ハイカライブにシオカライブほどの熱量を感じなかったのはなぜか

先週末、2018.2.10-11のニコニコ闘会議でスプラトゥーンのMCキャラクター「テンタクルズ」「シオカラーズ」におけるライブイベント『ハイカライブ』が開催されましたね。
このイベントは2016年に行われた「シオカラーズ」の単独イベント『シオカライブ』に続く第二弾であり、二次元キャラクターを透明モニターに写し、さも実在化しているかのようなライブを行う、クールジャパンの先端のようなライブです。

お時間があれば、是非どちらも見てほしいですね……。

何回聞いてもスプラトゥーン好きにはたまんないコンテンツです。
そしてここでタイトルなんですよ。よくよく聞くと、客の熱量に差があるように感じませんか? どうにも、2016年の『シオカライブ』の方が熱量が高いような……?
以下、続きから。

 





シオカラーズがカリスマだから? これはむしろ、ライブの構造上のジレンマが原因だった


元々は、シオカライブの初見性によるインパクトがあったからだとか、シオカラーズのキャラクターとしてのカリスマ性がテンタクルズを食ってしまっているからとか考えました。
もちろんそれらもあるでしょう。今でもMCキャラについてのシオカラーズ原理主義者は多いですしね。そこはとてもよくわかります。
しかし、根本的な原因は多分別です。よくよく何回も聞くと(比喩でもなく何回も何回も見て聞いています)、テンタクルズ楽曲はシオカラーズに比べて圧倒的に相槌が打ちにくいんだ……!!
シオカライブセットリスト一曲目『キミ色に染めて』(2:14〜)では『イカシテル〜?』あたりのレスポンスや、ハイ!ハイ!の相槌、間奏での客への視線。二曲目『イマ・ヌラネバー!』(5:28〜)では、ヤー!の相槌とサイリウムを左右に振らせやすい構成と、すごくライブに没入しやすいんですよね。
一方、ハイカライブのセットリストの内、テンタクルズ担当曲についてはどれもこれも相槌が打てないんですよね。この事情に関しては公式もおそらく開催前から懸念はしており、それを顕著に感じるのがこのツイート。

一曲に合わせて、湘南乃風「睡蓮花」のようなアクションを求めるもの。
曲の方向性としてはわかるのだけれども、当然こんなパリピなフリをされても客層的に困惑するもの。
ライブ映像(『フルスロットル・テンタクル』(12:19〜))を見ての通り、タオルを振り回している人はごくごく少数派でした。
また、アンコール曲、シオカラーズ・テンタクルズのカルテットによる「イマ・ヌラネバー!」ではアオリによる「ラ〜 ラ〜ララ〜ラ〜」の扇動も行っていましたが、思うようなついていき方をしていない気がしています。
これはテンタクルズに魅力がないとかそういうのではなく、テンタクルズの楽曲はコンビ単体で完結するアーティスト気質だったからだと感じるんですよね。一方シオカラーズは客と一体化して完成するアイドル気質の楽曲だから、なおさら感じました。
意識してみると、シオカラーズはほとんど客の方向を向いているライブですが、テンタクルズはヒメとイイダが向き合うシーンが多かったり、イイダがDJブースにがっついたりと、技量の表現の結果、客を見ていない時間が多いんですよね。
どちらがいいとかではなく、対比。対比の結果そうなっただけであり、こんな書き方していますが、私は4人の中で一番好きなのはイイダです。
客の熱量が……とか言いましたが、思わず唸るようなところは歓声が上がっていますし、失敗なんかではとんでもない。大成功は大成功ですよ。

一方、カルテット「イマ・ヌラネバー!」は聞き慣れた曲なのにすごくよかったですね。
思い思いの動きをする4人、大胆なアレンジがとても映える一曲でした。

誰も発言してないので強調しておきますが、この線はかなり可能性が高いと思うんですよ。
1でも最後のフェスのときの音楽は『キミ色に染めて』ではなく『シオカラ節』にしてくれるという粋なはからいがあったことを考えると、2も最後には「何かしら」してくれるものでしょう。
それを考えた時に、上ツイートの指すアレンジ版『イマ・ヌラネバー!』が丁度3分という偶然にしてはできすぎた結果。これはかなり「アリ」と考えています。もしくはテンタクルズ版『シオカラ節』とか。

ようやく私もS〜S+で安定してきました。わかばを握った「めたぽちゃん」とガチマッチで握手!

SNSでもご購読できます。

コメントを残す


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)