を遠目で、100円の紙パック野菜ジュースを右手に眺めていた御厨が、たった一言思う。
(それは違うぞ――綾野。目を、覚ませ)

「それでは、いきますよ。バトルフェイズ――《冥王竜ヴァンダルギオン》で《豊穣のアルテミス》に攻撃します!」
「み、《聖なるバリア-ミラーフ」
「――《神の宣告》!!」
ばちいいん!! と何かを弾いたような轟音が2人の耳をつんざき、気づいたときには竜の爪が津田の体を通り抜けていた。

ライフポイント — 綾野:4000 津田:6800

「く……う――」
その後残り2体のモンスターが、堰を失った津田に切り込む。

ライフポイント — 綾野:4000 津田:2400

徹底的に理論からパーミッションがなんたるかを自分に叩き込んだ津田は思いだす。『パーミッションはペースを掴まれると陥落が乗数的に早くなる』というあまりにも思い出したくない一文を。
「ターン、エンドです」
場には有利なペースを支える――裏返せば不利なペースをそのまま固定するカウンター罠が並び、対戦プレイヤーの場にいる攻守万能の陣営。これを絶望的と言わずしてどう表現する。
「ドロー……――」
――したカードは《神の宣告》。
(神は私に負けを宣告します、ですか? ――とんだブラック・ユーモアですね)
悟るように笑みを浮かべた津田が、その3秒後にサレンダーを綾野に申請した。

「はあ……はあ――」
津田のサレンダー許可に対し頷き、デュエルを終わらせた綾野の息は切れていた。特に激しい運動をしたわけでもないが、胸の奥からじんじんと痛みが走ることを掴み取っていた。
額には一筋脂汗がたれ、それをこそばゆく感じた綾野が人差し指でぬぐう。
「ご、ごほっ!! ――!!」
喉に鉄分くさい感触が逆流し、痰が混じった痛々しい咳が3回口をつく。
(これは割と本気で……体調が――!)
「あ、綾野さん!?」
数メートル綾野の前でディスクを構えていた津田が、デュエル後のあまりの綾野の変調に見かねて小走りで近寄る。辺りの参加者も一瞬綾野の様子に目配せをしたが、すぐに喧騒に戻る。大金がかかった極限状態の思考勝負。当然ながら人に気を配る余裕がないプレイヤーが大半だ。
「だだだだだ大丈夫ですか? もしかして無理につきあわせてしまいました!?」
「……いえ、『交渉による合意の下のデュエル』ですし……貴方は全く悪くありません――ごめんなさい、お見苦しいところをお見せして……」
津田が肩で息をする様子の綾野の腕を掴んで、倒れないように支える。支えがなくても倒れはしないだろうが、綾野の肢体が相当きしんでいることは普通に見て取れるくらいの重症だった。
「ど、どこか休めるところ行きますか? これだけのホテルでしたら医務設備を備えた部屋もあるでしょうし、いきましょう!」
「……はい、お願いします」
綾野の返事を聞かないまま肩を抱えてよたよたと津田が出口に備えて歩を進める。
(考えなければ……マスターの元にたどり着かなければ……! 残された時間は、そう、多くない――! 津田さんのヒントが真実であればこれまで公開された情報の中に確実に何かゴールまでの道のりを紐解くものがあるはず……。スタッフ一同は何を口にしていた? どんなアクションを取っていた? 思い出せ、思い出せ……!!)
「綾野さん、無理をしないでください! お体に触りますよ!」
こめかみを押さえて、苦悶の表情でよろめく綾野に、津田が小さな声を綾野の耳元で張る。
(まずは……放送からルールの説明があった――それで、つぎ、に みくり)
「……え」
津田の肩に引っ掛けていた綾野の腕から急に力が抜ける。するすると絡めていた腕が抜けていき、支えを失った綾野が重力に身を任せてフローリングの床に倒れる。
「あ、綾野さああああん!!」

「……ッ!!」
綾野が次に目を覚ましたとき、肢体は白いベッドに横たわっていた。
(ここ……は――?)
どうやらどこかの部屋に搬送されて休まされているらしい。辛うじて、倒れる前の記憶までは思い出せる。頭を動かそうとすると偏頭痛が走り、堪えきれない痛みに綾野が表情をゆがめた。
「綾野さん」
隣のベッドで皇が枕にもたれかかり文庫本を読んでいる。その声はひどく冷たい。
「皇、ですか……なんで貴方がここに?」
「それは私の質問ですよ。なんで意識が飛ぶくらいまで無理をしてるんですか!?」
「……」
自分より年齢の下の少女にどやされる現状に綾野が黙りこくり、やがてぽつりと一言だけ呟く。
「……すいません、ブレーキのかけどころを見失っていました」
「綾野さん、相当体に負荷がかかっていますよね? ブレーキのかけどころを見失うって半ば麻痺の症状じゃないですか!?」
決して他人という関係ではないフレンドリーな二人であるのに、その間には敬語が飛び交う。それは二人が『真摯に話し合う時にはそうしよう』と決めた約束事であり――通常はデュエル中やその前後の交渉のみに限られていた。
少なくとも、今のように全くデュエルに関係のない会話で敬語が出ることは、無きに等しかった。
「……はい」
「もうこれで判ったんじゃないですか!? 綾野さんの表情は多分私より重症! 手遅れにならないうちに、月海さんのお世話にならなきゃ……本当に……!」
皇の最後の方の声は嗚咽がかっていた。自分の現状をわかっているからこそ、なんの綺麗事もない本音だ。
「……」
「皇ちゃん」
一通り皇が叫んだのをなだめるように、医務室の扉が開き、津田と仲林が入室する。二人の手には合わせて3つの紙コップが握られていた。
「はい、綾野さん。砂糖抜きとミルク抜き、あと普通にミルク・シュガー入りの分のコーヒーがありますけど……どれを飲まれますか? 本当なら先に注文を聞いておくべきだったんですけど、状況が状況だったので」
「――ありがとうございます。スタンダードな分、もらえますか」
「はい、どうぞ」
手渡された紙コップからもくもくと湯気が立ち上り、芳醇なコーヒーの香りがあたりに広がる。
「……綾野さん、悪いけど症状については皇から聞かせてもらった」
手に持っていたミルク抜きのカップを皇に手渡しつつ、仲林が綾野の方を向く。
「皇のような親身になって聞けるような症状を抱えているわけじゃないし、綾野さんにとって俺は他人かもしれない。だけど言わせてくれ……立派なお兄さんが――『ドクター』がいるじゃないか。何故そこに寄りかからないんだ?」
「……」
「話せない、なら……無理に言わなくていい。悪かった」
コーヒーを一口喉に通し沈黙を貫く綾野に業を煮やした仲林が退く。
「それで、だ。皇には既に伝えられていることなんだが、もう皇も綾野さんも『30分』はオーバーしている。本来ならペナルティを受けるべき時間帯になっている……が、上のスタッフの……誰だっけか、あのお姉さん」
「大ホールの入り口におられた方ですか? 津田さんですよ」
「そう、津田さんが、えーと」
話の腰を折った仲林が一呼吸を置き、さらに続ける。
「『急な発作という緊急事態ですので、多少の猶予を許可します。カードプールについては20秒につき1枚のデュエル中処理量にさせていただきますが、復調されるまでデュエルはなさらなくてかまいません。ただし、復帰後に声を掛けられた初めのデュエルについては拒否権はありません。及び、1デュエルを終了するまで小ホールでの補充を禁止させていただきます。ご了承ください』……とのことだ」
「……なるほど。相応の処分ですね」
ある意味ではゆっくりと整える時間を頂戴したとも言えるが、減少カードのスピードアップは無視できるものではない。ペナルティが無い状態と比べると1分につき1枚の差異が出ることになり、約1時間でベーシックパック1個分の差がつく。
(それに……)
ベッドの脇に置いてある自分のポーチを取り、中のPDAを確認した綾野が思いを馳せる。
(抹消は現在 Duelist Legacy 4 に移行している……まずいですね 中核にあるカウンター罠が半刻もしないうちに消されてしまう……)
そこは、丁度綾野の世界から《クリッター》が消えている瞬間だった。
「ま、俺は一参加者だし……これ以上のヘルプは出来ないからここまでってことで。お二人とも、頼んでも無い奴に力を借りて勝つのはあんまり望んでないでしょ?」
「「……」」
仲林の問いに二人が黙る。いわゆる、沈黙が回答、だった。
「まー、そういうことだ。俺は30分デュエルしなかったからこの会場から退場するし、暇つぶしに本でも買って帰るかな」
「このホテルから北に100メートルほど行った所にジュンク堂がありましたよ」
「え、ホント? 教えてくれてありがとうね、津田さん」
「いえいえ」
秘書のように要所要所で的確な回答をする津田が、仲林に対して笑いかける。一通りのブリーフィングが済んだ仲林が椅子から立つ。
「そんじゃ、皆さん頑張ってね」
「……はい」
「はーい」
「仲林さんもお元気で」
三者三様の返事を尻目に仲林が医務室から出て行く。その様子を見送ってから、津田も そろそろ次のリミットが近いので と一言残して部屋を出て行った。

(じっくりと勘案する時間は……ある ゆっくりと、だけどしっかりと切り込まなければいけない――この大会の奥の奥に。倒れたせいでろくに考えられなかった もう一度、もう一度よく考えよう……津田さんのヒントが真実であればスタッフの言動やアクションに何かしら違和感が生じるはず――。一から考え直せ――、一言一句思い出せ……何を言っていた? 誰と関わった? まずは御厨さんに絡まれて……いや、今はこの人は無視しよう。懸念するにはあまりにも情報が不足している。
200人の参加者による大会だということ、そして「残像に口紅を」の元のバトルロイヤル式大会を開催すると宣言された。20秒及び30秒に1枚の抹消……ルールについては、今更さらうまでもない。大会終了条件――優勝条件は『マスターの撃破』……『会場にスタッフらが設定した「マスター」が一人設定している』……)
「――!?」
はっ、と、何かに感付いたように綾野の思考にしこりが残る。
(ちょっと待ってください そもそもこのルール おかしいのではないでしょうか。200人の参加者プラス、それに模倣したマスターが一人存在するとなると一つ疑惑が残るのでは……!? 「201個目のPDAの存在」があるはずなのに、あの会場内にはその存在を全く考えさせなかった!
確かにマスターがNo.201のPDAである必要性も無いからみんなが取り立てて騒ぐ必要の無いのもまた真理だけれども 例えばマスターのPDAナンバーがアトランダムであった場合また一つ懸念が残る。知り合い同士が、続いてPDAを受け取った場合 その二人が連続していないナンバーの情報を掴み取れば一瞬でマスターにたどり着けることになる。それは主催者側として避けるべきところだろう 特定の参加者に加担するシステムは避けたいところだろうから。
よって、マスターのPDAがNo.201だと仮定すればそれはそれで懸念がある。たまたまNo.201のPDAを持つプレイヤーに当たったプレイヤーが一瞬でマスターを選別する 敗北時のPDAチェックでそれは簡単に判別される……。そういえば、あの時は大して深く思わなかったが 確かに放送のとき「200人超のデュエル参加者」と言われた……そういう意味か――。
その事態を避けるとするならNo.201は『そもそもデュエルをしないような立場にあるスタッフ』もしくは『ホール内でサクラとグルになってデュエルを演技し続ける』のどちらかをしているはず――そもそもデュエルをしないのであれば、大量に存在する「スタッフ 津田」のうちどれかがマスターだという考えは証明可能――。これが……津田さんが考える ヒントなのでしょうか)
そこまでを考え、現状の情報を整理。軽く頭を振る。
(いや、違う……これは津田さんが思うヒントじゃない。彼女は私の「それなら貴方も疑われるのでは?」という質問に対し肯定の返事を返した。このアプローチをヒントと解釈しているならばあの時の返事はノーのはず。もっとも、嘘をついている可能性が無いとは言い切れないですが リアクションを考えるにあの時の私の考えと彼女の考えは同一だった。
『津田という名前からのアプローチ』――これを彼女はヒントとして確信しているはず。だけど、何故彼女はそのアプローチを論理とするに至った? 単純に『この苗字が多い』なんていう解釈だけでは至れないはずだ。私の持ってない情報があるはず……それに、未だ思い出せない “津田” という苗字に対してのデジャヴ――!
わからない……核心までに至れない……! 少なくともNo.201に対するアプローチ、これは大きな瑕疵です ここから切り込む……!!)
「綾野さん、思いつめてるようですけど無理はしないで下さい。休むのもまた一つの戦略、ですよ」
熱い紙コップを両手で持ちながら、皇が綾野に声を掛ける。
「……いえ、特に私は思いつめてるわけでは――」
「思いつめてるわけじゃない? そんなことあるはずない。先の綾野さんの表情には鬼気迫るものがあった! あたりに配慮をし続ける綾野さんがそんな簡単なことにさえ配慮を忘れていた! つまりはそれくらい限界なんですよ!?」
怒号を飛ばすに近い皇の叫びに、綾野が黙りこくる。
(そうか……私も余裕がないんですね……)
「ですね ありがとうございます」
「――綾野さん」
素直に自分の非を認めた綾野の様子に、皇が胸をなでおろすように安堵の表情を見せる。しかし、その安堵は一瞬で崩されることになった。
「でしたら 体調も戻ってきましたし お暇します。余裕が無い様子を下手に貴方に見せて真情を悟られるのは避けたいですし」
「……! そ、そんなの駄目です! いつ倒れるか、ぶり返しが来るかわからないんですよ! せめて検温して、医務担当のスタッフの方を……」
「そんな余裕はもう、ありません」
デュエルをする余裕は無いが、体調には余裕があるという返事。見る人が見ればむしろ逆じゃないかと言われるような様子だった。
「『残像に口紅を』によるパック指定が私のデッキテーマを脅かしています。早いうちにチェンジするテーマについて予防線を張っておかなければなりません」
「綾野さん!」
呼びかけに対して、もう綾野は返事をしない。きり、と立ち上がり退室する姿を皇は見送り、下を向いて黙りこくる。乱暴にめくられたベッドのシーツがその現状を物語る。
皇が脇に置いた『残像に口紅を』の文庫本を手にとって、めくる。その世界からはちょうど ぱ が消えるところだった。
(それで、本当に良いのですか……綾野さん――!)

「……」
威勢を切って飛び出したはいいものの、体調は最悪としか言えない状態。おまけに倒れた代償としての1デュエル拘束は相当にきつく、次のデュエルを勝ちで飾ろうとすれば相当難易度は高い。
(状況は 悪い)
しかし、綾野はそれでも平静を装う。元々『表側』の大会でも無表情なりクールビューティなりで名声を稼いでいる綾野だ。その人がもし息も絶え絶えによたよたとデュエルをしていたら、対峙する人が不信感を感じたり違和感を感じるだろう。
それはマークが厳しくなることも意味する。もう、大会は終盤戦に近い情報戦だ。ここで下手なマークをつけられてしまえば、もしマスターを見つけたとしてもうかつに仕掛けられない。体力面から見ても、精神面から見ても先回りすることも容易ではある。
単純に言えば綾野はそういうキャラクターだ。世間から『そうあるべき』を背負わされた存在なのである。
(全く……こういうときに無表情っていうのは足枷になります)
そうは言えども今更性格なんてものは矯正できるようなものではない。今までも、これからも『そうあるべき』でいくしかない。

健康体のときより2倍弱の時間をかけて綾野はホールへ帰還する。
(……?)
綾野は、その雰囲気に違和感を感じた。プレイヤーだけがわかるようなわずかな殺気と雰囲気。生き残ったプレイヤーだけが発するぴりぴりとした空気、綾野は慣れたものではあるが決して進んで入りたい空気とは言えない。
「……」
そして、その雰囲気の中心に御厨が居た。
(また あの人です)
壁際でもたれかかり携帯電話をいじる御厨を取り囲む不定多角形のように、弾くようなオーラが出ている。綾野が辺りを見渡してもあたりの表情は鋭い。
だが、それが敵愾心によるものかどうかと考えれば綾野は決断を出し切れない。敵意があるのに、一向に誰も仕掛ける様子が無いからだ。しかし、その時綾野の耳 に不意に考え慣れた一つのキーセンテンスが届く。

201の……

「――!?」
(201――今、確かに聞こえた……! 残るプレイヤーはもはや精鋭……洞察力も並に持ちうる――この大会の瑕疵に違和感を持ち出す人が……!)
綾野が先ほどまで思いはべらせていたキーワード。その言葉がもはや他のプレイヤーまで広がっていることに軽く焦燥感を抱く。しかし一つ違和感が残るの が、その『201』たるワードの矛先があの御厨に向かっているということ。だとすれば201番のPDA所持者=マスター=御厨 という結論まで一気につながる。
(いや、そんな簡単に決め付けてはいけない)
確かにこの殺気は御厨に向いているが、今までの御厨の戦略の流れを考えてみればむしろフェイクと思うほうが自然だ。
(数々のミスリードで他人をすかし、騙す存在。私は今まで引っかかってはいないにせよたぶらかされたプレイヤーも多いはず……情報があまりにも少なく――この40分の間に何があったかさえ掴んでいない状況であの人にマスターとして詰め寄るのは危険でしょう)
それだけを心に思い、綾野はホールから踵を返す。

綾野が踵を返してから5分後、御厨は携帯を折りたたみ、ホール全体を見渡しつつ一つのことを考えていた。
(やるだけのことがやった……あとは『あちら』がどう出るか。このリーディングで引っかかってくるプレイヤー、その中でも『あのリアクション』を取る人間はまず十中八九マスターになる)
殺気は変わらず、怪しまれているのに誰も声を掛けてこないという不可思議な状態。
(……ったく、チキン揃いだな。怪しむなら怪しむにせよ、潰すぐらいの意気込みを――)
ある種の対応に御厨は閉口していたが、その時側面から声がかかる。
「すいません……御厨 和哉様。少しよろしいでしょうか」
赤縁のファッショナイズな眼鏡に、亜麻色のロングヘア。なでるような女性らしい声に御厨は反応する。
「……ん」
(来たか……!!)
表面上はつつましく穏やかに女性の方を向き、内心はこれからぶつける策謀に満ち溢れている。
「どうしました……か……」
初対面の人間に対する無難な立ち振る舞いでその方向を向いたが、途中から語尾が乱れだす。ありえないと思う感情と現実のギャップに驚きを隠せないようなリアクションだった。
「おまえ……綾野か」
「ええ 何か 問題でも?」
少し引いたようなレスポンスに綾野がむっとした表情で返す。
「何か問題でも……って……」
何が問題かと言われたら全てが問題だ。先ほどまで黒かったセミロングヘアには不自然なく茶色のウィッグがかかっていたし、一度直されたらしいメイクと眼 鏡の着用によって、完全に雰囲気を変えていた。
有り体な表現をすれば変装であり、よっぽど近くに寄って意識をしないとわからない。
「ええと……あまり『綾野が探っている』という風に取られたくないんですよ。普段の行いが影響してか 綾野の行動ということだけで結構勘ぐられるんです。だから、まあ あんまりこういうのは得意じゃないんですけど……」
「へえ いいじゃん。……俺もふっつーに、素のリアクション取ったし。で、だ」
御厨が正面を向き直し、切り返す。辺りを見渡し、二人に向けられている殺気を掴みつつ、一言。
「少しここは雰囲気が悪い。外に出ないか」
「……いいでしょう」

同階層の客人休憩室に二人は移動する。自販機、新聞、辺りの観光パンフ等の設備が備え付けられ、その横には医務室にもあったような『筒井著作』をまとめた本棚が置いていた。
(今回のスタッフの筒井フリークは本物。大会にテーマを合わせて興味を持って欲しいのでしょうね)
部屋を見渡し一つ。寸分もしないうちに、御厨が扉を閉め、話を切り出す。
「さて、何が聞きたい?」
「何が聞きたいかと聞かれたら少し答えに困るのですが そうですね……単刀直入に言えば どういう、ことですか?」
「質問の意図がわかりかねるな」
「……何故、わざわざヒントをばらまいたのですか? 絶対多数はまだ深層の一縷も掴んでいないはず。なぜそのような人たちにヒントをばらまきましたか?」
綾野がけたたましく瞬きをし、そのたびアイラインが揺れる。その、珍しく激昂した様子を御厨は表情を変えず見つめる。数秒の沈黙の後、御厨が口を開いた。
「わかってるだろうに 何故問いただす」
いたって冷静な表情を崩さない、醒めたようにも取れるリアクション。
「ええ……どうやったかは知らないですが 貴方は自分がマスターであるように仕向けたのでしょう。契約をしている他プレイヤーを使っての噂的な流布、情報交換その他で……言うなればサブリミナルな情報流出をやったのも理解しています」
「うん、ご名答。……で、『意図』も、わかるね?」
「マスターを釣り上げるための諸刃の戦略、ですか」
綾野がこめかみを抑えると、軽く頭を振り眼鏡を外す。休憩室の隅にあったソファーに腰掛けると、手に持った眼鏡をそっとソファーの前の小テーブルに置く。
「こういう あちら側――主催サイドの思惑から外れたヒントの流出は避けたいところでしょうし、もしこの現状が続くのであれば直接のストップが貴方にもか かるはず。貴方はそのストップをかけてくる人にマスター あるいはマスターに非常に密接なファクターであるという考証をしたのでしょう。
ただし、それが非常に厄介です ヒントを流布したという証拠が無い、もっと言えば貴方の流布はサブリミナル……そもそも証拠が出ることがありえないこ と、その程度の嫌疑で接触するのはあちら側としてもリスキーです そもそもの接触自体が御厨さんにマークの目が向いている以上スタッフが話しかけることは 難しい」
「うん」
「その中、貴方がその話しかけてきたスタッフに『マスター指名』をしたら、相手側としては最悪の展開でしょうね。マスターであればルール上指名を断れな い、その人がマスターではなく了承してデュエルをしたとしても、『会場にいるサポートスタッフとデュエルが可能なこと』を盲点として気づいていないプレイ ヤーにみすみすヒントを撒くことになるのですから……ええ 良い戦略ですね」
「まあ、マスターではないスタッフはデュエルの拒否権があるから一概に褒められた戦略ではないが……お言葉はいただいておく、ありがとう。だが、引っかかったのが綾野、か。全く運が悪い」
御厨がすかしたように肩を上げ、大きく溜め息を吐き言葉を繋げる。
「正直おまえは会場内で一番喰えない参加者だ。結構マスターじゃないか とも思っているんだが全く証拠が無いし」
「私も 貴方の事は評価していますよ」
「そうか 他人様ならともかく引っかかったのが綾野ならこの計画には少し問題がある。全容をばらされたら一気に無に返るからな」
「ええ、場所移動を命じられなかったらとりあえずは、はい……やるつもりでした」
御厨の計画を部分的にばらせば――『自分に接触してきた人間がマスターだというロジック』ということをばらせば、現状の雰囲気は瓦解し、またスタッフの接触もなくなる。スタッフが接触してくる、という核の部分を参加者には言わなければ、マスター候補がスタッフにあるという考えを悟られること無く霧散することになる。
「……」
「正直ですね 辞めてもらいたいのです みすみすヒントをばらまくなんていう戦術」
「だろうな わかってるプレイヤーにとっちゃあ愚策極まりない邪魔者だ。当然の思考だろう」
「大体は想像ついてると思うのですが、私は貴方の計画のことをばらしません、貴方はばらまくことをこれ以上しない……という契約をしませんか」
「まあ、問題はないな。どちらとも弱みを握り合っているわけだし断る理由も無いだろう。それと……」
互いが――座っている綾野と立っている御厨がにらみ合う。狙う方向は一緒であるからこそ、の。
「デュエルしないか 俺は、厄介者のおまえを消したい」
「奇遇ですね 私もそう思っていました……でしたら、デュエルのためにホールに戻りましょうか」
「え、なんでさ」
立ち上がりドアに向かう綾野を御厨がせき止める。
「ホールでデュエルしなきゃいけない、なんてルールはないだろ? あんなところで風評の本元である俺がデュエルを始めたら有ること無いこと波風立てられるしな」
「あ、……確かに そうですね」
それは、今まで考えても無かったが確かにそうだ。初めのブリーフィングの際に口にはされてなかった。しかしその程度のことさえ頭になかったあたり、脳が働いてないのかもしれない。
(ただ、いいのでしょうか 相手の管理下にないというのは……)
御厨の言葉に従い、再度体を翻しソファーの前まで戻る。
「ま、利害も一致したことだし、楽しくデュエルしよう。それじゃあ、ほら、よ」
デックホルダーから軽々しく御厨がカードの束を出し、綾野にそれを手渡す。綾野はそれを無言でシャッフルすると、自分のデッキを手渡す。
『1デュエルが終わるまでデッキを変えていけない』拘束がついている、『残像に口紅を』進行によってぼろぼろになったパーミッションデッキを。
「それじゃあ、全力でやろう」

「「デュエル」」

二人の声が静かにかぶさり、押されたターンランプがおごそかに光る。部屋には自販機の冷却音が響き、声さえ響かない。
「……私、ですね。先攻を頂きます」
光るターンランプの様子に気づいた綾野が小さく呟き、御厨がこくりと頷く。
「ドロー……《豊穣のアルテミス》を召喚し、1枚のカードをセット――ターンエンドです」
ぱち、ぱちとディスクに2枚のカードをセットする。人造天使をかたどったホログラムが眼前に現れ、御厨がそれをにらむように目配せした。
(さて……御厨さんは、どんなデッキを得意にしているのでしょうか 久しぶりのゼロ情報プレイヤー。警戒は必要です)
「ドロー……」
御厨が山札からめくったそれを見て口端を上げたかと思うと、それをディスクにたたきつける。
「――《智天使ハーヴェスト》召喚!」
「!?」
(今日の私は――当たり運が偏ってますねえ――!!)
「……レスポンスは?」
「――ありません、続けてください」
「なら、バトルフェイズ! ハーヴェストで《豊穣のアルテミス》に攻撃する!」
自信満々の邪笑とともに、ハーヴェストが眼前に突撃の様相をかもす。その流れに、滞りはない。
(ッ――悩みも、しませんか……!!)
綾野が無言を貫き通し、攻撃が正常に進行する。アルテミスのホログラムは砕け、デイスクのライフ数値が変動する。一通りの処理を目に通し、綾野が厳しい視線で御厨をにらみつける。

ライフポイント — 綾野:7800 御厨:8000

「あれ、意外だね――2枚のカードを伏せるよ」
「私だっていつでも 状況に即したドローができるとは限りません」
「ふーん、ターンエンド」
さも興味なさげに、御厨が状況を一瞥し相槌を打つ。数秒考えるそぶりを見せ、言葉をかみ締めるようにまたたく。
(もっとも……綾野の言葉を馬鹿正直に鵜呑みする必要も無いだろう。ある程度のブラフがはらんでいるはずだ)
「ドローします」
綾野はドローしたカードと手札を見据え、目を見開く。それは、数ターン先を読みきろうと状況をにらむ『いつもの』表情だった。だが、いくら判断力が人より秀でていようと、それは手札によって限界が狭められる。
一流のシェフでも錆びた包丁では、剣豪でも木刀では望む結果を残せない。綾野の手札はペナルティーにより相当蝕まれていた。
「裏守備でモンスターをセットして、ターンエンドです」
「……動かないね」
「当然ですよ」
(相手の場に《智天使ハーヴェスト》がいるだけで、おおよそカウンター罠の存在が匂わされる。そんな中アクションを起こし回収のチャンスを作らせることもない……)
だからこそ、の裏守備セットのみだ。裏守備セットだけはカウンターの手段がマニアックな手段のみに絞られる。
「ドロー、だが……な」
「――!?」
御厨は何も言葉を発していない。だが、見据えられた時に感じた威圧感に綾野が悪寒を覚える。
「メインフェイズ、手札から《粉骨砕身》を発動!」

《粉骨砕身》 (通常魔法)
発動ターンにセットしたのではない裏側表示の魔法・罠カード2枚を相手に公開し、その後元に戻す。公開したカードは、このカードの発動ターンは発動できない。公開したカードが2枚とも通常魔法だった場合、カードを2枚ドローする。

(――伏せカードの縛りと公開のデメリットを背負うことで行う、ドロースペル!)
「伏せカードは《手札抹殺》と《洗脳-ブレイン・コントロール-》――2ドローする!」
綾野のチェーンがないことを確認すると、御厨が手馴れたふるまいで2枚のカードをドローする。綾野が驚いたのは発動されたそれについてではない。公開したカードについて、だった。
(2枚の伏せは双方ブラフ……警戒の必要はなかった!? 《智天使ハーヴェスト》の影響で完全に誘導されていた――!)
「いいね、その表情。君を引っ掛けられたのは良い土産話になると思う」
「……貴方は 実のところは本当にコントロールデッカーなのですか? この1ターンのやり取りを見ていると、とてもそうとは思えない」
躊躇なく、アドバンテージを損にしかねないアクションを出来るあたりを見ていると、だ。
「どうだろうねえ、ペテンを仕掛けられてみて、どう感じた?」
「……やられた、と思うと同時に腹が立ちましたね。貴方はコントロールデッカーではないでしょう、そんな貴方がコントロールの仮面を被り対峙している。皇 といい、津田さんといい……貴方も。気疲れする大会です――なんのために、コントロールデッキを選ばれたのですか?」
「なんのため、うーん……それに答えを出すとなれば……」
悩む表情を数刻作り、たった一言、人差し指を軽く綾野のほうに向け答える。
「綾野、あんたをおちょくるため、かな」
「――! あ、あなた……」
そこまで綾野は言葉を吐き、思い返したように口をつぐむ。
(……落ち着け あの人は完全に私を挑発している。そんな簡単に引っかかるな……)
「おちょくるため? まさかそれだけが理由ではないでしょう、賞金1000万を賭けた大会で戦術的な要素を無しにこんなことはしない」
「別に、金を目的としてないからなあ、俺は」
あっけらかんと返答された言葉に、綾野が絶句する。その言葉は演技だとしても好感度は上がらないし、第一意味がない。
「金を要らない ですか? ふざけないでください こんな大会に出場しておいて『金は要らない』なんて青臭い理由で納得できるわけないでしょう」
「『金』が第一目標じゃないとそんなにおかしいか?」
「ええ、裏大会という趣旨と それに対してやっきになってる私の立場を思い返すと 腹さえ立ちます」
慟哭に近い綾野の主張に気圧されたように、御厨がため息をつき、一つ諭す。
「それじゃあ聞くが、おまえはこの大会の主催者の目的をなんだと思ってる?」
「何……って ――何を当然のことをおっしゃるんですか。参加費として10万円を200人分徴収し、1000万円を賞金として還元する。その残りのテラ銭にあたる1000万円を目的にしているに決まってるじゃないですか」
諭すように、蔑むように綾野が『当然のごとく』な解答を発する。それが模範だと思っていたからこそ、御厨からの返答が突き刺さった。
「そう思ってるだろうな。だからこそ互いの思考回路がずれてるんだよな……本当に、そうか?」
「どういう 意味ですか」
「考えてもみろよ。テラ銭が全額主催者の懐に入るわけじゃないだろうに。プリンスホテルの一角を借り切っているし、一流の料理も並んでいる、相当性能な PDAを200台相当用意しているし、莫大な数のカードも用意している。細かいところで人件費もあるな。――まともに『黒字』とは言えないだろう」
「!!」
「そうじゃないか? ……別に『金が第一目標じゃないとおかしい』っていう意見くらいこれで論破できるだろ? 表層的に金銭目的であるこの大会ですら、真の目的は他にありそうだ。例えばほら……一箇所に有能なデュエリストをまとめて観察なり皆殺ししたりするとか、な」
「ピーター・ディキンスン著、『ガラス箱の蟻』……ですか? そういう発想は気持ち悪いですよ」
「――気持ち悪い、とか言うなよ。ヘコむ」
(確かに……その発想はなかった――)
全く別ベクトルの角度から発せられた御厨の視点に、綾野が唖然とした表情を作る。
(いや でも、冷静になれ……確かにその発想は考えもつかなかったとはいえ、主催者が金目的ではない という発想から何もマスターへの道程は導きえない。 基本に立ち返れ……全てを冷静に分析しろ――私の目的は 柔軟な発想で大会を分析する、なんてものじゃない マスターを見つけ出すことです)
脳に立ち上る様々な煩悩を一心に押さえ込み、綾野は脳を回転させる。
(この辺りから勘案すれば――御厨さんのキャラクターは完全なペテン師……口三味線で情報を引き出したり、動揺させたり……そういった『丸め込み』に秀でているのでしょう――デッキ選択も、私の思想に対する論破もそこに集約される)
綾野が一つため息をつく。御厨の実像に対し分析をし、それによってヒートアップしていた自分を戒め、落ち着かせるように。
(そもそも男と女では脳の構造が違うのです だから 『思いつかなかった』ことに関しても何も悲観しなくていい……得意分野すら違うのです)
ほんの数秒ではあるが、綾野の頭の中に弱音が駆け巡る。それを必死に押さえつけるように、精神武装を構築する。そもそも大会開催前のやり取りから、どうしてか全てを見通されている感じさえした。その事実を打ち消し、忘れることを望むように、だ。
「続けてください デュエル しましょう」
(だったら、私にも――考えがあります!)
「おう、そっか。まずはバトルフェイズに入ろうか、ハーヴェストで裏守備に攻撃する!」
豪快な破裂音とともに《デス・ラクーダ》が砕け、綾野が閃光に目を細める。
「……圧倒的、だな。本当に時の運だけの問題か? カードを1枚伏せ、ターンエンドだ」
「……」
綾野が無言でカードをドローし、考えるそぶりを見せ、
「《智天使ハーヴェスト》召喚!」
「《昇天のフルート》!!」
「――《カウンター・カウンター》」
ディスクに叩きつけられたカードから、一気にチェーンが2つ積み重なる。召喚を無効にしたい御厨の希望に、綾野の打消しが重なり、無事ハーヴェストがホログラムを構築する。
「はは、それでこそ本職の『ぱーみっしょなー』ってやつだ」
「――おちょくるな、バトルフェイズ――ハーヴェストでハーヴェストに攻撃 します」
「スルーだ」
乾いた笑いを見せていた御厨が真剣な表情に戻り、綾野の要望を通す。双方のプレイヤーのホログラムは砕け、互いの墓地から、互いに1枚ずつしか存在しないカウンター罠が排出される。
「……」
綾野はそれを無言で手札に加え、
「メインフェイズ2――2枚のカードをセットして、ターンエンドです」
「ドロー」
御厨がドローしたカードは《天使の施し》だった。明らかに綾野は本調子に戻してきている様子を思わせていた。伏せカードには誘いが見て取れたし、だからこそ発動さえ弾くオーラが感じられる。
(だが……)
今は十分押している。少なめに見積もっても7:3で優位で有ることを御厨は掴んでいた。
(今冒険しても罰は当たらないだろう――)
「メインフェイズ――《天使の施し》!」
「《マジック・ドレイン》です!」
御厨の手札に魔法カードはなかった。一瞬だけ目配せしたそれに舌を打ち、作戦を練り直す。
(勘――ってヤツか!? 相当経験値高いピンポイントな打ち消しだな!)
「……」
(いや、違う! 俺は《粉骨砕身》のために伏せの通常魔法カード2枚を公開した……ということは、手札及びデッキの通常魔法濃度が低くなっていることは想像の範疇か! コントロールデッキとしてそもそも魔法の比率が低い以上、タイミングを見計らってこっちのテンポを崩してくるのもそう難しくはない!)
ここまで、思考は一秒とかからない。
(だったら、相手に考える隙を与えるな! スピーディに攻める!)
「伏せから――《手札抹殺》!」
「カウンター罠――」
(この交渉は打ち消すか――)
「神の宣告!!」
綾野が叫び、チェーンが積み重なり、問題なく――滞りなくそれは進む、と御厨は感じ取っていた。だが、
「――?」
しいん、と場が静まり返り、《神の宣告》のエフェクトが発動する様子を見せない。
「しまっ――!?」
綾野が口から一言漏らし、ディスクに現れたアルファベット6文字を見定める。そこにはたった一単語 “REFUSE” とあった。御厨はマニュアルブックを思い返す。あの表示は、《禁止令》等で不適切なプレイをしてしまったときに表示される注意ガイドだ。
「……」
現状を理解した御厨がにやりと笑う。
(ついいつもの勢いで、って奴か!? あいつも意外と人間くさいミスするじゃねーか!)
「……《手札抹殺》はキャストされて、手札をお互いに入れ替えます、《神の宣告》はそもそも発動すら出来ない。裏に戻しておきます」
ミスをついばみ、隠すように綾野が淡々と処理を進める。しかしそれは一面、御厨はその様子を見て『警戒』した。ホログラムを違う角度から凝視するように――何か隠されている、とすら思った。
(いくらなんでも――あのミスはありえるのだろうか? 《神の宣告》が封殺されているのは覆しようのない事実だ。だが……Duelist Legacy 4 における《神の宣告》のナンバーは56。Beginner’s Edition 2におけるナンバーは73。――ストラクチャーにも封入はされているが、ナンバーは30台……エキスパンションの変更から封殺まで最低でも600秒も有する――この間、気づかないままで居るだろうか? そもそも綾野はパーミッション、きめ細かい把握が必要なのに『並にプレイしているときに』あんなずさんなミスをするだろうか?)
ともすれば疑心暗鬼の思考。しかし、そこから現実が光明となる。
(だったら……『あれ』は俺をすかすために仕掛けてきたフェイク!? 何のためにそんなことを必要とする?
わざわざ公開情報を見せびらかし、勝利するためにもっとも重要な封殺状況を公開する――それも、《神の宣告》が封殺されているのであればDL4 , BE2が引っかかっているのなら――最低でももう1分もしないうちに、もしくはもう既に残りのコアなカウンターも封殺されている。それは明らかにクリティカルなデッキの穴だ。そんなものを公開して勝てるわけがない。例え封殺されているとしても最後まで隠しておくべき重要なポイント――いや……まさか……!!
まさか――今のやり取りで『綾野=マスター』という説を完全に消すためか!? マスターであれば「自分が追い込まれる抹消」は施さない。もし綾野がマスターであれば確実に重要なカウンターが封入されているパックには手をつけない。綾野はその『クリティカルなパック』を封殺された時点で、マスター候補として狙われたら身が持たないことを覚悟した。だからこその身を削ってのアピール――だが、普通そうまでするか?
なんなら口でアピールすればいい、『PDAを公開する』とかなんでも手段はあったはずだ……いや違う、それは俺がやった方法だ。PDAでのアピールなんてな んとでも欺く手段がある。一番手っ取り早いのはデュエルディスクを使って、《禁止令》されたことを見せ付けること――これだけはどうあがいてもごまかしようがない)
決闘盤を交換して戦うのはリスクが高すぎる。交換の担い手がわざと負ければ、それは元の持ち主の敗北として処理される。明らかに不条理だからだ。
(俺へのデュエル前の交渉、ペテンに対してのヒートアップ、極めつけにこのフェイク――こいつの根底にあるのは『人間不信』だ。それも、並大抵のもんじゃない。近寄る人間を全て敵だとすら思わなければこの風格は出せない。しんどいだろ!? こいつ、いかれてやがる――!)
「……どうしました、デュエル。続けましょう?」
綾野が柔らかく御厨に向けた問いかけすら、真意を測りえない。
「ああ」
御厨は一言だけ答え、手札を入れ替え――綾野をにらんだ。

24:03 … 綾野指定パック『Enemy of Justice — ~EOJ-JP004』 現状禁止確定:PP5 , MR , 306 , VB09 , DL1 , DL2 , VJC(VJMC) , 309 , SDM , DL4

「……どうしました、デュエル。続けましょう?」
「ああ、そうだな。わかった」
綾野の真意を掴み取った御厨は体内の奥底から沸きあがる身震いを必死に押さえ込んだ。
人間、自分の物差しで計りえない相手と対峙した時、野生としての本能なのだろうか――敵愾心や恐怖心が先行するという。理屈では知っていたが、いざそれを目の当たりにしたとして冷静な感情を保ち続けるのは難しい。
尖りきった不信を鼻先に中てられ、少しでも動けば突き刺されるような威圧。密林に囲まれ何が生息しているかさえ不明なアマゾンに単身放り込まれるような悲壮感さえ感じる。
(……なるほどな、やられたよ。『おまえの目的は俺を潰すことなんかじゃない』ってことだ)
御厨は、冷静に綾野のミスリードを潰しクールダウンした思考で盤面を見計らい、そして一つの結論を導き出した。
(デュエル前――あのやり取りで、俺は重大な錯誤をさせられた。そして、今の今までその事実を放棄していた。怪しんでさえ居なかったんだ。そもそも、このデュエルの勝利による交換条件――はっきりと言ってしまえば公平に資するとはとてもいえない。
思い返しもすれば……綾野が勝利によって得るものは『俺のマスターをおびき寄せる戦略を止める』ことであり、俺が勝利によって得るものは『綾野は俺の作戦を止めず、干渉しない』ということ。綾野が敗北したとて、それによって彼女が失うものはない。しかし、デュエル前のやり取りで、考えていた戦略を全て掴 んでいることを武器に詰め寄られた。その中、無意識にこの交換条件が公平というように植えつけられた。実際は綾野が敗北しても俺を止められないだけ――ゼロになるにすぎない。そして勝利すれば戦略は止まる――プラスの成果が出るということだ。上手に交渉を進められたよ。
そして極めつけの先ほどの人間不信演出。わざわざデッキを変更しないでまでそういうことをしたということは……)
「なあ、綾野」
「はい なんですか?」
「数十分ホールにいなかったけど、その際になんかあったのか? 『デッキが変更できないほどの事情の』な」
鼻の頭を人差し指で掻き、短く台詞を吐く。軽く笑みを浮かべて発せられた言葉には、抱える違和感を全て解決しようとする気概さえ感じられる。
「見て……なかったですか? ホールで意識を失って医務室の方で休ませていただいていたのですが」
「それは見てたが……詳しいとこまでは知らないしな。それについて黙秘する理由も無いだろ?」
「ええ……ないですね はい」
黙秘する理由がないのは単純――人間不信の演出をしたからだ。真実(情報を公開してまで自分がマスターでないことを証明)を知る人間に対しては『何故デッキを変更しなかったか?』というのは疑問点になる。DL4 , BE2 , ストラクチャーのいずれの封殺であっても十分に変更をする時間はとれる。それなのに変更をしなかった理由は? という点を考えれば、単純に『できないから』という答えで十分だろう。
相手が真実を知っているのならば疑問点は解決させておいたほうがいい。その方が自分の狙いも明確に進むだろうし、よって綾野としては断る理由は無いのだ。
「――――ということです」
「なるほどね」
30分強もの間眠っていたこと、それに伴うペナルティによってデッキが変更できなくなっていることを綾野は話す。嘘偽りなく、正直に。
(さすがに 見事ですね、こっちの狙いは完全に理解されていましたか。1デュエル終了までデッキが変更できないというペナルティ そして《神の宣告》を筆頭とする中核カウンターの封殺。それによって、もはや私はデッキの変更 をするまでこの大会レベルのプレイヤー相手には勝利は絶望的になった……。だから、もう 今回のデュエルは諦めていました それだったら思うのです 『価値ある敗北を望む』ということを。
そのために選んだのが彼――御厨さんでした。私は、彼には多かれ少なかれマスター疑惑をかけられていた だとしたらその疑惑を潰しておかなければ、他人を使い外堀から責められればまともなコントロールデッキをもはや使えない私には勝機がない。これから先は短期決戦――デッキが働き者のうちにマスターを見つける。埃を払う隙さえ作っていられないのだから。
だから私は、負けてもいい。この人からマスター疑惑を取り除いたこと、デュエル強制のペナルティを自発的に解除できたこと、1デュエルをこなしたことにより デッキの変更が可能になること、また……涅槃寂静のごときわずかな御厨=マスター説の消去 ……これだけの収穫があったのですから もういいんですよ。潰 してください 無駄な時間は過ごしたくありませんから)
そう、視線は物語っていた。倫理的に決して言葉にはできないような欲望ではあったが、綾野の表情はそれを雄弁に物語る。だからこそ御厨は、
「ここで従わないのは、それこそ無礼だよな。マスター……――聞いたとおり、噂にたがわぬ淑女だ」
「え、今……なんて――」
一言呟いた。核心に迫った剣の、切っ先を向ける。
「独り言。聞き流してくれ、それじゃマジにいかせてもらう――《手札抹殺》によってドローを行う。《ジェルエンデュオ》、召喚!」
「はい!!」

(覚悟はしていたのですが 負けっていうのは……)
壁にもたれかかり、ミニテーブルに乗っけていたウィッグを手に取り、空いた左手をぐっと握る。
(負けっていうのは悔しいものですね……この悔恨の感情も――長らく忘れていました……)
彼女は孤独ゆえ孤高だった。人に頼らず自分の力だけで路を開いていく綾野は、その一人だからこその強さゆえ、敗北さえまともにしない人生を歩んできたからだ。
御厨が部屋から退場して数分が過ぎ、昂奮状態から落ち着いた綾野が白い天井を見上げる。部屋を開放し、活気が戻ってきた休憩室で綾野は長い息を吐く。
(あの人の視点は、私と全く違っていた 『別にホールでデュエルしなくていい』『この大会がテラ銭目的ではない可能性』を明確に説明した。私だって ずっ と『津田』という名前に対してデジャヴを持っていた これはきっと、その他大勢のプレイヤーや御厨さんには掴まれてないはず。一刻も早くこの違和感を解明 しなければ。
そうです……ホールでデュエルをしなくていいということは、少 しマクロな視点からマスターを捉えられる。今までデュエルする相手をホール限定としていたからこそ、マスター候補をホール内部にいるジャッジやPDA担当の津田さん程度しか考えられなかった しかしホールの外でもいいのならば小ホールにいるカード分配担当の数名もその範疇に居るのです……。
そしてもう一つ御厨さんが仰っていた この大会がテラ銭目的ではないというロジック これは本当にただのミスリードなのでしょうか。ガラス箱のアリのように集めたデュエリストを皆殺し? ――そんな趣味の悪い話は文学小説だけで十分です……。
だったら、何が目的になりうる? デュエルのレベルを試し、マスターの元へたどり着くまでの分析力を要求するならば ……優秀な人材の確保? 就職試験のSPIから面接への流れと思えばいい 頭脳と地力を要求するのならば今大会の手法はうってつけですね……頭脳を求められているとするならば あらゆる事象をヒント――伏線として見るべきです 何があった? 誰と出会った? 違和感は本当に全て解決したか?)
「……」
(ちょっと……待って――本棚……ずっと、大会主催者の趣味をうかがわせてきた本棚。これは、おかしくないだろうか? 本当に筒井フリークとしてそれをアピールしたいのなら冒頭の ガイダンス時にでも説明があったでしょう しかし実際は簡単な設定の説明があっただけで筒井フリークのそぶりは微塵も見せなかった。
しかし、実際はあらゆるレストルームに本棚が設置され、自由閲覧が可能になっている。でも、それはおかしい……一刻を争うデュエルでしのぎを削っている最中に、あんな本を読んでいる楽観者はいるだろうか? それならば……あれこそ、核心に迫るものをはらんだキーセンテンス しかし、)
綾野は周りを見渡す。がやがやと喧騒を取り戻した部屋と雰囲気を一瞥し、思う。
(こんな部屋で、本棚にある本を見だすなんて不審な行動はとれない。医務室は――いや、皇があそこにはいる。……これに関しては何処も一緒でしょうね)
目を落とし、綾野が落胆した表情を作る。
(本屋に向かうとして時間内に戻れるかと言われたら厳しいですし……あれ、本屋?)
一つの言葉を脳で歯止め、紡いだ結論をせき止める。怪しまれないように、見知らぬそぶりで綾野はレストルームから出て、女子手洗いに足を進める。
鏡の前で左右を確認。個室にも誰も居ないことを確認すると、携帯電話を開き、『ナ行』を選択する。3回の着信音のあと、相手方は電話をキャッチした。男の声が、透き通る。
『はい、もしもし。どうしました?』
「――仲林さん、まだ――ジュンク堂にいらっしゃいますか? 一つお願いがあるのですが」

彼女は――皇は、純白のベッドの上で口を開いていた。
(え……ちょっと待って、そういう……ことか――)
座りもって読んでいた文庫本のページをめくる手がぴたりと止まり、皇は目をつむる。熱で沸いた海馬組織を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐く。
(……この考えが正しいとしたらマスターは、絞られる。それに、理由としても十分使える論理になる。マスターに挑むとして、デッキは……)
皇のデッキは、長時間の蝕みによって半分強が使用不可のカードプールに追い込まれていた。PDAの表示と、右手で扇状に広げたデッキを見据え、すわった目で落胆した表情を作る。
(大会参加者に挑まれたとして勝利は難しい……一度敗北してさらに削られたカードプールならもっと苦しい……だったら、満身創痍のデッキでもいい――現状のこれでマスターに挑みたい、だけど私はデュエルを回避できない。事情を知ってる人や、知らない人にでもデュエルを挑まれたら避けられない。
いかに、余裕な素振りでマスターの元にたどり着くか、だけれども……そのための情報が足らない――。確かPDA担当のお姉さん――誰だっけかな……が最低限の情報を教示してくれるから、もう一回あそこに……)
皇がシーツを丁寧に折りたたみ、足をベッドの外に向ける。横に揃えられていたミュールを履き重い足取りで医務室の扉を開ける。そこに、
「や、あやのちゃん。こんにちは」
「津田……さん」
そこには『メタゲーマー』津田 早苗 がいた。壁にもたれかかって手鏡を弄っていた彼女には待ちぼうけをした様子すら感じられない。
(でも、ここに津田さんがいるということは……狙いは)
「どうしましたか? ここで休憩ですか?」
「綾乃ちゃん、平常だね。でも、ごめんね。貴女が医務室から出てきたということは――この大会のゴールをおぼろげながらも見つけかけているっていうことだし、だったら潰さなきゃいけない。私も、ゴールはおぼろげながら見えている参加者の一人だから」
(仲林さん……それに津田さん……『出待ち』されることに対してトラウマになっちゃいますよ)
「ごめんなさい、みんな、本気だから」

「これで、いいんですよね。綾野さん」
「はい わざわざお使いを頼んで申し訳ありませんでした」
ブックカバーに包まれた文庫本をホテルのエントランスで、仲林が綾野に手渡す。
「お代は……細かい紙幣がないですね 1万円お渡しします」
綾野が平然とした表情で1万円を手渡そうとし、
「……お代、1000円切ってるんですよ? 受け取れると思います?」
仲林がやんわりと拒否をする。
「いいんです、受け取ってください 本の領収と買い物に対する謝礼も含んでいます それに――」
「それに?」
「1000万円 持って返って来るんですから 1枚くらいどうってことはありません」
力強いその言葉を聞いて、仲林が口端を上げる。
「そうですね、なら……お受け取りします。――頑張って」
「はい、もちろんです」
その言葉を最後に両者が翻る。一方は出口へ、一方は内部へ歩を進め、広いエントランスでもはや互いは認識できない距離にいた。
「無理はしないで下さいよ、綾野さん」
もはや聞こえない距離で彼が呟いた言葉は、届かない。彼女は一つ大きく瞬きをし、前を力強く睨む。エレベーターに乗り込み、ホールのある12階へ帰還する。

独りしか載っていないエレベーター、静寂に包まれた箱の中に響く機械音を聞きながら、綾野は先ほど渡された文庫本を開く。ぱらぱらと10ページほどめくると、本の間から独特のザラ紙の薫りが漂う。ある一つの文節で綾野は目を留め、瞑り、考え込むような仕草を作る。
再び目を開けた綾野は、一気に数十ページをめくり、また一つの文節で目を留める。そこからの数ページを綾野は速読し、
(……裏づけは、取れましたね)
一つ、思う。
(さて、最終確認です)
珍妙な金属音を鳴らし、12階でエレベーターは止まる。軽く揺れたエレベーターから綾野はそっと足を下ろす。そこは先ほどと変わらぬ喧騒が繰り広げられていたが――察するに、少し音量が小さくなっているようにも取れる。おそらくは、さらに脱落者が増えたのだろう。
綾野はその事実を気にも留めず、ホールに向かって歩を進める。視線の先にはPDA担当スタッフ――津田 麻美がいた。綾野を視線に入れると津田麻美は恭しく一礼をする。綾野も返すように一つ会釈を返し、しばらくも経たないうちに両者の距離が縮まる。
「あの 津田さん。一つ二つお聞き――いや、確認したいことがあるのですが」
「あの 津田さん。一つ二つお聞き――いや、確認したいことがあるのですが」
「はい、どうされましたか?」

「……」
その様子を、ホールの内から津田――綾野を介抱した『メタゲーマー』津田 早苗が厳かな面持ちで見つめていた。綾野が何かを聞くと、津田 麻美は一つ頷く。さらに、もう一つ質問を被せると津田 麻美は豆鉄砲を喰らった様な表情を作り、言葉を返していた。
(あの表情は……よし)

「ありがとうございます 津田さん」
「いえ、お役に立てましたら光栄です」
綾野が津田 麻美に一つ礼をすると、津田 麻美はテンプレートのような言葉を返す。そしらぬ素振りで営業スマイルは崩さない。
(さて、それじゃあ 『マスターを潰すために』 デッキ変更、しますか)
綾野が一つの決意を胸で膨らませ、翻る。向かうは、武器調達所――小ホールだ。
「待ってください、綾野さん」
綾野の後ろから、『メタゲーマー』津田 早苗が右肩に手を置く。停止の要求に綾野は素直に従い、神妙な面持ちで津田の顔を見据える。綾野も、津田も真剣な表情を崩さない。数秒の沈黙が経過し、先に口を開いたのは津田だった。
「貴女は、もうデッキを変更する必要はありません」
「どういう ことですか」
津田のアイロニックな発言の意図を、もちろん綾野は掴んでいた。しかし、聞き返さずにはいられない。
「お分かりでしょう。私が、マスターの正体を暴いて、この大会に終止符を打つんですよ」
「……どうぞ、私は止めません」
止めない、というより止められないに近かった。『ならば、マスターへの指名権を賭けて勝負だ』とはいかないからだ。その取引について、津田が得るものは何もない。
「ありがとうございます、そこでお聞きください」
「……」
綾野は体の向きを変え、メタゲーマーの、そしてPDA担当の津田を見据える。『メタゲーマー』津田の手は震えていたが、口端は上がり面構えには威圧すら 思われる。一方、『PDA担当』津田はこれまで通りの態度を崩さない。端正な表情と体のラインを崩さず、腹部の前で両手を重ねている。
大ホールは、ここで起きている終幕寸前の出来事に気付かぬように、それまでどおりのデュエルを続けていた。『メタゲーマー』津田は、一つ咳払いをし、壮大に、それでいて静かなプレゼンテーションを始めた。
「まず、マスターは貴女――PDA担当スタッフの津田麻美女史に相違ありません」
それが、津田の導いた結論。
「そもそものスタートラインとして……この大会の前提ルールである『残像に口紅を』にしこりがありました。諸所に設置されている本棚、こちらには筒井著の作品が並んでいましたが、ここに其方の思うヒントを散りばめていたと思っていいでしょう。単に貴方達スタッフサイドがこれを機に筒井氏のファンを増やしたかったと考えることもできますが、ただでさえ時間を拘束される『残像に口紅を』のルールでそれを要求するのは難しい。
――もし、本当に大会をしながら筒井著を広めたいとでもお思いなら、もっと適した作品があります。例えば『虚人たち』も『残像に口紅を』と同じく、時間を根底に添えている作品であり、こちらは “原稿用紙1枚分が作内の1分に相当する” 設定です。これを使えば『デュエル中にだけカードプールの減少が進む』というルールも無理なく作れますし、これであれば休憩中に無理なく筒井著を広めることが出来る。
よって……そこから考えたらあの本棚には『意味があった』と考えるのが自然です。と言っても、本棚には筒井氏の全著作が整理されてい た。どれをヒントと捉えるかはアプローチがなければ難しい……ですが、この条件下でどれがヒントか?というアプローチに解を出すのは小学生でも可能です。ルールが『残像に口紅を』。ならば、ヒントは同著に含まれると考えるのが素直で、そして当然な考えです。だからこそ、本棚があった――この物語の内容を知らない人に、知らないまま解にたどり着くことを要求するのは……そうですね、よく使われる表現で『猿がシェイクスピアを書き上げる』、それくらい無謀なことです。
なので基本的には、貴方達のヒントのアプローチの仕方に気付き、各所本棚にある『残像に口紅を』を読めば、ヒントの本質に気付く方もいるはずでした。 しかし、ただでさえ極限状態に近い大会下、そこまで強心臓の方はおられなかったようですね――いや、居たとして気付いていない方もおられるかもしれないの ですが。あと、人前で読むことをはばかった聡明な方もおられるかも……しれないですね。――それで、私なのですが……実はここで『残像に口紅を』を読まずとも、そのヒントまではたどり着いていました。既に、私的に同著を読破していたんです。――まさか、こんな経験がアドバンテージになるとは心にも思っていなかったのですけれどもね。
そして、ここからが問題になります。『残像に口紅を』内の何がヒントなのか? そして、そのヒントをどういう風にアプローチするか?
ここで幸いでした。私は、ある一つのセンテンスのおかげで、『それ』が印象付いていたんですよ」
一呼吸置き、凛とした声量で。
「それが、”名前” です」
「……」
「元々会場内に大量に苗字『津田』が存在していたのが気がかりでした。ここまで徹底しているのですから、きっと見えてない範囲のスタッフも全員『津田』なのでしょう。これ、明らかにおかしいですよね。この状況が明らかにヒントであること、このことについては会場内のほとんどが掴んでいると思います。
ただし、それをどう捉えるかについて気付いたのは私だけだったでしょう――気付いたら、それすなわちマスターを捕らえること、ですから。その、会場内の スタッフ『津田』の妙な統一は何を意味するか? それは、その『津田』という苗字を印象付けたかったために行ったリーディング。そして、その意味は、『残像に口紅を』内に含まれています。
――津田、その名前は同著10ページ目に初登場します。主人公佐治の友人であり評論家である人物が――津田、その人です。私の苗字と同姓ですから、印象が残っていたんですよね。大体の設定すら頭に残っていたんです。……読み進めたら解るのですが、物語が進むうち評論家津田は影を潜め、主人公佐治の独り舞台になります。その間津田は何をしていたか?というと、……ここからがおぼろげな記憶なんですよね――しかし、『裏方に回って物語進行の手助けをしていた』ことは確かに記憶をしています。津田がいないと『残像に口紅 を』の物語が進行しない――マスターがいないと大会が終わらない。同義と捉えても宜しいでしょう。
『”津田” が “裏方仕事” をしていた』。アプローチとしては十分、貴方達スタッフ『津田』内にマスターがいることを示唆します。しかし、そうは言ってもPDA担当、ジャッジ数人、小ホールカード担当。候補はここまでしか絞れない。ここからは実務的に考えます。この中にマスターがいるとしたら、一つだけ仲間はずれがいると仮定できる。ジャッジ数人は同じ仕事をしているので差異を考えにくい。なので除外していい でしょう。PDAとカード配布担当どちらか、と考えた際――思いました。もし誰かにマスターとして指名された際、それを他の参加者に悟られず処理できる役 職は誰か? それを考えると貴女しかいないんですよ。万一としてジャッジ、及びカード配布担当のスタッフが参加者を引き連れて干渉されないところにデュエルをしに行きたくとも、仕事上参加者を連れ歩くのは不自然です。
しかしPDA担当の貴女なら質問係としての業務も兼ねている。もし貴女が参加者を連れて何処かにいくとしても、前二者に比べて不自然な度合いは極めて少ない。警戒するのなら、その参加者が昏睡した演技でもして医務室に連れて行く一芝居でも打てば十分すぎます」
「……
「どうですか? 状況とアプローチから考えれば、貴女しか選べないんですよ。私は、貴女をマスターとして宣言します」
周りへ悟られることを配慮して指をさしはしない。しかし、眼力を向け、しっかりと見据える。
「……どうですか? 綾野さん。完敗でしょう」
「そうですね、見事な推理です」
綾野からの賞賛に津田が笑みを浮かべる。だが、その笑みは、その後の逆接接続詞で一瞬にして潰される。
「しかし」
「え?」
「貴方の推理には穴があります 要素として含むべきファクターを含んでいない。よって、一番引っかかってはならないミスリードにまんまと引っかかってしまった」
綾野が髪をかきあげ、ハッタリを一切含まない本音を津田にぶつけた。
「う、うそでしょ――」
「嘘ではございませんよ、津田様。――私はマスターでは、ございません」
それまでどおりの同じ口調。同じビジネススマイルを浮かべ、『PDA担当』津田は答える。しかし、その笑みを津田は――悪魔のそれと見紛った。数秒の沈黙、静かに小ホールから数十枚のカードを受け取り、右手の二人の津田に笑みを返す。
「ついてきますか? きっと私が指名するマスターの正体を見ても、貴方はそれを立証できないはず。特に連れて行ってマイナスになることもないでしょう。この物語を、終わらせにいきましょう」
「……え、え――」
綾野の凛とした態度に、未だ津田が信じられない といった表情を崩さない。自分の推理は絶対だったはず、穴なんかなかったはずだ。しかし一番崩されたくない人にその思いは打ち砕かれ、遠くに立たれている。
翻る綾野に津田は無言でついていく。津田の心には、一かけらも隙を突こうといった邪心はない。
(私がするべきことは、敗北を認め、綾野さんの立証を見守ることですね)
それは、プライドの問題だ。津田は、自らの未熟さを認め表情を作り直す。
「……はい、お供します――」

「……綾野さん、先ほどあのPDA担当の津田さんに、二つ質問してましたよね? 一つは『はいorいいえ』で答えられる質問を、もう一つは何かを教示してもらえる質問を」
津田は、鳩が豆鉄砲を喰らったようなあのときの『PDA担当』津田の様子をどうにもしこりに思っていた。永劫、沈着冷静で業務に従事していたあの女性が唯一崩した態度。きっとあれが、核心だったのだろう。
「ご覧に なっていましたか」
「はい、何を質問されてたのですか?」
綾野は、小ホールを通り過ぎ、どこかへ向かっていた。津田は、その目的地を追及することなく、ただ疑問点をぶつける。
「支障なければ、教えていただけないですか?」
「まず前者の質問、嘘か真かで答えられる質問に関しては『マスターの名前は “津田 美樹” さんで、宜しかったですか?』です」
「津田 美樹っていうと……確か」
「はい、あのPDA担当の方にマスターの名前を聞いた時に返ってくるテンプレートです、津田さんも お聞きになってたようですね」
「私も聞きましたが……あまり参考にはならないと思って、『偽』として扱っていた情報です」
「ええ その考えにはかねがね同意できます ただし ある一つのファクター次第でこれは『真』の情報となる。そして、初めてこの情報を聞いた時には私はこれを『偽』と判断したため記憶が曖昧になっていた。だから、改めて聞いておいたのです」
「なるほど」
綾野の言葉の結末を聞くことなく、津田がひらめいたような表情を作った。
「『ヒントによって、マスターの正体が表立って名前が公開されていない存在と結論づけられたら』――マスターの名前という情報は真でないと指名ができない」
「そういうことです」
「ということは、綾野さんはマスターを『名札をつけてない人、名前が公開されていない人』としたわけですね? それなら参加者に化けたスタッフ? ――え、でも 綾野さん……どこに向かっておられるんですか?」
「それが、あのPDA担当の方にぶつけたもう一つの質問と関連するのですが――これについては秘密にしておきましょう 直にわかります」
「……って、綾野さん――ここ、エレベーターですよ」
綾野が足を止めた先には大理石で固められた壁と扉――先ほど乗ってきたエレベーターがあった。瞳孔を開き、きょとんとした表情をしている津田に 綾野が笑いかける。
「そうですね」
「一体、何処に――?」
「お楽しみは、最後まで 取っておきましょう」
エレベーターのボタンを押し、二人は一階に降り立った。津田は手探りで暗闇を進むように、きょろきょろと状況を見渡す。綾野は、威風堂々とした態度を崩さずに細い廊下を進んでいく。
歩くこと一分、二人は一つの鉄製の扉の前で止まる。そこには『STAFF ONLY』――関係者以外立ち入り禁止の字が彫られている。津田が頭上を見上げると、部屋の名前を記すプレートが掲げられていた。その羅列を見て津田は、はっとする。
「え、ここって確か……まさかマスターって――」
「はい、あの『PDA担当』津田さんにお聞きした質問、『”この部屋”の場所』を聞いていたんですよ」
綾野が二回扉をノックし、中から どうぞ と一声がかかる。その声を聞いて綾野は取っ手を手に取り、ゆっくりと扉を開ける。
開けられた部屋の中には複数台のコンピューターとディスプレイ、そして一人の女性。女性はヘッドホンをつけ、せわしなくキーボードを打っていた。
「あら、こんにちは。どうされましたか?」
中の女性が、綾野の入室に気付くと椅子の向きを変え、ぺこりと会釈する。打っていたキーボードの手を止め、何かを切り替える動作を行った。
「単刀直入に申し上げます。――放送系統業務担当及び『残像に口紅を』カードプール抹消担当スタッフ “津田 美樹” さん。私は貴方をマスターとして宣言します」
部屋の名前を示すプレートには『放送室』、三文字が記されていた。機械の鉄くさい匂いがかすかに漂う部屋で、真実がつまびらかにされる。
「そうですか――貴方は確か、綾野くるみさんでしたね。とりあえず、私をマスターと宣言した訳をお聞きしましょうか」
綾野の言葉に動じることなく、態度を変えず、目の前の津田 美樹は口を開く。その返答に綾野は一つ頷き、証明を始めた。
「その前にお聞きしたいのですが そちらの放送網で先ほどの津田さんの、PDA担当津田さんへ対する証明はお聞きになっておりましたか? こちらで行う証明の5割は先ほどのものと同一なので、できれば省略したいのですが」
「ええ、当方のPDA担当から、そちらの津田様の証明の際に合図を受け取っております。その内容を全部聞いていますよ」
「でしたら、証明――『残像に口紅を』の存在があるからこそ、津田という苗字内にマスターがいるという論法に対しては私からは省略します」
「はい……承知しました」
後ろをおずおずとついてきていた津田は仁王立った綾野と、悠然と座る津田 美樹を交互に見つめ、その威圧に圧倒されるように唾を飲む。
「津田――そちらスタッフの中にマスターがいる、そこまでは同じ考証を行っています――しかし、『参加者が連れて歩くことが不自然でない役職』でマスターを決定するとなれば、もちろんこちらのスタッフ、美樹さんも範疇に入りますね。津田さん、貴方は証明の際に、自らの情報の範疇にないスタッフを排除していることが前提条件として懐疑に足りうるんです。知らない範囲に――もしかした ら、ホテルのチェックインスタッフやシェフ、ベッドメイキングの人員が津田と名乗るスタッフかもしれない。万一の可能性ではありますが 決して排除できる 可能性ではありません――現に、こちらの美樹さんを見逃していましたしね」
「反論、できませんね……で、でも、綾野さん。それだけで決定したわけではないのでしょう?」
ウィークポイントを全力で刺された津田が、ため息交じりに答える。
「ええ、もちろんです。貴方は『残像に口紅を』内における評論家津田の役回りを『裏方に回って物語進行の手助けをしていた』と解釈していましたね。実際その要約は間違ってはいません しかし不安要素があるのならもう少し読み込むべきだった 不安なのだったらここの本を使って調べるべきでした。
津田の役回りをもう少し掘り下げると――むしろ『思いのままにストーリーを動かしている』に等しい。途中の描写に要約をすればこう表現できる部分があり ます、『本当にアトランダムに文字を消していくと物語の進行に齟齬が生じる――なので多少は作為的に文字を消す』という部分が。そして、作為的に文字を消 している黒幕は津田 その人です――それも、これは物語途中で主人公佐治が感付くんですよ」
「……あっ!」
綾野の広げた新しい情報に津田が思わず声を出す。盲点を突かれた安楽椅子探偵小説の助手のように。
「そして、当初から私はこのカードプールの抹消に違和感を感じていました 最低限のバランス調整に真っ先に刺されたPP5からMR、306へのスピーディな対応。その後作為か不作為か解釈に戸惑う抹消を行っていましたが それでも『魔法の支配者』『混沌を制す者』『デュエリスト・レガシー4』『Enemy of Justice』等々、一定の頻度で私にとってクリティカルな抹消を施しています。おそらく 各プレイヤーに適した抹消をされているのでしょう。この消去法はまさに、原作津田による半作為的な文字の抹消を彷彿とさせます 気付かせるか気付かせないかの瀬戸際で、真綿で首を絞めるようなカードプールの抹消。
評論家津田が物語の進行に不可欠なマスターであれば、当大会におけるスタッフ津田――とりわけカードプール抹消という形で原作のロールプレイをしている津田 美樹さんはもっとも疑うべき存在となります」
「あ、綾野さん!!」
「……なんですか?」
そこまで一気に畳み掛けた綾野をさえぎるように津田が慟哭する。
「そのロジックは、不安定すぎる! カードプールの抹消が作為的とは『断定できない』んですよ!?」
「当然 それくらいは理解しています だから、その考証を補強するんです。確かに、カードプール抹消が作為の絡んだものであるかは断定できません。それは、本人である津田 美樹さんしか知りえないことですから。しかし、大会途中にヒントは散らばっていました――そして、それがマスター=津田 美樹説を補強する重要な材料になる。……原作、224ページで主人公佐治は津田の思いのままであったことを認めます。女性と浴槽にいるシーンでいきなり海員会館に飛ばされたり、『傀儡としての扱い』と原作中で称されていますね それは、この大会のどこかと一緒ではないですか?」

『以上、21名の皆様に第一次警告を勧告します』
『なお、大会の放送・デュエルのネットワーク担当をしている当部屋で各プレイヤーのデータ抹消状況について把握しており、不自然なデュエル回避が予測されるログが残っている場合随時勧告いたしますのでご理解ください』
そして、故意にデュエルを避け続ける参加者に対しペナルティを課す、という警告。

「あ、あの放送ですか……」
「ええ、美樹さんとしては ……言い方は悪いですが、参加者は『残像に口紅を』における傀儡である佐治の役回りであることをアピールしていました。この放 送によって、『放送室=抹消室』というヒントも出していますし、あえてルールに穴を作り30分間 聡明なプレイヤーを沈黙させておいたのは、この放送に理 由付けをするため。何の脈絡もなく、放送室で抹消も担当していることをさらけだすのは当然怪しまれます。
デュエル終了後のカードプール抹消 の行い方ですら特定ではなかった――ナンバーの打ち込みが必要なときとそうでないときがあった。このことについてのポイントは2つ。一つは原作本編中の津 田の『いたずら好き』な性格のロールプレイでしょう、本編中でも津田は『俺は読者の望む展開を作っているだけだ』とすら言うくらい、面白い展開を作るため だけに情事のシーンを画策したりするくらいの人物です。お茶目、いたずら好きという設定なのですから、それをロールプレイするのだったら、こういった傍目 『意味の無い』揺さぶりをしてくることすらヒントになる。
そして、もう一つは この打ち込みの有無が操作可能であることの立証。完全に打ち込むか打ち込まざるかはアトランダムであったのですから、処理をするべきかどうかは手打ちだったのでしょう。ナンバーの打ち込みの方は津田 美樹さんの方において操作しているということを示しておいてくれました。
『デッキの変更回数規制』についてもルールとして明示しなかったのは 『いたずら好き』のロールプレイと、その隠しルールを考慮できるか判断するという力量を探っている側面――そう考えれば自然です。あと、まあ……これは参考にならないのですが 質問係の津田さんがやけに素直に この部屋の場所を教えてくれたこと これは『答えていい質問のマニュア ル』として提示されていたからでしょう もし貴方がマスターではないのなら 教えるべきではないのですから。完全に、スタッフオンリーとされている領域で すしね……。逆から考えると、この場所については教えてもらわないとたどり着けないですしね。
一番 津田という人物をロールプレイしているスタッフがマスターであるのならば、それに適する人物は貴方――津田 美樹さんです」
人目をはばかる必要がない綾野は、凛とした声量でマスターを宣言する。数秒の沈黙の後、『抹消担当』津田 美樹が口を開く。
「随分、思想が絡むロジックですね。カードプールの作為に見える抹消が無作為であるという線は否定できないですし、今大会のルールの穴は本当にスタッフが ルールメーキングの際にミスをしていたのかもしれない。『いたずら好き』に見える各種の不可思議な現象は、今大会の為のOSを組み上げる際にミスをしてい ただけかもしれません。――それでも、私をマスターと?」
「ええ、確かに 今にもつぶれそうな多角形の積木を組み上げた そんな、もろい構築物のような――その程度の考証であるということは否定できません。しかし、これを100%否定する材料は何処にもありませんでした。 “悪魔の証明” と揶揄されても結構です、反証は出来ないはずですから。貴方がマスター、です」
「わかりました……お見事、です。確かに私はマスターです」
津田 美樹が笑みを浮かべてぱちぱちと手を叩く。
「しかし――もう、限界みたいですね」
「え?」
津田 美樹が淡々と口走った言葉の先に、脂汗がにじみ出ている綾野が見据えられていた。
「あ、綾野さん!? まだ、体調が――」
「だ、大丈夫です もう、終わりますから――マスター、デュエルし……ま!?」
しましょう、そう口にしようとした綾野の言葉の羅列が途中で裏返り、せき止められる。不意に、両足から力が抜け、肢をねじられたフランス人形のように、一気に崩れ落ちる。
「か……ぅ――」
(声が、出ない――!?)
「あ、あやのさん? あやのさん!?」
津田が綾野の状態を揺さぶり、必死に意識を保たせる。
「ま、マスター!? 綾野さんは狭心症の疑いがあります、救命作業を――!!」
「申し訳ありませんが、出来ません。その方を助けることは、賞金の権利放棄をされようとしている方を助けるということ。運営方針に反します」
淡々と、機械のように発せられたマニュアルは残酷だった。津田はその様子を、歯軋りして睨みつける。その時、

「よーう、くるみ。随分ひどそうだな」
「!?」
誰かが扉をノック無しに開き、後ろから声がかかる。びくついた津田が後ろを振り向くと、そこには御厨と、
「――御厨さん!! それに、ドクター……綾野 月海さん!?」
綾乃の実兄、『ドクター』と称されるトップランカー――綾野 月海が、本職の白衣の姿でたたずんでいた。
「んー、『ドクター』の名は好き好んで呼ばれているわけじゃないから遠慮してほしいかもなあ」
「ご、ごめんなさい……失礼しました――でも、なんで御厨さん、それにお兄さんが――?」
出るべくして出た質問に月海は一つ考え込む仕草を作り、
「込み入った話はあとでさせてもらうよ」
それだけを、人を安心させるような――名医としての笑顔で返す。
「とりあえずは……マスターさん、妹を――くるみを返してもらう」
笑顔をリセットし、真剣たる表情でマスターである津田 美樹をみつめ、月海が語りかける。津田 美樹は、一連のやり取りを表情を崩さないまま、見つめ続けていた。

「とりあえずは……マスターさん、妹を――くるみを返してもらう」
一瞥、妹を見据えた後、月海はマスターである津田 美樹の方に向く。突然、思いもよらなかった実兄の乱入に、綾野は細かく震える手足を動かそうともがきながら思う。
(どうして――月海が――!)
「……」
黒い瞳が、きっと月海の方へ向く。真意を知ってか知らずか、月海が小さく口を開く。
「御厨」
「はい」
後ろでジェラルミンケースを抱えていた御厨が、月海の呼びかけに答える。その背格好も、月海と変わらず白衣だった。
「アスピリン一錠と――ミネラルウォーター取ってくれるか。水は右奥のほうにある」
「はい」
軽やかに、慣れたように作業を進める月海と、負けじと助手作業を進める御厨。その状況を一番つかめていないのは津田だった。綾野が意識朦朧な状態であったため、健常者の中で一番状況に混乱しているのは津田である。
「なんで、お兄さんが――? それと、御厨さんってもしかして……」
「ん? ああ、あとで話す予定ではいたけど――俺、研修医だよ」
研修医。言い換えれば見習いの医者だ。医学教育後、臨床研修を受けることによって正式に医者と任命されることになる半人前の存在である。
「研修医?」
「ん、そう。御厨は俺がいる病院の研修医。担当が俺なんだよ――ほら、くるみ。口の中に錠剤入れるぞ、次……水」
月海がてきぱきと作業を続けながら津田に説明を続けていく。綾野は、流し込まれた錠剤と水に抵抗の意思を見せない。できないと言った方が、正しいのかもしれなかったのだが。
「ど、どうして……お兄さん、ここにこられたんですか?」
「兄妹愛、とか言えたら良いんだけど……そんな都合よくはなかったなあ。ちょっとした準備を仕込ませてもらったんだよ」
「準備?」
「えーと、津田さん、だっけか」
「はい、私……津田です」
津田の名前を確認する月海に対し、こくりと頷き返答する。その答えに、うん と一拍子置くと月海は続けた。
「御厨から聞いてる? こいつが、誰かの代理で大会に出てる、ってこと」
「はい……お聞きしています。同盟、組ませていただいていたんですが……その最初の際に」
「そっか、なら 話は早い。御厨は、俺の代理として大会に来てる」
「そうだったん、ですか」
その会話の様子を綾野が荒い息で見つめる。声は出せないが、先ほどよりは大分、息も整ってきていた。
「でも、どうしてですか? お兄さんが招待を受けるほどのランカーなのでしたら、ご自身で出られたほうが……?」
「んー」
状況から当然に思われる質問に対して、月海はあごひげをなぞる。数刻考えて、不意に後ろにいた――くるみを指す。
「俺、くるみに嫌われてるんだよね――ま、それだけが目的ではないんだけど」
「?」
「……だいぶん鎮静してきたかな。御厨、キット出してくれる? バイタル計るから」
「はい、りょうかいでーす」
御厨がケースから赤い小箱を取り出すと月海はそれを開ける。中には色とりどりの機械が整頓されていて、その中から数種の機械を選び手際よく組み立てていく。
「前提として言わせてもらえば、くるみは全く俺の診察を受けようとしない。言っちゃなんだが、俺の勤務している大学病院はそこそこ大きいから、十分先端の 医療を受けられるんだよ。拒否されてるのは一点、俺に対する嫌悪感だ。綾野って言う医師の家系でなまじっかに知識があるから、勝手に薬だけでなんとかしよ うとするんだよ」
「はい、……お兄さんに全くお世話になってないというのは聞いています」
腕に電極をセットした月海が、規則正しくキットから鳴る電子音に耳を傾けながら、さらに続ける。
「そんな、俺の診察に絶対世話になりたくないくるみという存在。そしてそのくるみは、頭と身体を過剰に働かせすぎた際に発作症状が起こる病に蝕まれている。その状況の中、俺が大会にいたらどうなる?」
「……わ、私なら……本気を出せないです――もし、お兄さんのお世話を拒否するとしたら、全力の8割……いや5割で――必死に自分の限界を抑えるように努力すると思います」
「そう。だから俺は御厨を代理人によこした。言っとくけど急ごしらえじゃないぞ。大会には出てないが、実力は俺が認めてる」
津田が御厨に視線を向けると、御厨はいにくそうに鼻筋を掻いた。
「ちょっとごめんなさい、お兄さん。言い方が悪いかもしれないです……ご無礼を承知で申し上げます――」
「ん、……いいよ。大体、想像はついてる」
「お兄さん、もしかして全力のくるみさんが「こう」なるのを予測して、「こう」なることを前提に用意を進めていたんですか!?」
「……ご明察。俺と御厨は、この大会下においてくるみを昏倒させて、有無を言わさず搬送させるように事態を進行させていたよ」
月海の表情は笑っていない。この場にいる関係者全てがその意味を理解しているからこそ、茶化した様子で言えない言葉だったからだ。
「え、つ、つきみさん!? おっしゃってることがどういう意味か、お分かりですよね!?」
「わかってるよ。倫理的にスレスレ、人によっちゃアウトと判断されても仕方ないくらいの手段を取ってる」
月海が言っていることは『人を死亡寸前にまで追い込み拒否という判断自体できない状況下、拒否しないという反応をイエスと取る』ということだ。それは言い換えれば『脅迫』でもある。
「ど、どうかしてます!!」
「……確かにどうかしてるよ――御厨。次……血圧。意識レベルもとっといて」
「はい」
「月海さん!!」
目を細め、淡々と続けていく月海の言葉を津田がさえぎる。状況、もっとも真人間な反応を取っているのは津田だっただろう。
「でもな」
「……」
「こいつが――くるみが、人の好意を素直に受け取ると思うか? くるみと一緒にここに来た君なら、こいつの性格はカケラだけでも掴んだだろう? そして感じたはずだ、底なし沼の拒絶心で構成されているってことを」
対峙したプレイヤーを完膚なきまでに叩き潰し、同盟交渉を粉々に粉砕し、御厨に向かっては芝居を使ってまでマスターではないことを立証した。御厨はおろ か、同盟を組んでいたプレイヤーからその周りの状況を教えてもらっていた。だからこそ、津田は月海の疑問形に唾を飲むしかなかった。
「だろう? くるみは――そう、暴走している車みたいなもんなんだ。人の意見は聞かない、頑固者なんだよ。そんな奴を無理矢理止めようとしたらどうなる?  走ってる車に手を出せばきっと差し出した手はギロチンにかけられたようにちょんぎられる。車を止めるのなら――待つしかないんだよ。ガソリンが無くなるまでな」
それが今。理屈では解っているが、自分とは異世界の思考回路を持つ目の前の存在を、津田は恐怖さえ抱いた。
「だから、津田ちゃん。悪かった、俺は貴方を利用させてもらってた」
そこまで静かに聞いていた御厨が口を開く。
「月海さんの影武者として動いていた――だから、この……綾野――お兄さんの、月海さんの前で呼び捨てするのは失礼なんですけど……その動向はいつ何時で も掴んでいる必要があった。だから、出来る限り多くのプレイヤーと同盟を組んで、情報は集めていた。だが、正直……津田ちゃん。君とのデュエル後にいきな り意識を失うとは思わなかった。あれについては俺の未熟さが生んだ反応ミスだ。おかげで、月海さんとのコンタクトが遅れたんだよ」
(……ということは――この、御厨さんがあの時言ってた『マスター』ってのは 月海のことですか――!!)
綾野は未だ声を震わせられない喉頭に違和感を感じながら、それでも頭を働かせる。『あの時』とは御厨との対戦時、御厨が綾野の芝居に気付いた時にぼそりと呟いたそれだった。
どうにもしこりが残っていたが、気にせず突き進んだ末さらけ出されたもう一つの真実。
「じゃ、じゃあどうしてここに……ここがマスターの場所だと――?」
「発信機。綾野とデュエルする時のやり取りの際に、持ってたショッパーに放り込んでおいた。あとは執拗にそれでいて見つからないようにマーキングするだ け。月海さんに1回意識を失ったことを伝えたら、迷わず『じきに再発する』って言われたから、そりゃ気合入れてたよ。ちなみに月海さん、ルールを伝えたら秒でマスターまでたどり着いた――『カードプールの抹消をしている部屋についての告知はなかったか?』って投げかけられた時はさすがに驚いたよ」
手持ち無沙汰の御厨が腕を伸ばし、津田に言葉を投げかける。
「後は案の定、君が部屋の中で発症を知らせてくれた」
そこまで話し、月海が割り込む。淡々とした口調は崩れない。
「……さ、くるみ。病院行くぞ。異論はないな?」
声が出ないまま倒れこんでいる綾野が、心からの悔恨の表情で月海を睨みつける。辛うじて動く指先で、冷たい地面を掴む。降伏したように目を瞑り、綾野は震えた。
「で、でもおかしくないですか、月海さん。綾野さんは意識があるんです……言葉として拒否を示さなくても、首を横に振れば十分に拒否したというアピールになる。それなのに――綾野さんが、なんで簡単に……?」
「くるみは解ってるんだよ。それが『できない』ことを」
解答の準備されていた帰納法の証明問題のように、月海がすぐさま口を開く。
「状況を文章にするとしたら、カルテにまとめるとしたらどうだろう。『死亡寸前の急患患者に医者二人が居合わせた』なんだ。例え患者自身が拒否を示したところで、これに従ったらどうなると思う?」
「……」
「医者が二人も居合わせたのに、いまだ倫理的にアウトに近しい安楽死の手段を取ることになる。隠蔽したとしても、公表したとしてもどっちにしても……そう、医界としての沽券に関わる重大な見過ごしになってしまうんだよ」
「そんな……月海さん――」
津田は、ある一文を言おうとしたが、それを喉元でせき止める。言えば彼は確実に傷つくだろう真理であり、真実の言葉だった。
(憎まれ役を……自身で買って出て――)
「そういう点で、くるみはここで拒否をしても無駄だということを知ってる。むしろ、拒否して万一通るとして、医療に関わる数千の人間に迷惑がかかることを負担に思い……だからこそ、しなかったんだろう。優しいんだよ、くるみは」
そこまで続け、月海の表情がふっと医師としての、兄としての優しい笑顔に戻る。
「御厨、もう搬送班呼んでる?」
「ええ、時間から考えたらもうすぐ――」
御厨が喋り終える間も無く、後ろの空いた扉から4人の男と、それに支えられたように担架がもたれていた。見せ場を崩された御厨が苦笑した。
「それじゃあ、俺はくるみについていって、そのまま集中治療室にこもるから。おまえはここへ残れ」
「え?」
ここまで月海の命令なり誘導に素直に従っていた御厨が初めて疑問系で返す。
「くるみの腕からディスク外して。そんで、持ち物全部ここに置いておかせるから――、デッキとか関連道具。全部含めて」
「……ああ、そういうことですか」
そこまで月海が話しながら、手際よく決闘盤を綾野の腕から取り外しながら言う。御厨は、その意図を察したように呟いた。
「だから、絶対1000万円持って帰って来い。くるみは金が欲しいんじゃない。それに伴う、自分が生きてきた道程を欲している――絶対、裏切るな」
慣れた手つきで、綾野が担架の上に乗せられる。綾野からは抵抗の意思は感じさせず、右腕で覆っていた目元から、一筋だけ涙が伝っていた。自分へのふがいなさ、頼りたくなかった実兄。それらの感情が混沌として、渦巻いていたのだろう。
10秒も経たないうちに、搬送班が立ち上がり小走りで出口へと向かっていく。担架で搬送される女性に対して、エントランスにいた客人らがざわめくが、しばらくするとそれもおさまった。
「頼むぞ、御厨」
「はい」
それだけの言葉を月海が御厨に投げかけ、追いかけるように走る。白衣の端が、風で宙にはためいた。

「……と、ということは、マスターさん」
「はい」
津田と御厨、そしてマスターである津田 美樹だけが残された部屋。やり取りと、状況を見返して、ある一つの結論に落ち着いた脳を確かめるように津田が口を開いた。
「もしかして、先ほど救命作業の拒否をされたのって――」
「はい、綾野医師から先立って、ここまでのことについてお聞きしてましたから。そこまで後ろ暗いことはしませんよ」
津田 美樹が、微笑を浮かべながら答える。
「マスターさん。俺が綾野に代理してデュエルを行うことにルール上問題はないよな?」
「はい、『ディスクを誰が装着しているか』というのは当方で感知できないことですから、問題ありませんよ。ただし、そのディスクによる勝利はディスクの持ち主によるもの――今回の場合綾野さんに帰属されることになりますが、よろしいでしょうか?」
「……ここでのこと、聞いてたんだよな?」
「ま、形式上、ですよ。お答えください」
「もちろんだ」
「はい、結構です。マスターである私とのデュエルに勝利したら、大会はそこで終了。賞金としての1000万円は差し上げます。負けた場合でもカードを補充 しての再戦は結構です。『残像に口紅を』におけるカードプール減少の影響はアトランダムで私にも施していますが、30秒処理なので……断言しますと、アド バンテージはあるとお思い下さい――ラストボスとしての責務、として考えられたら結構だと思います」
「なるほどな」
「それでは、デュエルの意思を固められましたら、私にお声を」
そこまでまくしたてた津田 美樹がたたずまいを変えないまま、大勢のディスプレイをバックに笑顔で口を閉じた。
静かにたたずみ、膝に手を置く津田 美樹の態度を御厨と津田が静かに見据える。津田は数秒、心配そうな表情で目の前に広がるディスプレイ群を眺め、そして御厨に目を送る。
「デュエルしたいのは山々なんだが……まだ、綾野がマスターに対峙するために持ってきたデッキの内容、知らないんだよな。しばらく、待ってほしい」
「はい、わかりました」
御厨が小さなショッパーからデッキケースを出す。ひもの部分にはわずかにぬくもりが残っていて、今の騒動がほんの数分前だったことを改めて意識付けさせる。
「……」
御厨がデッキを表向け、扇状に広げる。その構成にぴくりと瞳孔を動かせ、そのまま流し見る。
「あの、御厨さん――」
「なに?」
津田が心配を匂わせる表情で御厨に声をかける。目の前の非現実的で、そして恐怖さえ感じるやり取りに手が震えていた。紛れもなく、常人だ。
「私も、デッキを拝見してよろしいでしょうか……」
「うん、いいよ。――思うところがあるはずだし、『綾野が変わりたかった』ことも掴める――」
御厨の許可を得て、隣からデッキを見た津田が同じようにぴくり、と反応する。
「これって……」
「あいつは絶対このデッキを人に見せたくなかったと思う。だけど、見てしまった以上」
「思いに、応えないといけませんね」
「――くっさいなあ」
「いいじゃないですか。私、とても嬉しいです。綾野さんも立派な一人の女性だったんです、可愛いところのある一人の女の子なんです。さっさと1000万掴みとって、病院に向かいましょう。綾野さんに手渡して、それで……私が――思いっきり綾野さんを抱きしめてあげます」
「きっと嫌がるぞ。『やめてください 私にそんなことをしてもメリットがありません』、とか言い出すぞ」
御厨が、デッキをヒンズー・シャッフルしながら津田の言葉を茶化す。
「頑張って、くださいね」
「もちろんだ」

―――

「用意、できましたか?」
「ああ、そちらがOKなら今から始めたい」
御厨の了承に津田 美樹が一つ頷くと、側面の引き出しからデッキケースを取り出す。数個並んでいたデッキケースは、おそらくアトランダムの結果によって使えなくなるカードプールを考慮したものだろう。全く別のカードプールを使ったデッキを数種準備していたことが伺える。
「それでは……」
そこで途切れた言葉とともに、互いのディスクの先攻後攻を示すルーレットが光りだし、それは御厨の方で停止する。
「どちらを、選ばれますか?」
「――後攻だ」
「……わかりました、それではドローします」
津田 美樹は御厨の選択に表情すら変えず、ゲームを開始した。
(相手が完全アトランダム、すなわち俺達参加者――『ビートダウン』『コントロール』『1ターンキル』に色分けされて最低限に施された作為的抹消さえされていないとしたら、怖いのが1ターンキルだ。その可能性があって、俺の方のデッキに対抗策が無いのだから後攻の方がわずかながら安全……【デビフラ】系のワンキルデッキならば、初手エンドとまではいかないしな……)
そう考えながらも、御厨は『そこまでマスターは辛い判断を取ってこない』とも考えていた。RPGのラストボスが回復呪文を唱えるようなものだ。ルール上OKだとしても、もしそれを選択したら、その大人気なさが疑われる――言い換えれば『ゲームにならない』からである。
(だが、万一もある――それと、もう一つの理由もあるんだが)
「1枚のセットモンスター、伏せも1枚セットしてターンエンドです」
「ドロー……スタンバイを経過し、メインフェイズに《名推理》発動!!」
御厨がドローしたカードを軽く手札でシェイクし、力強く一枚のカードを表向ける。

津田は、部屋の右に立てかけられていたパイプ椅子を開き、ゆったりと座る。わずかに上がっていた口端は、機嫌の良さをうかがわせる。
(私がうかつでした。綾野さんが変わりたかったこと、もっと早くから掴めてました)
津田は膝の上の手を握り、綾野とのデュエルを思い返した。
(本当に――純度100%で『人間不信』なんだったら、綾野さんが人の力を使うカードである《名推理》を使うわけ、ないじゃないですか。自分の力だけを信 じて、信じきって、過信して……ワンサイドゲームに持ち込める、違った形のパーミッションを模索していたはずです。あの時綾野さんは『これが私の求めた パーミッションの最先端の構築』とおっしゃってましたが、思い返すとどうでしょうか……本気と思えなくもないですが、なんか照れ隠しっぽさも感じられます。だから、綾野さんが自分への変革に間に合わなかったことは本当に悔やまれますし、これを機に開きかけていた心が閉まってしまうかもしれません。もちろん、 《名推理》1枚でこんな精神論を広げるのはエゴかもしれませんし、無茶な解釈と思われるでしょう。でも、でも! 数あるビートダウンからこのチョイスをし た……綾野さんはきっと、自分を変えたかった。だから御厨さん、一刻も早く――勝ってください――!)

「……」
開始1ターン目、即刻キャストされた《名推理》に津田 美樹が軽く思考に入る。その様子を見ながら御厨が思いを馳せる。
(後攻を選んだのはマスターに良心がないことも考えたが、デッキ構築上の理由もある。綾野のチョイスしたデッキは【推理ゲート】。変則な特殊召喚カードで一気に巨大なモンスターを展開していくデッキ――だから攻めるのは一刻も早いほうがいいんだ)
「レベルの選択は、8でお願いします」
「わかった」
(召喚される可能性より、危険性の排除を取ったか――ここで綾野なら性格分析とかもやりつつ相手をいじめ倒すんだろうが……俺はそんな器用じゃねーよ)
冷静な津田 美樹の選択に御厨は表情を変えずデッキをめくっていく。魔法カード2枚のあとに《E・HERO エアーマン》がめくれ、静かにディスクに置かれる。
「召喚に、チェーンは」
「ございません」
津田 美樹が大きく瞬きをし、力強く宣言する。それに御厨は一つ頷くと、ディスクからデッキを取り出す。
「《E・HERO エアーマン》の効果により、《D-HERO ダッシュガイ》を取り出して――」
御厨がリシャッフルを行い、もう1枚の発動を宣言する。
「《デステニードロー》、発動」

(凄い……理想的なデッキ回転――カードごとの繋がりが、綺麗――綾野さん、別にコントロールに固執しなくとも戦績はきっと残せたはずです)
膝の上できゅっと手を握った津田が、流れるような後攻1ターン目のシナジーを目に運びながら想う。
(でも、綾野さんはコントロールデッキをずっと使い込んでいた……それって、人間不信というより――こういう自分を認めたくなかった、自分が変われるということを認めたくなかった、のかもしれないですね)

「《D-HERO ダッシュガイ》を捨て、2枚のカードをドローする」
「はい」
「バトルフェイズ!」
威勢よく、御厨が《E・HERO エアーマン》により攻撃をするが、守備表示モンスターは《魂を削る死霊》。爆風のエフェクトが煙々しく一面を支配するが、場は何も変わらない。
もう一度、御厨は場を見返すと、静かにターンエンドを宣言した。
「ドローします……、《サンダー・ボルト》!」
「!?」
その宣言に、御厨が失念していた事実を思い出したように苦虫を噛み潰していた表情を作り、舌を打つ。
(そうだ、相手は……嘘偽りない完全なアトランダム! 最悪の仮定として『カオス』2種さえ警戒しなきゃやばい!)
久しく見ていてなかった豪快な雷撃エフェクトに二人が目を細め、続いて襲ってきたバトルフェイズ。《魂を削る死霊》が御厨の胴体をなぶり、ライフを削る。
「……」

ライフポイント — 御厨:7700 津田:8000

「……手札破壊の宣言は、どれに?」
「――はい、一番、右で」
御厨が指定されたカードをディスクポケットにねじ込み一つ思考をする。
(杞憂であれば……いや、杞憂でない方が嬉しい誤算だが……この、マスター――)
「ターンエンド、します」
「ドロー……」
(これは――)
御厨がドローしたカードを視界に入れ、マスターを見据える。手札の真ん中にそれを挟み、顎に手を当て考える仕草を見せた。
(こいつは……俺の推測が――自分本位の考えにのっとった考えが正しければこの、マスターは……やる価値は、十分ある。よし)
「ドローした《ネフティスの鳳凰神》を、《D-HERO ダッシュガイ》の効果によって、特殊召喚する!」
瞬間、奇声とともに黄金色の鳥獣が姿を荒らす。部屋を大きくつんざくその鳴き声は、三人の耳を数刻揺らした。
「チェーンは、あるか?」
「ございます、《激流葬》!」
そのカード名を聞いた瞬間、御厨が口を邪に歪める。
(確定だ! このマスターはまさしく、その場仕込みのプレイヤーだ! そもそも、おかしいとは思っていた。使えるカードの段階で大きくハンデがあるこの戦い。イリーガルなカードの分量に相当な差があるこの状況で、さらにハイレベルなプレイングが出来るプレイヤーをボスに用意されたら、それこそ勝てるわけがない。
『ハンデ』というシステムは実力差があって成り立つもの。この部屋に到着するだけでも一試練の中、五分五分の状況で戦ってそれこそ五割の戦績になるような相手をぶつけるのは酷以外の何者でもない。
主催者も大会という体裁を保つ以上、それくらいの調整はあってしかるべきとの判断だろう。綾野に冗談めかして言ったが――『この大会に賞金以外の目的がある』だったら――例えば優秀な人材を欲しているのだったら、悪徳詐欺なバランス破壊は、しない。
俺がスタンバイフェイズを宣言するタイプのプレイヤーであるのに、それに合わせての修正もしない――スタンバイ宣言もしないし、たった1体の《E・HERO エアーマン》相手に《サンダー・ボルト》を撃ち、1回の超過ダメージのみを考慮すれば十分に対処できる《ネフティスの鳳凰神》に《激流葬》を撃った。《ネフティスの鳳凰神》に対してのそれは、まさに一部を除けばタブーとされるプレイ……、プレイングで揺さぶれば――絶対勝てる!)

「御厨、さん……」
津田が、はらはらとした表情で御厨に声を掛ける。きっと、同じ事に気付いたのだろう。
「津田ちゃん。わかってるよ、言いたい事くらい――。それに、早く綾野の元に行きたいんだろう? こんな所で要らないちょっかいを出してペナルティ取られたくないでしょ、黙って見ておいて」
「は、はい!」
その、返した言葉は吹っ切れたように明るかった。御厨はそれを聞き、二人の女性を、尊敬している先輩医師を絶対裏切れないなと強く思う。
(俺も、口三味線で相当量の同盟を組み上げ、月海さんに見初められ――あの綾野でさえをすかした男だ。『ペテン師』は最後まで貫き通す!)
「綾野が【推理ゲート】なんて、初心者が相手をしにくいデッキを選んだのは運命だ。持ちうるプレイングで、こいつを――陥とす!」

「いやー、参りました。お強いですね」
結果は、悠々の勝利であった。時たま《ハーピィの羽根帚》ら、超級クラスのカードが発動されたが、予期していればダメージの緩和も難しくなかった。
「あの、マスターさん……」
「お察しの通り、」
待ちかねたように、津田がおずおずと口を開いたが、その心のうちを見透かしたように津田 美樹は話をさえぎる。
「――お察しの通り、私はその場仕込みのプレイヤーです。大会の運営上に携わっている人間の一人ではございましたが、ルール自体は全くの初学。興味深く学ばせていただきましたが、さすがにお分かりになられてる方とは違いますね。続ければ続けるほどその穴が露呈していきました」
「ま、将棋の駒落ちみたいなもんだしな。ターン制のバトルはどうしても長期になればなるほどミスが出る。駒落ちで勝利をもぎ取るコツは『いかに相手のミスを見逃さないこと』に集約されるっていうこと、なんだよ」
「なるほど、ご感服いたします」
津田 美樹は笑顔でそれだけを返し、横に設置されていたマイクのスイッチを入れる。マイクを口にあてがうと、開始時に聞き慣れた声が上階層を支配した。
「大会をお楽しみの皆様、ご報告がございます。マスターを発見し、撃破されたプレイヤーがお出になられました、お名前は――」
そこまでをマニュアルに乗せたようにすらすらと発言した津田 美樹は、後ろを振り向く。その意図を察した二人は、力強く頷いた。

「お名前は、綾野 くるみさんです!」

「それで、ええと、御厨様――いや、一応名分上綾野様とお呼びしたほうが宜しいでしょうか。こういう時のためのマニュアルがないのがやりにくいですけれども」
津田 美樹がやりにくそうな表情で御厨に声を掛ける。マニュアル外の手法で陥落させた自分たちのやり方に対して申し訳なく思いつつ、御厨が息を吸った。
「……そうっすよね。呼びやすいほうで呼んでもらって結構ですよ」
「はい、でしたらお言葉に甘えて “綾野様” と呼ばせていただきますね」
「ええ、どうぞ」
「綾野様、優勝おめでとうございます。お約束どおり、1000万円を賞金で差し上げます。小切手・振込み・現金、お渡しする方法はご自由に選んで下さって結構ですので……どれに、なさ」
「げ、現金でお願いします!」
マスターの質問が終わらぬうちに、解答が思わぬところというより少し遠いところから飛んでくる。声の主はパイプ椅子で借りてきた猫のように静かに座っていた津田だった。
挙手をし、おずおずと、それでいて妙にはっきりとした声で赤面交じりで答える。
「つ、津田ちゃん?」
御厨がさすがに予想できなかった津田の一言に複雑な表情を作るが、その意図を掴んでくすりと笑う。
「あー、うん。そうなんだよなー、小切手とか振込だと直で綾野の所に戦果を持って向かえないもんなー、津田ちゃんは可愛いなー」
「そ、そんなんじゃないです! いや、……そんなの、ではあるのですが」
二人のやり取りを見定めつつ、津田 美樹が一応、といった表情でマニュアルを口に出した。
「……とりあえず、言わせては頂きますが、権限は御厨様にございますので」
表情は わかってます 、といった塩梅ではあったが、立場上言わざるを得ないのだろう。これ以上この人を困らせる必要も無い、御厨はそう思い求められた答えを口に出す。
「現金で、お願いしたい」
「かしこまりました」
と、了承の返事と同時に、ぽんと手提げ金庫が差し出される。
「な、なんか……こう、情緒がないな」
「元々アングラなイベントなんです。情緒なんか気にしてたら身が持ちませんよ」
それだけの大金を目の前にしてにっこりと微笑む津田 美樹の肝っ玉に軽く御厨はたじろぎつつ、一つ思い出したような表情を作る。
「あ、そういえばマスターさん。答えられないなら答えられないで結構なんだけど、一つ質問があるんだけど」
「はい、なんでしょうか?」
「……この大会、金を目的にして開催しているわけじゃないよな。とても採算が成り立たなさそうだから、何か別の目的があると踏んでるんだが」
「あ、お気づきになってましたね。そういえば」
「そういえば?」
「綾野様にふっかけられてましたのは、こちらでしっかり――防犯カメラで確認してますよ」
それは防犯カメラというより別の目的があるんじゃないか、とも二人は思ったがそんな野暮な突っ込みはしない。
「お察しの通り――仰られたとおりに、人材目的とした荒療治な選考を兼ねています。大金がかかった状況下で、ルールをしっかりと見据えて動ける行動力や策謀力、ひらめきと教養、そして最低限のデュエル能力を持つ人材を求めておりました。本来なら、もっと感極まった漫画のように100万円の参加費のもと1億円のバックマージンを用意する大会がしたくて、そう掛け合ったのですが……金が集まらないと一蹴されたんですよね」
「なるほどなあ……でも、非常に申し訳ないが、俺は医者の道を志している……から」
ぽり、と御厨が鼻を掻きそのままぐるりと後ろを向く。
「津田ちゃん、君が、やる?」
「へ? わ、私ですか? 私が出来るんですか、ただの一般の敗北プレイヤーですよ?」
「こちらとしては、津田さんでしたら大歓迎ですよ――ニアピンとしてマスターまで詰め寄りましたし、十分な腕と度胸もお持ちです。それに、優勝者である『綾野さん』の推薦とあらば、紹介する理由としても十分立ちます」
津田 美樹が片指を立て、企むような微笑で答える。
「た、確かに言葉尻を掴めばそうなるけど――マスターさん、結構……悪い人だなあ」
「それにですね――」
津田 美樹が今まで背を向けていたディスプレイの方を向き、優しく語る。
「こんな偽名を使ってまで、趣向をばら撒きつくした大会。私の持ちうるアイデアを全て詰め込んだ大会。そんな中で、『本当の』津田さんに出会えたのは運命とすら感じました。まるで、自分を主人公とした寓話の中で運命の人と出会ったようで――そんな津田さんが、しっかりとした実力をお持ちで、まるで『残像に 口紅を』のように立ち回ってくれたんです。マスターとして、楽しかったですよ。だから」
そこまで弁論を揮った津田 美樹が立ち上がり津田の前で手を差し出す。
「これもある種のお導きです。私達と共に遊びませんか? もちろん、私達はアングラの住人です――お気に召しませんなら、ご遠慮なくお断りを」

「津田ちゃん、良かったの? 断っちゃって」
「……私、ただの大学生ですよ? そんな図太いというか、喜び勇んで法定外の世界に飛び込む勇気なんか持ち合わせていませんって」
会場から出て、二人は並び歩く。思い返すような口調で津田が答える。
「ただ、あの部屋で――あの大会で学んだことはいっぱいありました」
「……」
「私は今まで『メタゲーマー』という自分のやり口について奢りすら感じていました。じゃんけんで相手の出す手を理解したうえで勝つ手を用意できる、そんな私は――綾野さんの考えに一瞬にして崩されました。思考のラインをずらされたら、終わりなんですよね。それに――」
悲しげな表情で津田が俯き、続ける。
「だからこそ、そこに到達できる綾野さんという人間の『ずれてしまった』思考回路に恐怖さえ抱きました。でも、綾野さんは――御厨さんや私、皇ちゃんや仲林さんと触れ合ったことにより、その綻びがほどけたような気がします――そこに携われたのが凄く嬉しいです……」
「うん。そう、だな」
「綾野さん、変わろうとしてたんですよね。《名推理》を使って、自分しか信じない綾野さんが――相手の力を利用した戦術に切り替えた――」
そこまで聞いた御厨が立ち止まり、慌てたように聞き返す。
「え、どういうこと? 《名推理》が、って?」
「えと、ですから――」
津田は、自らの思う想いを伝える。エゴかもしれないが、きっと真実には切り込んでいた考えだっただろう。だからこそ、御厨からのリアクションは津田にとって意外だった。
「あ、あっはははは」
「な、何がおかしいんですか!?」
「いーねー、乙女思考だと思うよ。むさくるしい生活してるから、そういう考えは全く出来なかったよ」
津田の肩をぽんぽんと叩きながら、御厨は肩を震わせる。
「俺が言いたかった『変わりたかった』のは、コントロールからビートダウンへの切り替え。そういう意味で、他者を認める余裕が出てきたってこと。ま、津田ちゃんの乙女思考も決して間違いじゃないんだけれども」
「どういう、ことですか?」
「人を信じることを恐々ながら覚え始めたってこと――どうして、君をマスターのいる部屋まで連れてきたと思う?」
「――あ」
「『信じた』から。認めたから、なんだよ。もちろん、自分が勝てると確信したからの行動だとは思うが、マスターの指名権はもう1回あっただろ? もう一度指名できる津田ちゃんを連れて行くのは危険、だよな?」
「確かに、そう……ですね。認めて、くれてたんですね――」

「よう、綾野。ご機嫌いかが?」
「最悪 です」
綾野は大きく、白いシーツのかかったベッドで座り、手持ち無沙汰で不機嫌な表情をしていた。ぷい、と外を向き遠くを見つめる表情を二人は見つめ、笑う。
ベッドの横に備え付けられていた簡易椅子には皇が座っており、その受け答えにけたけたと笑っていた。
「不覚でした ……こんなことに、なるなんて」
その言葉が本心だったら、どれだけ痛々しい人生を送っていたのだろう。研修医として人間の暗部に触れてきたからこそ、御厨は強く思い返す。

30分前、同病院内スタッフルーム――御厨は津田を休憩室に置き、月海にその後の病状を聞きにいっていた。
「……御厨、か」
「月海さん、どう――っすか」
「どうもこうも、あいつは俺より生き方に関して狡猾だということをむざむざ見せ付けられた一件だったよ。
あのあと、きっちりとした処置をしたが――それも、色々と法に触れるような手回しで他の病院から貰ってきたあいつのカルテ。そのおかげできっちりと、周到に準備できていたから――それがなければ、あの段階で本当に逝っちまうところだった。あいつが『ああなった』原因としては家としての問題もあるだろう。俺に一心に期待が向いていたから、だから 違う所で自分に注目を向けようと奮迅したはずだ。
だから、俺の手に掛かる事に対して、自分の価値観すら否定されるのが怖かったんじゃないか……って思ってる。……ああ、済まない。こんな愚痴を聞きに来たんじゃないな。結論から言えば完治は不可能なレベルだ。すぐに緊急手術を行うが、死のリスクも高い。……だが、ここで手掛けないとそれこそ――1週間ももたないところだ。退く余地すら、ないんだよ」
最後に聞いたそれは、絶望的なほどの真実であり、『完治してない』という言葉。2時間後に緊急手術をするという現実。
「……」
御厨は、そのことを言い出せない。言えるはずもない、死の宣告なんて言葉はゲームだけで十分だ。
「綾野」
「……なん ですか」
「ほら、おめでとう。賞金の、1000万円だ」
御厨が預かっていたショッパーから無造作に手提げ金庫を取り出し枕元に置く。その意味を一瞬で掴み取った綾野は、口許を震わせ、叫ぶ。
「う、受け取れるわけ ないじゃないですか!」
「受け取れよ」
「私は 負けたんです!」
「いいや、負けてない。ルール上、おまえは勝った。『綾野はあの大会で優勝した』んだよ」
「それは屁理屈です! 私は――」
二人のやり取りを津田と皇が唖然とした表情で見つめる。
「……おまえは、勝ってるよ。綾野。月海さん――兄貴にも、ちゃんとな」
「ッ!?」
兄貴、という言葉を聞いた瞬間、綾野が短く息を吸い込む。認めたくなかったことをさらけ出されたように、言葉に詰まる。
「だから、否定してやるなよ。今までのおまえの立ち振る舞いは十分認められたものだ。ここでお前がこの金を受け取れないのなら、それは自身で自身の生きてきた道のりを否定するって事だろ?」
「み、御厨さん……」
金庫からそっと手を離し、力強く仁王立つ御厨の様子に、綾野は言葉を返せなかった。
「兄から逃げ、自分自身までも否定したら何が残る!? おまえは徹底的に人を排除する生き方を望んできたんだろ? だったら、それだけでなく人を利用しろ! 付き合え! 人を踏み台にしろ、それは……おまえの生き方に、合致、しないか?」
それは、綾野が思っていた、これまで思っていた付き合いの仕方からずれていた。そして、思う。
(私は もしかして 人を信じるのを嫌がってたのじゃなくて 自分が傷つくのを怖がってただけ……!?)
本当に人を信じないのなら、拒絶しない。あえて受け入れ、人を潰すことに錯綜する。そう考えた御厨は、綾野を間違った方向に誘導しようとは思っていなかった。言うなれば、綾野にそのような器がないとすら感じていたからだ。
「……出来ないだろ? したくないだろ? それは、おまえの いい所だよ」

「月海さん……」
月海は、部屋の外の壁にもたれかかっていた。カルテをファイルに挟み、開いた右手でボールペンを器用に回していた。その横に、仲林がいた。眉間にしわを寄せる月海の様子に、心配そうに声を掛ける。
「とても俺なんかが入れる雰囲気じゃ、ないさ」
「辛く、ないんですか?」
「辛くないわけがない。ただ、医者が一々の人間の生死に感傷的になってみろ――世界が成り立たなくなる」
カルテの備考欄には、『11:30 処置開始』の羅列が赤く書かれていた。現在9:37――しばらくもしないうちに、オペレーションルームに綾野は放り込まれることになる。
(御厨にも言ってない……いや、言えなかった。くるみはもう、末期の域にすら達している――薬で生きながらえていたことすら奇跡だった……だから、)
「誠司。言いたいこと、色々あるだろ? 行って、挨拶して来い。怪訝にはされるだろうけど、あいつ――根は良い奴だから」
屈託なく月海が仲林に笑いかける。しかし、その笑いは見れば見るほど作ったというもろさ、辛さが感じられる。
「それって……」
その意図を仲林は探ろうとした。しかし、心の中でそれをせき止め、
「……いえ、はい。わかりました」
それだけの言葉を返し、部屋をノックする。
(あいつは、最期にいい経験を出来たよ)

『残像に口紅を』。その49の仮名が消え、最後に「ん」すら消えた世界には何も残らない。
消えていく世界で色々な経験をし、人生を謳歌するその主人公の姿 には、現実世界のそれを似通わせることも出来る。消えていく灯火の中、綾野の人生は不幸だっただろうか? それは、誰ですら判らない。
カードが消失していく中、デュエルし、拒絶し、学び、掴み取ったデュエリスト『綾野 くるみ』。世界から言葉が消えていく中、世界から存在が消えていく『綾野 くるみ』。

11時30分。オペレーション、開始。同日、18時43分――

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コメント

  1. ほいっする より:

    作品の再公開ありがとうございます!
    当時も非常に楽しく読ませていただきましたが、改めて久しぶりに読んでも面白いと思いました。
    推理考察面も心情背景も込み入っていて、世界観がしっかりしてるなぁと感じます。この小説を読んで興味をもって、「残像に口紅を」読んだりもしましたね。
    また数年後とかに読み返すと思います(笑)。

    (余談ですが、当時から脳内で綾野が瀬川みゆき、皇が竹内理緒に変換されており、影響を受けておられるんだろうなぁ、と思っていました。)

  2. めたぽ より:

    こんにちは。
    いやあこのときの私は意欲がどうかしてましたね……。この作品も「起」「結」だけ考えて、道中のデュエルはその場で思いついた穴をいかにドラマチックにするか、という綱渡りで完成させました。
    もうこの分野(遊戯王小説)に関してはクリエイターの不足からガッツリした意欲作は出てこないでしょうが、その時代の「熱」を思い出してもらえれば幸いです。

    未だに城平京には陶酔しており、お察しのとおり綾野・皇の意識するところはその2名です。
    虚構推理に関しては完全にコミックス派なだけに「スリーピング・マーダー編」、早く新刊出てほしいです……!

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